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揺れ動く距離

隠しごとをしている人間は、自然に他人と距離を置いてしまうものらしいです、多分


 浴室を出ると、あたりはほんのりと夕焼けに照らされていた。天頂には気の早い星が瞬き、火照った頬を冷めかけた風が撫でる。ラヴィニアの手によって半ば強制的に丁寧に乾かされた髪が、加えられる力のまま後ろにたなびいた。

 アニス・クローディア・ラヴィニアは下着だけを変えた軍服姿、キャロルは着替えを抱え、白いバスローブの上に軍服の上着だけを羽織っている。クローディアが咎めるような白い目で見るのを受け流し、キャロルは笑った。

「どうせすぐ近くだし。このまま帰って寝るだけだしね」

「キャロルさん、夕食はいかがいたします?」

「部屋でてきとーに。……あ、そだ。どうせエリシェを留守番させて食べに行くわけにも行かないし、私の部屋でみんなで食べない?」

「悪くはないな」

 賛同したのはクローディアだ。ラヴィニアもうなづく。

「でしたら、簡単なものでよろしければわたくしがお作りするのです」

「いいのか?」

「エリシェさんの歓迎会、ということで。腕を振るわせていただきます」

「まだ、あまり大っぴらにはしたくないんだが……まあ、騒がしくしなければ良いか」

 クローディアが一瞬アニスを見てから、自分を納得させるように言って許可を出した。

 アニスは、クローディアの視線が始めと比べれば幾分和らいだ気がしていた。丸一日おとなしくしていたおかげか、それともただそう感じただけか。アニス自身は、クローディアに対して僅かに警戒心を解いている。人物に好感を持ったこともあるが、ある程度自分から懐を開いていた方が相手からも信用されやすいという打算もある。他の二人に関しても同じようなものだ。

「材料は取り置きのものがあるはずですが――四人分はあったか怪しいですね。せっかくですので、買い出しに行きましょうか」

「なら、私も手伝おう。部下に任せきりでは面が立たんしな」

「あ、じゃあ私も!」

 ぴょん、と手を上げるキャロル。バスローブが舞い、薄い闇の中で白い太ももが輝く。

「その格好でか? どうせ要らないものを買い込むだけだし、足手まといになるからお前は留守番だ。おい、エリシェ。キャロルを部屋まで送ってやれ」

「ちょっと、それ普通逆でしょ! 私は一応軍人なんだけど!」

「なら、キャロライン少尉。黙って、おとなしく、エリシェに部屋に送ってもらえ。上官命令だ。軍人ならば逆らうなよ」

 切り返され、うぅ、とひるむキャロルから目をそらし、クローディアは営舎の二階を指さした。

「エリシェ、部屋はロックされているから入れん。キャロルのところで待っていてくれ」

「わかりました」

「寄り道はするなよ?」

 じゃあな、と手を振ってクローディアとラヴィニアは石造りのアパートから離れていく。しないってば、とキャロルが唇を尖らせた。













「何が必要だ?」

「とりあえずは麺類でしょうか。一人でも四人でも、大して手間は変わらないですし、作り慣れているのです。具は……中尉は何がお好みでしょうか?」

「特に好き嫌いはないな。作りやすいものでいい」

「キャロルさんはチーズにうるさいですし――では、オーソドックスに野菜と肉を和えたものでいきましょう」

「あの娘は食べるだけの割に、食にうるさいからな……」

 育ちの良さゆえか、キャロルの舌は繊細なうえに口うるさい。訓練学校での食事に文句を付けるばかりか、内容のバランスや食材の部位選びに野菜の切り方から盛りつけまで、厨房にわざわざ乗り込んで指導したことは伝説になっている。それで元々貴族の子弟も多く通う訓練学校の食事が劇的に改良されたというのだから、特に食にこだわりのないクローディアとしては呆れるしかない。

「お口に合えばいいのですが」

「昔ならいざ知らず、流石にプロでもない人間の手料理に文句を付けるほど、あいつも幼くはないだろう。気になるのなら薄めに味付けして、好みで変えられるようにすれば良いんじゃないか?」

「ああ、それは良いアイデアかもしれません。ところでエリシェさんのお好みなどは?」

「いや、そこまでは知らん」

 営舎から司令部とは逆の方向に歩を進めていくと、徐々に哨戒の兵士とはちがう人影が増えてくる。こちらに向かってくる人間には、手に下げたビニール袋の中に食品や嗜好品を入れている者が多い。人の流れ(というほどの混雑ではないが)に合わせ二人が向かうのは、いくつもの簡易露店が並ぶ通りだ。

 長い停滞による厭戦気分を緩和するための一環として、支給品とは別に買い物を楽しむことが出来る場として市場のような場所が作られているのだ。適当に小腹が空いた時やラヴィニア達のように趣味として自炊する時には嬉しい存在だった。

