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浴室にて

メイン4人、一度に集まるのはこれが初めて。本格シャワー回(という言葉があるかは知らない

「お帰りなさい」

 復習にもならないようなフレーム操縦の基礎の基礎を読み流していたアニスは、部屋の扉が開く音に反射的に口を開いた。クローディアが顔をのぞかせる。背後から、廊下に差し込む西日が目を焼いた。

「退屈させて済まない。気晴らしというのも難だが、共同の浴室に連れて行ってやろう」

 放り出された教本に目をやったクローディアは、クローゼットから替えの下着とタオルを取りだし、アニスにも大小のタオルを放る。その間に、布が挟まれている――引き出してみたそれは、ビニールに入った無地のパンツだ。

「ちゅ、中尉。これは」

「安心しろ、新品だ。寝る時もブラを付けるなら、そちらも貰ってくるが」

「い、いいえ、けっこうです」

 アニスは今更ながらに自分が女性用の下着を付けていることを自覚し、羞恥に顔を赤くした。あまりにも少女の体に馴染みすぎて違和感を覚えていなかったのだ。

「そうか。準備が出来たら行くぞ。今の時間なら、まだ空いているはずだ」

 アニスの様子に気づかないのか、クローディアは疑問を浮かべることなく部屋を出る。

 退屈していないわけではなかったが、延々と部屋の中に居て気が塞ぐのは確かだ。アニスはタオルに顔をうずめながらクローディアに続いて扉をくぐろうとする。

 と、クローディアの後ろ髪がわずかに湿っていることに気付いた。

「中尉は、すでに入られたのですか?」

「私の新しい乗機を試してきて、汗をかいたからな。軽く流してきただけだ」

「乗機……ということは、フレームですか」

 そういえば、クローディアは自分の機体を破損したと言っていた気がする。それが事故で無いとすれば、ほぼ間違いなく、あの攻勢の中にクローディアも混じっていたのだろう。もしかすれば、戦場で撃墜した機体の中にクローディアがいた可能性すらある。

 戦場で敵味方に分かれていておかしな話だが、アニスはクローディアが殺さなくて――殺されなくてよかったと思う自分に気づいた。たった二日ばかり共にいるだけだが、アニス個人としてはこの真面目な軍人を好いていた。それで原隊に帰還する意思が減ぜられることは無くても、そのために彼女に正体を隠し通さなくてはならないことが負担に感じられ、同時に隠し通したいとも思っている。この複雑な心理を、アニスは軍人と個人の立場上の意識の差だと考えていた。

「詳しいことは言えんが、いい機体だ。訓練にも熱が入ってしまった。ラヴィにもつき合わせてしまったしな」

「ラヴィニア少尉?」

「ええ、わたくしです」

 名前を出した瞬間に声をかけられ、アニスは目を丸くした。おそらく、廊下の前で待っていたのだろうが、登場が唐突に過ぎた。

「わたくしもご一緒させていただきます」

 嬉しそうに言うその手にはタオルが握られていた。初対面からやや苦手意識を埋め込まれてしまった相手だけに、アニスは引くことはしないものの、驚いたこともあってきゅうと息をのんだ。

 悪い人間ではないのだろうが、年頃の少女に同年代として接されるのはくすぐったい恥ずかしさを催すのだ。

 そんなアニスの態度にもラヴィニアは笑顔を崩さず、愛おしげに口の端を上げる。

「早いところ済ませるぞ。ウィンドグレイス卿のご意向で置いているとはいえ、エリシェをあまり人に見られても面倒だ――」

「あれ、みんな、どっかいくの?」

 クローディアの声に被せるように、三人の目の前で隣室の扉が開く。声の主はキャロルだった。寝起きなのか髪は乱れ、前を開いたまま肩にひっかけられた軍服の下のシャツはボタンが三つほど開いて下着が見え隠れしている。

 とっさに視線をそらすクローディアとアニス、なぜか目を弓にするラヴィニアの前で、キャロルは寝ぼけ眼をこすりながら三人を順に見、

「あー、風呂? いいね、私も行く」

 部屋に顔をひっこめたかと思うと肩にタオルをひっかけて出直してくる。

「キャロルさん、前が開いているのです」

 ラヴィニアが近寄り、まるで幼児にするように手慣れたしぐさでシャツのボタンを止め、軍服に腕を通させた。為すがままにされているキャロルの目はやはり半開きで、それをみたラヴィニアは顔を近づける。

「ふぅっ」

「ひゃいっ!?」

 耳に息を吹き込まれ、背筋に電流が流れたかのように飛び上がるキャロル。ラヴィニアはころころと笑う。

「少しは眠気も飛びましたか?」

「じゅ、じゅーぶんにね……」

「廊下で騒ぐな。いくぞ」

 クローディアが気を引くように靴の裏で廊下を叩き、歩き始める。

 階段を降り、一階の廊下を抜けて玄関をくぐり、アパートを改装した営舎の裏手に回る。元の町にはなかったであろう、明らかに後付けで作られたプレハブの建物が、夕暮れの営舎の影にひっそりと佇んでいた。

