流転する戦場
はじめまして。まあ、適当にお付き合いいただければ幸いです。
『第七混成気孔中隊、通信断絶!』
『第三機動装甲兵団、消耗率四割を突破、後退許可を求めています!』
『右翼のフレーム隊は壊滅寸前で撤退中……このままでは脇腹から喰われますよ!』
『予備の第五中隊を中央に充てろ、右翼への援護射撃を行え!』
司令部は混迷に満ちていた。戦場の後方に鎮座する五階建てのビルを横倒しにしたような指揮車両には前線での砲火の音こそ聞こえてこないものの、モニターに映る刻一刻と変化する戦場の概略図――それも味方の布陣が突破される形に――を見て飛び交う怒声はそれに匹敵する緊張感を帯びている。形式を無視して必要事項だけを手短に伝える声は、そのすべてが味方の不利を伝えていく。指揮所の中央で若き大隊長、アニス・コスは椅子を跳ね飛ばして立ち上がり、怒声に対して指示を投げていくが、戦場を映したモニターの中、森や平野、街の描かれた平面の地形図の中で、自軍は次々と後退し、各個撃破されていた。
「中佐、このままでは全滅です。全軍に撤退命令を」
顔面を蒼白にした副官の大尉が進言するがアニスは首を振り、
「本隊の支援到着まで、この戦域を維持するのが、今の我々の役目だ」
「敵の火力は我々のそれを上回っています。すでに戦力の二割半を損失しています。特に右翼の二個中隊は消耗率が五割を超えています」
戦力の三割を喪失した軍団は、その戦略単位を維持することが不可能になる。つまり、壊滅と同意義だ。必死の形相で副官が詰め寄るが、アニスの目はモニターをにらんで離さない。混乱した現場から指示を仰ぐ声が、司令部を埋め尽くしていた。
「我々が引けば、本隊の迎撃ラインの一番薄い場所を晒すことになる。すでに救援も出ているはずだ」
「その救援が来るまで持ちこたえられなければどうしようもありません。戦力を温存し、奪還を図るべきです」
「大尉、貴方はこれ以上兵士の断末魔を聞きたくないから逃げようとしているだけだ」
「中佐!」
言いつのる副官は、振り向くアニスを見て言葉を切った。彼と同じか、それ以上に悲痛な顔がそこにあった。
強大な軍事国家ファイレクシアに、明け渡すように祖国を併合されて三年。その間も、かつての国防軍司令部と一部の政治屋は残存した兵力を後方の山岳地帯に移して激しい抵抗を行い、いまだ僅かに併合されていない祖国の一部にファイレクシアの兵士を通したことはなかった。
アニス・コス率いる第六混成大隊は、正規軍だったころからアニス自身が育て上げた部隊だ。精鋭で知られ、本隊の急所となるこの位置の防衛を任されたのもそれ故だ。
本隊の背後を一心に背負うような大任だったが、彼の大隊はそれを良くこなし、幾度となくファイレクシアの軍勢を退けてきた。三年の間に、彼の配下の四割が補充兵と入れ替わっていた。
そして今日、今まで以上の激しい攻撃に晒された彼の部隊は、さらなる血を戦場に――亡き同僚たちの眠る地に流し続けている。
「お気持ちは解ります。ですが、ここで犬死をしては、兵士たちに申し訳が立ちません」
「……だが、命令は遵守する」
「撤退すべきです!」
「各部隊を第三線まで下げさせろ!撤退ではない、後退だ! 戦力を結集して防衛線を再構築、増援と補給を待つ!司令部に残った戦力を後退支援に充てる」
語気を荒げる副官を遮り、アニスが命令を下した。次々と命令が反復されていく中、副官は眉を立てる。
「左翼、中央は後退が可能です。それでも一割近い犠牲を出すでしょうが。……しかし、右翼はすでに潰走寸前、中央が後退すれば包囲殲滅されかねません」
「そちらの後退には、残った戦力を支援として投入する。司令部の防衛をしているフレーム部隊も出せ」
「しかしそれでは司令部が無防備になります。右翼が突破されれば命令系統が完全に寸断され、撤退戦も行えなくなります」
「残したところで、勢いに乗った敵は持ちきれんよ。こちらへの増援は敵も察知しているはずだ。防衛線を縮小させれば矛先も鈍る。それとも、司令部の防備を残しながら支援に回すほどの戦力が残っているとでも?」
それは、と言葉を切る副官。出撃命令を、とアニスが口を開いたとき、司令部の扉が開く。
「ありますとも。ありますとも、中佐殿」
「技術少佐? なぜここに」