 むろん、本格的な市場ではない以上、店員は週番で交代する兵士だし、品数は限られている上に購入制限も課せられている。後方からの補給が滞れば質も落ちる。それでも、夜になれば非番の兵士たちでそれなりの繁盛を見せている。

 士官の制服は人ごみの中でもまれだ。兵士に比べて絶対数が少ないというのもあるが、そもそも、こんなところへ来ずとも立派な食堂で専門家の作った食事が取れるし、望めば軽食や酒や煙草も好みのものが出るのだから、必要がないという人間が大半なのだ。特に、よほどの変わり者でない限りは貴族出身者は足を運んでこない。必要性の問題だけでなく、平民や被支配地民の兵士に混じって買い物をするという行為に忌避感を抱くものも多い。

 そんな中、変わり者の貴族出身者であるところのラヴィニアは野菜を一つ一つ手にとって厳選し、柔らかい物腰に秘められた圧力で値下げ交渉までして見せる。その慣れた手つきは、とても良家の令嬢とは思えないほどに市場に馴染んでいた。

「……だいたい、こんなところでしょうか」

 四人分の食材をクローディアとともに抱え、ラヴィニアは言った。尋ねられても、それほど足を運ぶことのないクローディアは言われるがままに荷物持ちをしていただけなので答えられない。

「では、戻るとしましょう。お二人がお待ちなのです。喜んでいただければいいのですが」

 既に日は沈んでいた。夜に向けて人通りが多くなっていく市場を後にすると、すぐに人影が少なくなる。一般兵の営舎とは離れた、士官用の営舎の方向だからだ。

 耳が寂しいくらいに静かになった帰り道で、ふと、ラヴィニアが尋ねる。

「そういえば――中尉」

「ん?」

「エリシェさんが、どういった出自の方かお聞きしていなかったのです。差しさわりがなければ教えていただけますか?」

 クローディアは言葉に詰まった。ハミルトンの語ったことをそのまま言うことは出来ないし、かといって敵の司令部から逃げてきた娘でスパイの可能性もある、などと言うのも躊躇われる。

「……すまない」

 ごまかしもせず、それだけを言った。ラヴィニアは特に気を害した風でもなく、世間話をするように口調を変えずに言った。

「謝られることはございません。ウィンドグレイス卿がわざわざ手元に置きたがるような方ですから、易々と言えない理由があるのでしょう。卿は深慮遠謀の方でいらっしゃいますし、その心中を計るような無作法も出来ませんわ」

「すまないな」

 クローディアとて、ハミルトンがいったい何を考えているのかは知らないのだ。ハミルトンが語らない限り、知るべきではないと思ってもいる。

「謝られても、困ってしまうのです。でも、悪い方とは思えません」

「そう――だな」

 肯定するのは、何も知らないラヴィニアの前だからか。それとも、クローディア自身がエリシェという素性の知れない少女を信頼しかけているのか。もはやスパイであればいいなどとは微塵も思わないが、そうでなければいいと願う気持ちが生まれていることに、彼女自身は気付いていなかった。

 まばらな街灯に照らされた薄闇の中、営舎の古びた石壁が見えてくる。食堂にでも向かうのか、数人の顔見知りの士官とすれ違う。それがプライドだけは無駄に高い貴族出身者なら安っぽいビニール袋を提げたクローディアに後ろ指の一つでも指すところかもしれないが、幸い相手は同じ騎士だ。足も止めずに軽い挨拶だけを交わした。

 部屋に調理場はないため、一階に小さなスペースが設けてある。小さなコンロが二つとシンクが一つ。本格的な料理をするには物足りないが、趣味で楽しむならどうにかなる、といった程度の設備だ。

「手伝うことはあるか?」

「中尉の手を煩わせるまではありません。それに、この調理場は狭いので。二十分ほどしたら、部屋まで料理を運ぶのを手伝ってくださいます?」

「了解した。済まないな」

「お気になさらず。わたくし、四人分を一気に作るのは初めてなので、楽しくなってきたのです」

 上着を脱ぎ、袖まくりをしたラヴィニアが楽しそうに歯を見せた。 









 おお、という三人分の声が重なる。机の上に、使い捨ての大きな紙皿に盛られた麺が油を纏って輝いている。軽く火を通したローストビーフの香りや野菜の色合いが胃の底を刺激する。

 ラガーナという、ファイレクシアだけでなく今では大陸中に普及した一般的な麺類だが、今までに食べてきたどれよりも、目の前の簡素な皿に盛られた輝かしい料理はおいしそうに見える。

「これ、ラヴィが作ったの?」

「はい。お口に合えばよろしいのですが」

 どうやら部屋を区切る壁を壊して二つの部屋をつなげたらしい、一人で使うには持てあましそうなキャロルの部屋で、アニス・クローディア・キャロル、そして取り皿を配り終えたラヴィニアが机を囲んで座る。中心にラガーナが置かれ、各人の取り皿の脇には簡単なサラダとグラスが置かれている。

