岩の疵
ようやく話を動かせそう――な予感がしなくもない
アニスは、司令部の地下にある食堂に向かっていた。朝食は部屋で済ましたので、足を踏み入れるのは初めてだ。
案内人は、クローディアとテレサをのぞいた第四独立機甲部隊の四人。クローディアはハミルトンの元に出向き、テレサは訓練後の機体の整備ついでに格納庫で昼食を取るらしい。
まるでどこかのホテルのように受付が立ち、その背後で大人が三人は並んで通れるような扉が大きく開かれている。
いらっしゃいませ、とブラックタイのタキシード姿が丁寧に礼をし、一人ひとりの身分証代わりに支給された携帯端末のIDを確認していく。
「こちらへ」
タキシード姿が先頭に立ち、扉の奥へ通される。そこには、ホールのような空間が広がっていた。
地下であることを忘れるような明るい照明に、並べられた料理の脂が輝いている。壁には奥行きのある風景画が描かれ、どこからか、意識しなければ聞こえないほどに小さく、しかし空気に馴染んで心地よく届く静かな音楽が流れている。天井にも青空が描かれ、閉塞感は全くない。まばらに配置されたテーブルの間を音もなく、しかし手早く回って給仕を行うのは、男女のウェイターだ。無駄のない流暢な動きは、当番の兵士などではなく、専門の教育を受けているとわかる。
山奥でビル街に出くわしたような驚きに目を瞬かせるアニスだが、他の四人は慣れたもので、視線を泳がすこともなく案内された丸テーブルの席に着いていく。あわてて、アニスも――タキシード姿にに椅子を引かれながら――空いた席に座った。クリスとラヴィニアに挟まれ、対面にエヴァとキャロルがいる。クリスが笑う。
「まあ、すぐ慣れるって」
タキシード姿が一礼して立ち去るのと入れ替わりに、ウェイターがグラスを並べて透明な飲み物を注ぐ。細かな気泡が無数に浮かび、散っていく。やはり一礼し、ウェイターもどこかへ居なくなった。
机の上にメニューもなく、どうするのかと戸惑うアニスに、ラヴィニアが笑みを浮かべて言った。
「昼食は、ビュッフェ形式なのです。料理はあちらに」
視線で指した方向には、何人かの軍服姿が集ったテーブルの並びがある。
「よろしければ、ご一緒に行かれますか?」
「はい、お願いします」
では、とラヴィニアが席を立つのを合図とするかのように、全員が立ち上がった。アニスはラヴィニアと並んで皿を取る。
並べられた料理は、まるで博覧会のように多国籍だ。目移りするアニスの横で、ラヴィニアは皿の端に温野菜のサラダを盛っている。
「食べたいものを取ればよろしいのです。夕食をゆっくりとお食べになるのなら、多少控えることも必要ですが」
そう言われても、慣れていないアニスには何があるのかもわからない。
とりあえずラヴィニアをまねてサラダを盛りつつ目を泳がせていると、一つの料理に視線が止まる。リンゼという、豆と腸詰め、野菜を併せて煮た料理だ。他でもない、アニスの祖国の郷土料理だった。
懐かしの、というほど離れているわけではないが、見知った食べ物は心強い。並々とまではいかないが多めに皿によそうと、胡椒の香りが鼻を突く。ラヴィニアがくすりと小さく声を漏らした。
「お好きなのですか?」
「え?」
「なんだか、嬉しそうに見えましたので」
「そう――ですかね」
「はい」
そう言うラヴィニアも、どこか嬉しそうだ。尋ねると、ラヴィニアは笑みを深くする
「エリシェさんの好物が分かりましたので。どんなに小さなことでも、皆さんのことをもっとよく知りたいと思うのです」
そう堂々と宣言されては、こちらは何も言えない。平然と料理を取る手を進めるラヴィニアに苦笑いを隠しながら、アニスは熱を持った皿の上のローストビーフをトングで取ろうとする。それだけのために、ソースが4種類も用意されていることに気づき、せっかくだからと新しい皿に三枚ほどローストビーフを乗せ、白い玉ねぎの混ざったソースをかける。
「ん……」
意外と粘性が低いソースは、思った以上に皿の上に広がってしまう。この上に他のソースをかけては混ざってしまうし、別に後で取りなおせばいい。トングを戻して机に乗せた皿を持とうとすると、背後から声が掛かった。
「お持ちいたしましょうか?」
士官の軍服を着た、アニスが知らない男だった。歳は二十五から三十に届かないといったところか。今のアニスより頭二つは高い長身と、茶色がかった髪をオールバックにしているのが印象的だ。襟の階級章は大尉。
「いえ――結構です、大尉殿」
「准尉。ということは、騎士見習いですか? どこの部隊です?」
振り返ったアニスの襟に視線を投げた男は慇懃な口調を変えずに言った。アニスは言葉に詰まる。一部の人間からは、第四独立機甲部隊の評判がよくないと今朝がたにクローディアから言われたばかりだ。