「司令部の方にも大浴場があるしから、事務作業ついでにそちらを利用する人間も多い。こちらは小さい分空いているんだ」

「まあ、徹夜の時とかは面倒くさいからこっちで身体あっためることも多いけどね。この時間なら誰もいないでしょ」

 珍しい横開きの扉を開くと、カーテンの先に木の板が引かれた脱衣所がある。遠慮なしに服を脱ぎだす三人から隠れるように、アニスは隅でひっそりと着替えようとした。

「隠さなくてもいいじゃん、ここ、いちおう男女別だしさ」

 声を投げられるが、実は中身だけ男性のアニスとしては、目のやり場に困るのだ。不審がられないためにも一応服を脱いでいくが、今度はワイシャツを押しだす自分の胸が気になり、頬が朱に染まる。

「どしたの? 手伝おうか?」

 ひょいと背後から覗きこんでくるキャロルに、きゃっ、とらしからぬ悲鳴をあげてしまう。アニス以上にキャロルも驚いたのだろう、大きな目を瞬かせる。

「そんな驚かなくてもいいじゃん――っていうか、胸、けっこうあるね。そっちのが驚きだよ」

 言われ、慌ててはだけた胸を隠す。浴室の扉を開いたラヴィニアが平然と言った。

「そんなことは今更なのです。元の大きさに加えてエリシェさんは細身ですから、脱げば実際以上というところもあるでしょうし」

「あまりまじまじと見られるのは……」

 両腕で胸部を抑えながら言えば、ラヴィニアは唇の前で指を立てる。

「失礼しました。でも、恥じることのない、むしろ誇るべきものであるとは思うのです。形も大変よろしいですし、そのプロポーションを羨む方は多いかと」

 顔色一つ変えずに言われると、どんな反応を返せばいいのかすら分からなくなる。困惑するアニスに追い打ちをかけるようにキャロルが睨み顔を作り、

「そーだよ。そんな立派な身体つきでおどおどされると、こっちが惨めになってくるわ。そんなわけで隠すの禁止!」

「そう言われても……」

 まあ、今の身体はアニス自身が見てもそれなりのものだとは思うが、それが他人のものか自分のものかで大違いだ。女性らしいプロポーションというのは見ている分には羨ましかろうと、今のアニスにとっては羞恥心を加速させる装置でしかない。結果として、さらに身を縮こませてしまう。

 それがキャロルを煽る結果となると分かっていても、ほとんど無意識の行動なので止めようがない。両手を開閉しながらホラー映画さながらににじり寄るキャロル。

「ああもう、なんかこう、ムラムラくるというか、いじめたくなるなぁ、もう!」

「キャロライン・ガーフィールド少尉。更衣室で騒ぐな。軍人たるもの何時如何なる時も厳粛を保て。エリシェも恥ずかしがっていても仕方ないだろう。とっとと入ってしまえば気にならん」

 シャワーの音を背景に、浴室からクローディアが顔を出した。気づけば、いつの間にかラヴィニアも更衣室から消えている。

 クローディアに言われ、キャロルはしぶしぶというようにタオルを纏って浴室の湯気の中に消える。これ幸いと、アニスも急いで――背中のブラのホックを外すのに難儀したが――服を鍵付きのロッカーに入れ、タオルを持って浴室へ向かった。

 淡く湯気が立った浴室は、思ったほど広くはない。壁は柔らかな色合いのタイルで覆われており外見の急造さを感じさせないが、特に目立った設備はなく、半透明の板で区切られたシャワーが七つほど壁に沿って並んでいるだけだ。皆で入る共同浴場というより、部屋に付ける分のシャワーを集めたような感覚だ。

 タオルを握って身体を隠しながら湯気の中を進み、空いているシャワーを探す。水はやはり、すぐに適温の湯に代わる。

「そう大層なものではなくて済まないな。司令部の大浴場ならば身体を浸す風呂もあるんだが」

 どうやら隣を使っているのはクローディアらしい。湯気と板に隠れた影が、身体を洗っている。

「こんなところに、浴槽があるんですか?」

 このあたりは水源が豊富だが、わざわざ基地の中に大量に水と燃料を使う風呂を作っていることに、アニスは驚きを隠せなかった。

「大浴場は古くから社交場と同意義ですから。相手の階級や爵位を考えずに会話が出来る場所として、むしろ必須のものなのです。無論、実際にはそう和やかなものでもありませんが、ゆっくりと湯につかれるだけでも前線のストレスを軽減する効果がありますしね」

 どこからかラヴィニアの注釈も飛ぶ。なるほど、とうなづきながら、適当な石鹸を手にとって身体を洗う。視線のやり場に困り、やや乱暴な手つきで軟肌が泡につつまれていく。タオル越しに感じる、沈むような脂肪の柔らかさは、気にしないことにした。

「ん、エリシェはこっち?」

 キャロルが背後から声をかけてくる。ちょうど髪のシャンプー中だったアニスは目を開くことも身体を隠すこともできず、せめてもの抵抗として背中を見せたまま応える。

「なにか御用でも?」

「いやね、あんまりきれいな髪だからさ、どんな洗い方してるかとか気になって」

「別に特別なことは――」

 そもそもが自分の髪で無いのだから、そんなことを言われても答えようがない。アニスは髪の手入れなどしたことがないので、長い髪にまとわりつく泡を流し、手櫛で梳いていくだけだ。そんな方法では髪が傷むかもしれないが、手入れなどどうすればいいかも分からないし、普通の髪と同じ手入れで良いのかもわからない。