副官が声を上げる。入ってきたのは、着崩した軍服の上に白衣を着た男。年齢不詳の顔の造作は優男風であるが、野暮ったい眼鏡と寝癖の絡まった髪がそのイメージを叩き潰している。元はファイレクシア出身で、開発部でも有数の技術と知識の持ち主である。下手をすればアニスなどよりもよほど大切にされている男だが、今は新兵器の実戦データ取りという名目で前線に来ていた。
「あなたは脱出の準備を。すでに我々は窮地に立たされています。今逃げれば、確実に友軍と合流できるでしょう」
「元よりそのつもりでしたよ。ですが、実戦データを取るのにこれ以上ない状況と聞きましてね」
「この戦場に新兵器の投入を行うと? それで負け戦を覆せるのなら、兵士など必要なくなるだろう」
アニスは、突然現れた技術少佐に目もくれず、指先で司令部のコンソールを操作して指示を出していた。気を悪くする表情を見せず、技術少佐は笑みを浮かべた。
「いくら私でも、そこまでの戦略兵器はまだ造っていませんよ。ですが幸運にも、右翼の撤退を支援する程度のことなら可能に出来る機体を、我々技術部は持ち込んでいるのです」
「……一応、話だけは聞こう。今は僅かな戦力でも欲しいところだ」
技術少佐は、戦域が示されたモニターを指さす。
「右翼が展開しているのは、右側の平地ですな? 後退するならば、今は廃墟となっている古い市街地があります」
にっ、と笑って白衣から携帯端末を取り出し、アニスのコンソールに何かのデータを映し出す。
それは、人型の機械のスペック表だった。
脚部ローラーと二足歩行を使いこなし、整地・不整地の区別なく高い踏破能力を誇り、特に森林や市街地では攻撃ヘリ以上の三次元機動を可能にした機動兵器。人間の骨格をベースにくみ上げたことからヒューマノア・フレーム、または単にフレームと呼ばれている。当然、この戦場でも何機ものフレームが両陣営に投入されていた。
「今更一機のフレームで戦局が変わるとでも?」
「スペックをご覧ください。現行のフレームに対し、三十パーセントもの軽量化に成功、さらに強度と耐久性の向上により機動性は五割以上の――否、もはや別次元の機動を可能としているのです。この機体を用いて旧市街地でゲリラ戦を展開し、敵を足止めすることが出来れば右翼の後退を大きく支援することが出来るでしょう」
「理想論だよ、技術少佐。君たち技術屋は机上の計算をしていればよいが、現場はそうはいかない」
「とんでもない! 我々ほど机上のスペックが偽りだと知っている人間はいません。それでもなお、それが可能と断言できるような機体を開発したと自負しております」
「ならば、このような負け戦に投入すべきではない。持ち帰って量産化すれば大きな戦力となるだろう」
「そのためには、実戦データが必要なのです。自然の影響を受けにくく地盤が安定し、それでいて遮蔽物の多い市街戦でなら、この機体のスペックを十二分に発揮できるのです!」
拳を握り熱く語る技術少佐に、副官とアニスはしばし口を開かなかった。一瞬、考えるように顎に手を当てた後、アニスはうなづく。
「――いいだろう。今は一機でも戦力は惜しい。貴官のその機体も後退支援に組み込むことにしよう」
「ありがとうございます、中佐殿。しかし――」
そこで、初めて男は顔を曇らせた。
「実は、パーツが一つ足りないのです」
「なんだと? ならばそれは論外というものではないか」
「いえ、じつは、そのパーツ自体は『ここ』にあるのです。ですから、それをお貸しいただく許可を戴きたいと存じます」
「非常時だ、持っていけるモノは持っていけばいい」
「では、お借りできますかな? ――中佐殿のお体を」
「なにィ……!?」
あまりにも突拍子もない発言に、アニスだけでなく、司令部全体が一瞬凍りつく。その間もやまぬ怒声に我に返り、喧騒が再び巻き起こった。副官が技術少佐に詰め寄る。
「技術少佐。いくら貴官でも、冗談としても笑えませんぞ」
「冗談などと。実は、余りにも高いスペックを実現するために、現状ではいくつもの搭乗制限を課しているのです。それに適応しているのは中佐他五名足らず、その中で最前線に居ないのは中佐殿だけなのです。そして、中佐のフレーム操縦技術は全軍の中でも信頼を置くことが出来ると聞き及んでおります」