「あら、エスキベル大尉、ごきげんよう。コス准尉になにか御用でも?」
片手にパイ状になったジャガイモの肉包みを盛った皿とともに、ラヴィニアが二人の横から割って入ってきた。男はそれに気を悪くした様子もなく、小さく笑った。
「貴方の同僚でしたか、カークランド少尉。そちらの方が両手に皿を持とうとしていたので、お手伝いを申し出たまでです。――ときに、そちらの隊長殿はいらっしゃいますか?」
「女性をエスコートするときに、他の女性の名前を出すのはいかがかと」
「これは、失礼をしました」
ラヴィニアがどこか凄みのある笑みで牽制すると、男は丁寧に礼をし、制服から延びた白い手袋を纏った手を胸に当てて名乗る。
「マルセロ・エスキベルと申します。西方第三機甲連隊、ラッセル大佐麾下の機甲部隊を率いさせていただいています。お見知りおきを。よろしければ、お名前をお聞かせ願えますか?」
「あ――はい、第四独立機甲部隊所属、エリシェ・コス准尉であります」
「部隊は違えど友軍です。よろしくお願いします、コス准尉」
わざわざ手袋を脱ぎ、握手を求められる。おずおずと出した手が、軽く握られ、離される。
「騎士見習いということは、ウィンドグレイス卿の?」
「はい。本日付で認めていだたきました」
なるほど、と手袋をつけ直しながら、エスキベルはうなづく。会話が切れた隙を見て、ラヴィニアが口を開いた。
「失礼ながら、お料理が冷めてしまうのです。立ち話もなんですし、ご一緒にいかがですか?」
「ああいや、それには及びません。見かけない方がいらっしゃったので、声をおかけしただけです。あなた方のご昼食をお邪魔するのは忍びない――また今度の機会にお会いしましょう」
去っていくエスキベルの行く先に、男女のペアが待っている。男の方は呆れたように肩をすくめ、女の方が何か小言を言ったようだ。こちらに視線を投げる女と目が合うと、なぜか睨みつけられた。
「わたくし達も行きましょう。皆を待たせているのです」
後ろ髪を引かれながらも、ラヴィニアに言われてアニスはエスキベル達三人に背を向けた。キャロルたちは、すでに席に着いている。
「お帰り。なんか揉めてたみたいだけど、大丈夫?」
座ったキャロルが上目で見るが、ラヴィニアはもはや固定されたような笑顔の前で手を振る。
「ご心配なく。お待たせして申し訳ありません」
二人が席に着き、各々の皿に食器を伸ばす。クリームソース和えのラガーナを肉叉に巻きつけながら、クリスがエスキベル達の方に顔を向ける。横目で見れば、三人はちょうど食堂を出ていくところだ。
「あの人、エスキベル大尉?」
「そう仰っていましたけれど」
「気を付けた方がいいかもね。あの人、いわゆる『新貴族』の親玉だし」
「新貴族?」
訊き慣れない単語に首をかしげると、エヴァが補足してくれた。
「明確な区分はないけれど、ここ最近で貴族に加わった家の人間を『新貴族』というの。『成り上がり』という意味で使われることが多いかもね」
「貴族じゃなくても、実力で騎士になった人も『新貴族』扱いされることもあるかなー。なんていうか、今の上位貴族の中に入って、あわよくば蹴落とそう、なんてことまで考えてる連中?」
「総じて、低階位の貴族出身で昇進意欲が強い将校っていうのが一番当てはまるのかしら」
話を聞く分には、伝統を重んじる貴族社会では、まさしく「成り上がり」と侮蔑される人種のようだ。そういった人間が社会を変えることもあるが、それを望まない人間も多いだろう。
ただ、エスキベルの丁寧な物腰には、そんな意欲は感じられなかった。それを言うと、ラヴィニアが肉包みを切り分けながら眉を下げる。
「あの方は、そういった感情を表に出しませんから。だからこそ、新貴族たちのまとめ役として抜擢されているのでしょう。先ほど大尉を待っていたお二方は、両腕とも言える方ですが、反体制派といっていいほどの実力主義者ですし」
「まあ、別に新貴族が悪いっていうわけじゃないけどね」
キャロルが、後を引き継いだ。
「問題があるとすれば、一種の反体制的立場っていうのもあるけど、いわゆる主戦論の中心が新貴族ってことかな。事あれば軍を出すべきだって言うから、戦争主導してるお偉いさん方には色々不都合な存在なんじゃない?」
「んー、どして?」
「クリス、口の端にソースが飛んでる」
口元をエヴァに拭われながら、クリスが訪ねた。
「貴族になるには、今ある家の分家として領地を貰う、何らかの大きな成果を上げて領地を認められる、もしくは没落貴族から金で買う――なんてのがあるけど、手っ取り早く力を得るには、成果を上げるのが一番なんだよね。分家じゃ発言力は抑えられるし、金で買った爵位には誰も付いてこないから。で、今、大きな戦果を上げるなら、軍に入るのがいいって言われてるの。戦果次第で騎士に上げてもらえるし、そこでさらに功績を認められれば占領地の一部を所有することだって認められるから」