「では、ささやかだがエリシェの歓迎会を始めよう。軍籍にあるわけではないから、入営祝いというわけではないな。――乾杯」

「乾杯ー!」

 勢いよくキャロルの酒の入った杯が、その下をくぐるようにアニスたちの果汁の杯が掲げられる。

「では、早速頂きます」

 無遠慮に伸ばされた肉叉が回り、麺をからめてキャロルの皿に移動させられていく。負けじとアニス、クローディアの肉叉も伸びる。適当に麺をからめて引き寄せながら見れば、一見無作法なように思えたキャロルの食べ方は、音を立てずに口も汚さずに、麺に絡んだ油を跳ねさせることすら許さない気品を帯びていた。

「んー、固さは好みだよ。ちょっと塩味入れてあげたいかな。エリシェ、そっちの塩とって」

 ナプキンで口元をぬぐいながら、こちらに手を出す。一瞬見たことのないような動作に目を引かれていたアニスは、不意をつかれて眉を上げた。

「あ、すみません」

「……? あげないよ?」

 塩の瓶を受け取りながら肉叉を立てて威嚇するキャロルを見て、クローディアが苦笑をこぼした。

「普段は無作法を気取っているくせに、気取った仕草が抜けていないのが面白いのだろう?」

「なにそれ。別に気取ってなんかいないけど」

「私から見れば、だ。まあ喰いたいように喰えばいいさ。……美味いな。流石ラヴィニアだ」

「お褒め戴き光栄ですわ。足りればいいのですけれど」

「早い者勝ちってことね――クローディア、一気に取り過ぎじゃない!? それも肉の多いところ!」

「早い者勝ちと言ったのは誰だ」

「うぐっ……でも、そこは肉汁が野菜に浸みこんでて麺に野菜のシャキシャキした食感が合わさって最高に美味しそうなところだったのに! よりによってそこを取るなんて!」

 楽しげに飛び交う会話を、アニスは手を止めて聞き流していた。こうやってテーブルを囲みながらの食事は、任務の一環のような会食をのぞけば久しいものだった。始めのうちは士官学校時代の懐かしさを感じていたアニスだが、やがて共に食事をしながら語り合った仲間のうち何人もが、ファイレクシアとの戦いの中で命を落としたことを思い出す。

 自分は何をやっているのだろう。呑気に食事をしている三人の娘の害のない笑顔が見えなくなり、声が遠くなった気がした。

「――さん、エリシェさん」

「……!」

 気づくと、ラヴィニアが心配そうに顔をのぞきこんでいる。首を振れば、クローディアとキャロルも同じような表情で手を止めてこちらを見ていた。

「お気に召しませんでしたか?」

「ええと――いや、違うんです。大丈夫です」

 妙に力を入れて握っていた肉叉を離し、果汁入りのグラスを傾ける。一気に半分ほど減ったグラスの表面に、歪んだ少女の顔が映った。

――今の私は、エリシェ・コスだ

 少なくとも、味方に戻るまでは、そうであろうと決めたはずだ。もう一度グラスを傾け、こみ上げるものと一緒に喉の奥へ果汁を流し込む。

「すみません、ちょっとぼうっとして」

「なに? ラヴィの料理が美味しすぎた?」

 空気を変えようと、からかい混じりでキャロルが笑う。

「私が結構いけると思うんだから、かなーり美味しいと思うんだよね。なにか薬でも入ってるか疑うくらい」

「ふふっ……どうでしょう」

 調子に乗ったキャロルの軽口に、ラヴィニアは意味ありげな笑みを返した。

 空気が凍る。

「――入ってない、よね?」

 口元に運ぼうとした肉叉を、キャロルがゆっくりと下ろす。アニスとクローディアも、自分の皿に乗った麺をじっと見つめる。ラヴィニアは笑顔のままだ。

 三人は、ラヴィニアという少女の性格を思い出した。柔らかな物腰の令嬢の仮面の下に隠された、偏執的なまでの同姓へのアプローチを。心なしか、体の中がむずむずと熱くなってきた気がする。

「ふふっ」

 ラヴィニアは笑みを深め、

「冗談ですよ。隠し味に、皆さんへの愛情を注ぎこんだくらいなのです――ああ、もちろん、比喩ですよ?」

 脱力し、皆は大きく息をついた。

 おかげで腹の底からこみあげてきた嫌なものも一緒に出たのか、どこかに消えてしまったようで、アニスは手を付けていなかった自分の取り皿へ肉叉を向ける。僅かな歯ごたえを残した柔らかい麺は、シンプルながら味と触感で味覚を楽しませる。ごくりと飲み込み、流れるように肉叉を進めさせるだけの美味しさがあった。

「ふふっ」

 再び料理に手を付け出した三人を見、ラヴィニアは楽しそうに再度笑った。

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