「別に、最前線へ赴くことが怖いわけではない。だが、私がいなくなればこの司令部を、全軍を指揮するものがいなくなる」
「既に左翼と中央は後退戦を始めている様子。右翼さえ下げられれば、増援の到着まで防衛線を維持するのは精鋭たる第六混成大隊には容易なことでしょう。その間だけ、副官の大尉殿に指揮権を譲渡されればよろしい」
「技術少佐。あなたは軍籍にあれど軍人ではない。あなたに大隊のことを諭される道理はありません」
「私は単純に効率と可能性の話をしているだけだ、大尉。コス中佐の片腕たるあなたならば、中佐の不在時にも十分な指揮能力を発揮できると私は考えている。ならば、より確実に右翼を後退させるために、中佐にはそちらへ出向いてもらう方が、より確実と言えるのではないかね」
「それは机上の空論だ。もしも万が一が起こったときに中佐がいなければ、残った左翼と中央までが危機に晒される!」
技術少佐は肩を掴む副官から視線をそらす。眼鏡の奥の瞳が、アニスをまっすぐに射抜いた。
「……中佐殿。大尉殿にその能力がないと、貴方の口から仰られるのであれば。私はもはや口出しせず、機体を持って帰ります」
アニスは無言を返す。その目は刻一刻と変化するモニターに向けられている。
彼の頭の中では、これからの戦場の様子が完全に描かれているのだろう、と付き合いの長い副官は分かっていた。しかし、その結果はアニスだけが知っている。
アニスが、目だけで技術少佐を見た。
「ここから市街地まで、およそ三十分。右翼の後退、および敵の第一攻勢をしのぎ切るには三時間といったところだな。――大尉」
「はっ」
直立不動となる副官。一瞬の間を置き、アニスは言った。
「私が帰還するまでの、一切の指揮権を貴官に譲渡する。私が出撃した後、万が一にも帰還しなかった場合、貴官の判断により撤退戦を行え」
「……中佐」
「死ぬつもりはない。それに、すでに援軍が迫っている以上、ここを切り抜ければ敵の攻勢も収まるはずだ。正念場には誰もが気を張らなければならない」
「では、中佐殿、こちらへ。すぐに搭乗準備をいたします」
コンソールで指揮権の変更を指示、副官がそれを承認するのを確認し、アニスは技術少佐を追って司令部を出る。
護衛の兵に囲まれながら連れてこられたのは、通常の格納庫ではない、移動式のコンテナだった。
機密保持のため、と二人だけで入った狭いコンテナの中に、一機のフレームが膝をついて四つん這いになっている。如何にも工業製品じみた重厚感を醸し出す角ばった装甲を纏った現行機に比べて、流線形の多い、白磁のような装甲の機体だ。
「パイロットスーツは?」
「中佐殿専用のものを用意してあります」
「周到なことだな」
おそらく、ずっと機会を窺っていたのだろう。周到さに苦笑したアニスだが、技術少佐が取り出した『パイロットスーツ』を見ると、笑みを消して彼を睨みつけた。
「なんだ、それは」
「これこそ、中佐専用のパイロットスーツであり……中佐専用である所以です」
彼が手に持って揺らしたのは、体に密着する生地で出来ていた。それは通常のパイロットスーツを同じだ。だが、決定的に違う部分がある。
ひとつ。それが、明らかに成人男性用のそれとしては小さいこと。おそらく、十代後半の少女ならばどうにか着れる程度だろう。
ふたつ。通常は首までを覆い、さらに別にヘッドギアのような頭部を保護するパーツを付けるものだが、なぜかそのパイロットスーツには頭部を覆う部分まで肌色の生地があった。しかも、なぜかご丁寧に長い金糸の髪まで付いている。
みっつ。男性用としてはありえない、胸のふくらみを納める布がある。先ほど十代後半の少女、と言ったが、その印象はこのためだ。
「事情を説明してもらおうか、技術少佐。私はこれ以上貴官の冗句に付き合っているほど気が長くはない」
「中佐殿が困惑なさるのは無理もないこと。しかし、これでなければならない理由があるのです。まずサイズですが、この機体はコクピットが従来のものよりも小さく設計してあり、このスーツに収まる体でなければ本来の性能を生かすどころか、まともな戦闘機動すら行えないのです」
「その時点で、私は適正から外れるだろうな」
「このスーツは、着用者の体型を変化させる特別製です。むろん骨格などには厳密な適性がありますが――中佐ならば問題ありません。論より証拠、着用なさってみてください」