「それって士気旺盛ってことだよね。戦争で大切なのは継戦意欲だっていうじゃん」
「旺盛すぎるっていうのかな。ファイレクシアなんて、常時どこかで戦争してるようなものだけど、そこに付きまとう思惑やら利権があるのよ。一種の経済活動――とまでは言わないけど、大きくお金が動く行為だから。それを制御したいと思う人間だって当然いて、そいつらにとっては盲目的に戦争を拡大しようとする新貴族はさぞかし目ざわりなんじゃない?」
自分の皿に伸びてくるクリスの肉叉を持つ手を軽くはたいて除けながら、米とひき肉の炒めた料理を掬い、エヴァがキャロルに視線を向ける。
「ただ単に他国を支配下に置いたって、インフラの整備や維持費がかかるものね。それを回収できるだけの打算の元で軍を動かしている人間がいても不思議じゃないし、国としてはいるべきなのかも」
「それを私腹を肥やすのに使う人間はフィクションでもやり玉に挙げられますけどね。戦争とは外交の失敗であるともいいますし、わたくしとしては、あまりそういった存在を肯定すべきではないと思いますが」
「別に私だって肯定しちゃいないけどさ。手綱を握る人間がいないと無制限に戦果が広がっちゃうじゃん。戦争って多角的な面でみて利益と不利益があるけど、それを一定の範囲内の上下に収めないと、世界が更地になっちゃわない? まあ、そんなわけで、個人の功名心で突っ走るような新貴族は結構な鼻つまみ者扱いされがちなのよね。上がそう言う扱いだと、下の方も倣うし」
皿の上のものを綺麗に食べつくし、キャロルは会話を強引に切る。
口に運ぶリンゼとともに、アニスはキャロルの言っていたことを噛み砕いていた。
キャロルが言うことには、一理がある。目的なき戦争が向かう先は破滅に他ならず、どこでそれを終わらせるかを考える人間は必要だ。だが、それを決めるのをファイレクシア内部の人間のみに一任する状況では、終わるものも終わらないのだ。ファイレクシアの人間が考える利益はファイレクシアのものであり、他国にとっては不利益になりかねない。
ファイレクシアによって祖国を併合されたアニスから言えば、主戦論に走ろうと、戦争を制御しようと、侵略者に変わりはない。
すべては、ファイレクシアという国の巨大さにある。大きすぎるが故に全てを飲み込み、他国は抗わざるを得ない。これが、どこかの国力が拮抗している状態なら――ファイレクシアにもの申せる存在があれば、二つがにらみ合う間で世界は均衡を保てるというのに。このままでは、世界はファイレクシア一色に染まってしまいかねない。
もしも新貴族たちが、ファイレクシアの中で新たな国を作ってくれれば。巨大な大国を二分してくれれば、世界は新たな局面を迎えることが出来るかもしれない。そして、ファイレクシアの支配者気取りたちが恐れているのも、そこにあるのかもしれない。
とりあえず、存在だけは気にとめておこうと、アニスは思った。せっかくファイレクシアの内情を知ることが出来る立場に居るのだから、情報収集は出来る限り行いたかった。
「そういえば、気をつけて、というのは?」
「ほぇ?」
いつの間にか新しい皿に料理を盛っていた――半分は胃に収められ、古い皿は下げられている――クリスが首をかしげる。
「いえ、先ほど、クリス少尉が」
「言ったっけ?」
「言ってたわ」
視線を向けられたエヴァがため息交じりに頷いた。アニスに顔を寄せて僅かに声をひそめ、
「実力主義でのし上がってきた人が多いから、ウィンドグレイス卿のような出自の高い方々と、その配下には反感を持っている人もいるの。この部隊なんかはキャロラインさんやラヴィニアさんもいるしね」
「あっちが勝手に反感持ってるだけだから尚更手に負えないよね」
「わたくしも、あまり家のことを言われるのは心情がよろしくないのです」
高家の息女らしい二人が憤慨すると、クリスも眉を下げる。
「エスキベル大尉の腰ぎんちゃくの女の方、リューシャ――なんとかっていう少尉なんて、貴族嫌いで有名だしね」
「コチェルキナ少尉ね。被支配地民出身で、エスキベル大尉に目を付けられて騎士になったっていう。あとクリス、袖にソースが付くわ、気をつけて」
リューシャ・コチェルキナ。あの、アニスを睨みつけた女だろう。遠目から階級章が判別できたかは怪しいし、髪のせいか、それともラヴィニアと話していたからか、睨まれたのはアニスも貴族出身と間違われたせいだったようだ。
外から見れば巨大な一枚岩も、中に入れば無数の亀裂が走っているように見える。新貴族という亀裂は、岩を割るほどではなくとも、どうやらそれなりに深いように見えた。