「ってことは、やっぱり生まれつきかなぁ。いっそのことエリシェの皮剥いで着こんだらエリシェみたいになれるかな」

「か、皮――!?」

 冗談で言ったのだろうが、アニスにとってそれは洒落にならない。思わず泡を飛ばして振り返ると、キャロルが笑みをこぼす。

「冗談で言っただけよ。そんな慌てなくてもいいじゃん……って、うわっ」

「冗談でも猟奇的なのです」

 ラヴィニアの声は、シャワーの湯を伴ってキャロルを直撃した。横から降り注ぐシャワーが、髪に残っていた泡を流し落としていく。

「キャロルさんの外見も、溌剌として可愛らしいのです。エリシェさんとは優劣ではなく方向性による差異を持って素晴らしいと断言できます。それと、きちんとシャンプーを落とさないと髪が傷んでしまうのです」

「わ、分かったから、止めてってば」

 褒められた恥ずかしさからか、それともただ体温の上昇によってか、肌を桜色に染めたキャロルが自分のシャワーブースに引っこんでいった。髪を洗い直しているのか、再びジャワーの音が聞こえ始める。

「お前たち、もう少し静かに入れないのか……私は先に出るぞ」

「では、わたくしも」

 クローディアの声が響き、更衣室の扉が開く音がした。アニスも続きたかったが、いかんせん無駄に長い金髪は薄く残った泡を流すのに時間がかかる。早く出なければ、一人だけ皆の前で着替えなければならなくなる。シャワーを強めに出して髪を洗うが、ラヴィニアがキャロルに投げた言葉が引っ掛かり、焦りもあって何度も同じ場所を洗い流してしまう。

 最後に絞ったタオルで軽く全身の水分を落とし、ようやく更衣室の扉に手をかけた、その時。

『お加減はいかがですか、中尉』

『あぁ、悪くない……くふぅっ』

『ふふ、中尉はここが弱いですね。それに、しばらくこういうこともしていませんでしたから、だいぶ固くなっているのです』

 更衣室から聞こえてきた会話に、アニスは扉を開こうとした手を止めた。

『だからって、そんなに強く――うんっ、あぁ、慣れるものではないな、この……中に入ってくる感覚は……』

『もう少し力を抜いていただければ、楽になるのです』

『だが、な。この身体の芯から熱くなるような感覚がな――それに、こう、ヌルヌルと……くすぐったいというか、こそばゆさが』

 一体、更衣室で何をしているのだろう。好奇心に駆られるが、なんとなく見てはいけない光景が広がっているような気もする。

 ひっという、クローディアらしからぬ少女のような高い声。

『ラヴィ、そこは』

『あら、力を込めたつもりはないのですが』

『痛いわけではないが、くすぐったい……や、やめろ、指の腹で撫でるのはっ』

『あら、申し訳ありません。中尉の反応がお可愛らしくて、つい』

『――身体が火照ってきたな。汗を流すついでに、冷水でも浴びるか』

『まだ終わりではないのですよ。ここからなのです』

 ごくり。アニスの喉がなった。全神経を耳元に集中させる。うら若き女性たちの体温すら感じるような吐息が扉越しにも聞こえてくる。

 一体何を――と唾をのんだアニスは、背後から近づいてくる人影への反応が遅れる。

「なにしてんの?」

「わっ!?」

 息をひそめて更衣室の声を探っていたアニスは、いきなり声をかけられ、小さな悲鳴とともに背筋を伸ばす。心臓の鼓動を押さえつけるようにタオルを抱きしめたアニスに不可解に眉を寄せながら、キャロルが更衣室の扉に無遠慮に手をかける。

「あ、ちょっと、待っ――」

 「あ」の形に口を広げたアニスの眼前で、扉が開かれた。

 そこには、パンツをはいて両肩にタオルを渡し木製の小さな椅子に腰かけたクローディアと、その足元に跪くやはり下着姿のラヴィニアがいる。二人とも、口を開いたまま固まるアニスに疑問符を浮かべた視線を向けた。

「な、なにを、なさっていました?」

「何を――といわれてもな」

「足裏マッサージなのです」

 絞り出すようにアニスが訊くと、ラヴィニアはオイルか何かで妙に光った手のひらをこちらに向ける。顔を赤らめたクローディアが続けた。

「ラヴィの技術は相当でな。つい頼んでしまう。指先が足の裏から入ってくる感触とほんのりと広がる温かさが癖になってな。驚くほどに疲労も取れる」

「中尉に喜んでいただけるのなら、全身でも揉みほぐして差し上げますわ。よろしければ、エリシェさんもいかがです?」

「え……遠慮しておきます」

「っていうか、エリシェはそこで何してたのよ」

 慌てて手を振るアニスの背後で、キャロルだけが首をかしげていた。

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