すでに、冗談を言っているような事態ではない。技術少佐の顔は真剣だった。それに負けたアニスは、スーツを受け取る。
「着用は下着まで脱いだ全裸でお願いします。それと、着用にはちょっとしたコツがありまして」
アニスは言われるままに服を脱ぐ。スーツを持ったままでは股間を隠すことが出来ないが、技術中佐はそんなことにお構いなしであれやこれやと指示を出してくる。つま先が、太ももが、押し込まれるというより包まれるように意外と素直に取り込まれていく。スーツを股間を納めるときに、腕を掴むように性器を握られスーツの中で動かされたのは流石に驚愕で頭が白く染まりそうになったが、無感動に作業を進められたために羞恥心が起きる暇もなかった。
やがて、アニスの体はすっぽりと少女の形をしたスーツの中に収まってしまった。コンテナの中の姿見には、どう見ても全裸の少女が映っている。アニスが右手を上げれば鏡の中の少女は左手を上げる。
普段、女性の造作に特に気をつけない堅物で通しているアニスでも、その少女の顔が驚くほどに整って可愛らしいものであると理解出来た。それも、アニス専用と言うだけあって、そこにはアニスの面影がある。ありえないことだとは思ったが、大陸一の美人とアニスの間に生まれた子供ならば、こういった造形をしていても不思議ではない――そんな容姿だ。
そんな少女が全裸で立っていることに、アニスは頬を染める。鏡の中の少女の頬も染まり、一層の愛らしさが浮かび上がった。
「どうです? きついところなどありませんか?」
「あ……あぁ、問題ない」
まるで本当の皮膚のように、スーツを着ているという感覚はなかった。体に密着するパイロットスーツ特有の息苦しさもなく、骨格が歪んでいるはずの痛みもない。かるく体をひねるが、スーツに皺すら浮かばなかった。だが、アニスと同じくらいの身長だったはずの技術少佐の顔が、顔を上げないと見えないことで、体格自体が変わっていることが分かる。
声に違和感を覚え、意識して、あぁ、と声を出してみた。高い、少女のような声。
「サイズの関係で、声帯も変化します。ボイスチェンジャーを用意しているのでお使いください」
完全に少女に生まれ変わってしまった気がして、アニスは不安に駆られる。
「これは、脱げるのだろうな?」
「当然です。完全に密着しているせいで特別な薬品は必要ですが、それも希少なものではありませんし。一応、そのままでも生活できますよ。排泄に支障はありませんし、シャワーを浴びるだけで清潔さも維持できます。出来ないのは、まあ、性行為くらいですかね」
少女姿には、どこに股間のふくらみを隠したのか、薄い金糸に彩られたふっくらとした割れ目まで再現されている。だが、排泄器官として以上の機能はないようだ。
「だが、なぜ女性型なんだ」
「胸部のふくらみは、感触こそ女性のそれですが、相当量の衝撃を吸収する素材で出来ています。激しい戦闘を行うフレームのパイロットスーツとしては外見的に女性型の方が適切です」
言われ、胸を触るアニス。本物を触った経験はあまりないが、脂肪の塊と肌の弾力はなるほど『それ』らしい。どんな仕組みか、指先とスーツにも触っている、触られている感触がきちんとある。
「とりあえず、この作戦が終わったら脱がしてもらうさ。――ところで、まさかこのまま乗りこめというのか?」
「別にそれでも問題はありませんよ。通常のパイロットスーツ以上の防弾・防刃性を備えているので青あざ一つ作らないでしょうし。でもまあ、倫理的には問題がありそうなので、制服は用意しておきました」
「……それは、ファイレクシアのものではないか?」
技術少佐がどこからか取り出したのは、青を基調として金糸を織り込んだ、豪奢な軍服だった。階級章が付けられていないが、いままで戦場で何度も見た、ファイレクシアの高級将官用の制服だ。地味なカーキ色のこちらの制服に対し、自己顕示欲の強さを表しているような華美なものだが、女性士官には密かに憧れているものも少なくないという。
「申し訳ございません、我が方でその体型の高級士官服を特別に用意するのは、わずかばかりですが困難でして。最重要機密であるこの機体の存在を隠匿するためには出来る限り目立つことは避けたかったので、僭越ながら私の個人的なコレクションから用意いたしました」
