昼食
世界観というか、背景説明回
「どうも今日は出くわすことが多いな」
「あら、まだ二度目なのです。わたくしとしては、日に何度も中尉にお目にかかれて眼福ですわ」
営舎に戻ったクローディアは、また階段の上でラヴィニアとかちあい、軽い既視感を覚えた。ラヴィニアは、クローディアが両手に抱えた油紙の包みを見る。
「今からご昼食ですか?」
「ああ。雑事を片づけていたら少し遅くなった。エリシェを置き去りにしたままだから、様子見ついでだな」
「いくら愛らしい方だからといって、小動物でもありませんのに。ずいぶんとお気になさっていらっしゃるのですね。それとも、お気に入り、ということでしょうか」
くすくすと笑うラヴィニアには、まさかスパイの可能性があるから半ば軟禁しているとも言えない。
「よろしければ、わたくしもご一緒させていただけませんか?」
「それは……」
クローディアは一瞬言い淀み、次の言葉を発する前にラヴィニアが先んじて言葉を放った。
「ご都合が悪ければ結構ですが……」
眉を下げつつも、瞳は動かずにこちらを見つめてくる。柔らかそうな物腰とは裏腹に、押しの強い部分もある。柔と剛の使い分けは、クローディアよりも彼女の方が数段上手だ。
彼女を同席させて悪い理由はないが、軍属でもなく経歴もはっきりしないエリシェをあまり多くの人間と関わらせるのは望むところではない。万が一でも口車に乗せられて情報を流したり逃亡の手引きでもされたら、クローディアの首一つでは済まないのだ。ラヴィニアならば、という気持ちはあるが、クローディアの黒曜石のような使命感と忠誠心は例外を良しとしない。
だが、年頃の少女を殺風景な部屋に閉じ込めておくということに罪悪感を感じるのは確かだ。機密情報の倉庫のような基地で身元のはっきりしない人間を保護するのに適切な処置ではあるが、軍人としてでなくクローディア・コープランド個人としては、気晴らしになるのならと思うのも確かだ。
「まあ、いいだろう。お前の分の飯は用意していないが」
「わたくしは済ませてきたので。では、ご一緒させていただきます」
別に、笑顔から発される圧力に屈したわけではないと言い訳しつつ、肘でノブを押しながら部屋の扉を開く。
ベッドに腰掛けて教本に目を通していたらしきエリシェは、こちらを見ると膝の上で開いていた本を閉じ、立ち上がる。
「昼食だ。喰え」
油紙を渡すと、初めて餌を与えられた子犬のように遠慮がちに包みを開く。茶色く焼けたパンの端とともに、焼けた小麦の香りが鼻をくすぐる。中身はサンドウィッチだ。
食欲に負けたのか、立ったまま分厚いサンドウィッチを三分の一ほど一気にほおばる。ラヴィニアが柔和な笑みを浮かべてそれを見ている。
クローディアは、机の上に見覚えのないビニール袋が置いてあることに気付いた。中身は瓶に入った酒だ。
「これは?」
「キャロル少尉が……そういえば、置いていったままです」
ごくり、とパンを飲み込んだエリシェが応える。クローディアがラヴィニアを部屋に入れるか思案していたというのに、あの無遠慮で人懐っこい娘は無断で入ってきてエリシェと会話したという。内容は他愛ない雑談だったらしいが、キャロルに対して怒る前に、苦悩した自分がばかばかしくなる。
とりあえず、無断侵入の罰で酒は没収しておこう、とクローディアは思った。机から椅子を引き出し、座りながら油紙を開く。
「ラヴィニア少尉は、昼食は?」
「わたくしはもう頂きましたので。ひさしぶりに、ゆっくりと昼食を楽しめましたわ」
「……そうだな」
エリシェの問いにラヴィニアが答え、クローディアがうなづく。
「キャロル少尉はスクランブルが解けて、と言っていましたけど、それと関係が?」
「ええ。この三日間はずっと緊張状態でしたからね」
「エリシェはまだ民間人だ。あまり軍のことは――」
「そうですわね。でも、せっかく中尉の武勇伝もありますのに」
クローディアが釘をさすと、ラヴィニアは残念そうに眉を下げる。
「武勇伝なものか。我々が参加していながら、友軍を二十機近く失ってしまった。結局敵の後退を許し、確保した拠点も放棄せざるを得なかったのだからな。おまけに機体まで中破させたとあっては……ウィンドグレイス卿に見せる顔もない」
鼻を鳴らしてサンドウィッチにかじりつくクローディアは、エリシェが興味深げにこちらを見ていることに気づく。腰を下ろしたベッドの上には、フレーム操縦の基礎を記した教本が置かれている。
「興味があるか、フレームに?」
「はい。中尉と――ラヴィニア少尉も、フレームパイロットなのですか?」
「ええ。私とキャロルさんは、中尉と同じ部隊ですわ」
ちら、とラヴィニアがこちらを見て視線が交差する。無言でクローディアは頷いた。全体ではなく、部隊規模の話なら、むしろエリシェに話しておいた方がいいかもしれない。
「わたくし達は、ウィンドグレイス卿直属のフレーム部隊に属しておりますの。軍ではなく、卿個人の命令によって出動する、いわば親衛隊のようなものですね。機体や所属は西方機甲混成大隊となっていますが、卿の意向如何で転属になることもありますし」
「……ということは、この戦場から離れることもあると」
どこか不安げにエリシェが問う。クローディアにはそれが何に起因するものかは分からなかったが、ラヴィニアには、一人だけ離れさせられるかもしれないという不安と捕らえられたようだ。幼い子供を安心させるように、必要以上に笑みを深めて顔を寄せる。