「貴官の趣味についてどうこう言うつもりはないが……これでは、味方に誤認される可能性がある」
「私の方から副官の大尉には説明しておきますから、万が一の時は彼に話を通すように言ってください。お二方に通じる符号のようなものがあれば、身分の証明ともなるでしょう。全軍に連絡はしますか? 『ファイレクシアの軍服を着た美少女を発見次第、司令部へ丁重にお迎えしろ』と」
「……そうならないことを祈っている」
ため息をつき、わざわざ白い下着まで用意された着替え――流石にブラジャーは遠慮したが――に袖を通す。女性用のものとはいえ、軍服を着ると自然と気が引き締まる。ヘッドセットのようなボイスチェンジャーを付けて声を出すと、本来の男声の方が違和感を覚える。再度鏡をのぞくと、やはり自分とは思えない、背伸びして凛々しさを懸命に出そうとしている少女の姿。普段、司令部で檄を飛ばしているアニスを知っている人間には絶対に見せられない。
ともあれ、時間がない。気を取り直し、跪いた機体の背中に軽々とよじ登り、パスワードを入力。空気の漏れる音とともにハッチが開き、薄い闇の中で光るモニターがアニスを向かいいれた。
「なるほど、たしかに手狭だな」
彼が今までに搭乗したどの機体よりも、コクピットの中は狭い。だが、今の彼の体は、そんななかにすっぽりと収まった。姿が変われど、中身までは変わらない。椅子に腰かけ、手早く初期起動処理を終了。モニタに浮かび上がる文字は、『エリシェ』。
『モード1に、中佐殿の機体設定をそのまま移植してあります。ただ、始めは少々気を使って操縦していただきたい。追従性が段違いでしょうから』
「了解した。出るぞ」
回線をつないだ技術少佐の声に、コンソールを操作。手癖で機体を立たせる。それだけで、今までの機体との差異がはっきりと感じられる。
「技術少佐、余りにも……スムーズすぎるな、挙動が」
『追従性に優れる、と言っていただければ幸いです。慣れれば手足のように使いこなし、アクロバットだって軽々と行えるでしょう』
「努力はする。他の機体は?」
ゆっくりとコンテナが開き、外の光がモニターにあふれる。六メートル程度の機体の足元で、直立した兵士が敬礼を送ってくる。
『出撃準備は完了しています、中佐殿』
「大尉か。留守は任せる」
『必ずご帰還ください。お待ちしております』
無言を返し、アニスは回線を切りかえる。司令部の前に、九機のフレームが敬礼をして彼を出迎えた。
「我々はこれより、右翼の後退を支援する。まずは旧市街地区に展開、可能な限り敵を足止めする」
『了解です、中佐殿』
合計十機のフレームが、脚部のローラーブレードのような車輪から土ぼこりを上げて発信した。アニスは自分の機体、『エリシェ』の初速に内心で舌を巻いた。今までどおりに動けば、後続を離してしまいかねない。むろん、戦場では大きな武器となるだろう。
オーソドックスな電磁(コイル)式ライフル――厳密にはライフリングは刻まれていないが、形状からそう呼ばれている――と、両腰に備えられた二の腕ほどの長さの刀身をもつ超振動ブレード。こちらは使い慣れた既成品だ。
兵装をチェックする脇で、モニタに通信回線が開いた。
『中佐殿。そちらの状況はこちらでもモニターして、随時データを収集していきます。しかし、無茶はなさらぬようにお願いします』
「どうした。データを取るいい機会だと言っていただろう」
『中佐を失ってまで手にする機会ではありません。中佐のデータと機体のデータはこちらで収集していますので、最悪の事態となった場合、機体を乗り捨てていただいても結構です』
「そのつもりだ。だが、これだけの機体、敵に渡すものか。その時は出来る限りのことはさせてもらう。」
『……自爆コードは『1941』です。入力後十秒で、コクピットを中心に、半径1メートルを完全に破壊します』
「了解した」
技術少佐の真剣な言葉に、アニスも向かっている先がどれだけ過酷かをかみしめる。
――出来れば、生きて帰っての昇進が好ましいな。
自分を落ち着かせるための、軽い冗談をつぶやきながら、張りのある唇を濡らす。モニターの薄明かりに照らされた濡れた唇は、彼からは見えない位置で妖艶に光った。