「ええ。ですが、その場合はわたくし達全員での、部隊規模での転属となりますから離れ離れになることはないのです」
「それは、たとえば何時(いつ)――っ」
「失礼」
何かを言おうとしたエリシェの口の端に、ラヴィニアの指が伸び、撫でる。驚きに目を白黒させる彼女の前で、ラヴィニアは指の腹を舐めた。
「マスタードが付いていましたので」
「あ――ありがとうございます」
「どういたしまして。美味しいでしょう? わざわざこんな僻地まで、皇都から料理人を連れてきているのですから」
軍隊にとって、食事は栄養を取るだけの行為ではない。娯楽の少ない戦場では、食事の質は士気にかかわるのだ。どこの国でもいわゆる携帯口糧には気を使っているが、ファイレクシアの場合は戦地でも専門の料理人が作った食事をとり、午前と午後のティータイムにはやはり専門技能を持ったメイドに紅茶を入れさせる。
恩恵に預かれるのは士官以上だけとはいえ、食事に関しては至れり尽くせりだ。
今食べているサンドウィッチも、挟むパンはわざわざ焼き立てが用意され、野菜は新鮮、生ハムの塩加減も完ぺきで、加えて素材の味を殺さずに適度な味の変化を楽しませるように調味料が添えられているのだ。ゆっくりと食事を取るための食堂が用意されているためわざわざ部屋で食事を取る者は少なく、このサンドウィッチですら「雑な」食事に当たる。
「美味しいです。毎日、こんなものを?」
「ええ。一般の兵卒は配給食ですけれど、そちらもかなり気を使われているようですね」
「ファイレクシアの平民出身はな。それ以下の被支配地民には、逆にほとんど気を使われていないのが現状だ」
一つ目のサンドウィッチの残りを一気にほおばり、クローディアは窓の外に視線をやる。
被支配地民の兵卒が与えられるのは、士官の食材の余りや残った飯を温めなおしたものだ。豚の餌などと揶揄される食事はビュッフェ形式と言えば聞こえはいいが、残り物を適当に皿に盛っただけである。量はともかく、質は平民の兵卒から見ても劣る。
それでも、彼らは志願兵だ。それだけ、被支配地民の食糧事情は悪い――というよりもあえて悪くすることで志願兵を確保しているというべきか。
「いたしかたない、とは言いません。しかし、一種の競争原理を期待していることもあるのです」
「頑張れば名誉市民として平民になれる、そのモチベーションを維持するためにあえて待遇に差をつけている――理屈はわかる。だが、フラストレーションを溜める原因でもある」
「しかし、他の被支配地民と比べれば上等の暮らしを与えているのは確かです。それ以上を与えれば、今度は志願兵でない者たちからの突き上げが起こるでしょう」
「全員を貴族にしろ、などという気はない。そういった国であることも理解している」
視線を外に投げたまま、柔らかいパン生地を食いちぎって、クローディアは言った。
「だが、それでも私は身分だけで誰かを嘲笑い、身分だけで誰かに嘲笑われるというのは気に食わない――せっかくの食事がまずくなるな。すまない」
「いえ、中尉がそういったことに関心を持っていらっしゃるというのは素敵なことだと思うのです」
「所詮はウィンドグレイス卿の受け売りだ」
「子爵の?」
口を止めて議論を見守っていたエリシェが、意外というように声を発した。
「貴族の中でも、そういった考えを持つ方が?」
「少数だがな。卿は、そういった待遇の是正がファイレクシアをより強くするとお考えだ。一部の者が身分に胡坐をかいて惰眠を無さぶるよりも、相応しい者を発掘すべきだと」
「わたくしも、共感しないわけではないのです。しかし、根本的な構造は五百年来の伝統。それを壊せば、待っているのは混乱、それが呼び起こすのは戦火です」
「それもわかる。大陸を覆った革命の嵐の中、ファイレクシアは台風の目のように無風だった。周囲で起こったことを客観的に観察できたが故に、貴族でなくともそういった保守的な意見はある。――まあ、私自身の意見は間違いなくウィンドグレイス卿に感化されたものだ。卿がそういった思想の持ち主でなければ、私はここにはいないからな」
適当な落とし所を探し、クローディアはそう言って言葉を切った。どの道、彼女たちがどうこう言っても始まらない話題なのだ。だからこそ好き勝手に語れるというものだが。
手元に残ったサンドウィッチを食べきるまで、皆が無言だった。
最後に飲み口のついたパウチ容器に入った紅茶を吸いだし、ゴミ箱に放る。
ふぅ、と一息ついた勢いで声を出した。
「午後の予定は――」
「中尉。テレサさんが機体を見ていただきたいと仰っていましたが」
今の瞬間に思い出したようにぽんと手を打ったラヴィニアに、そういえばそんな連絡もあったことを思い出す。急ぐ用事ではないが重要でないわけでもないし、時間が取れるときに澄ましておきたかった。
「ああ、そうか。そちらを見に行かないとな。……エリシェ、済まないが」
「私は大丈夫ですよ。ここで待っていますから」
片手で教本を拾い上げるエリシェ。
「悪いな。帰ったら、浴室に案内してやるから、しばらく待っていてくれ」
「わたくしもご一緒にお留守番をしたいとは思いますが――中尉にお付き合いいたしますので。また後でお会いしましょう」