4 精霊と腕輪
俺は湧き上がってくる絶望感を込めて、盛大にため息を吐いた。
それから何気なく上を見上げた俺は、とんでもないものを目にしてしまった。大きな根っこの間から、銀色の瞳がこちらを見据えていたのだ。
背筋が凍る。
またかよ……。神様は絶望する時間すら俺に与えてくれない。
銀の眼に捉えられ、突然やってきた恐怖に俺の体が固まる。その一瞬の隙に、化け物は右腕を振り上げていた。
俺は反射的に両手を上に挙げ、頭を守った。すぐに襲ってくるであろう痛みに、身を縮ませたのだ。
「……ん?」
しかし、いつまで経っても衝撃が来ない。
恐る恐る顔を上げて見れば、右手に握っていた卵型の石が黄色の淡い光を発していた。腕輪から出る優しい暖かい光。そして俺の頭上を覆う砂の盾が俺を守ってくれていた。
何が起きたのか。
しかし、今は考えているヒマはない。
化け物が突然出てきた砂の盾に驚いている隙に、俺は木の根っこの隙間から飛出し、脱兎のごとく駆け出した。
後ろを振り返って確認すると、化物は銀色の目を見開き、こちらを呆然と見ていた。
理由はわからないが追ってくる様子はなかった。
ふらふらになりながらも足を進める。
化け物は巻いたみたいだが、喉が乾いた。
ようやく人が通りそうな街道を見つけたのは、森を歩き始めてからかなりの時間が経った頃だった。
整備はされていないが、草木はほとんど生えていない道だ。森の中を歩いてきた俺にとっては天の恵みである。
しかし、問題はどちらへ行くかだ。右か、左か。
とりあえず町へ行きたいが、どちらへ行けば正解なのか。
周囲を見渡してみても人は見当たらないし、看板らしきものもない。
『左に行ったほうがいいですぜ、ボス』
どこからともなく、地鳴りのような低い声が辺りに響いた。
「誰だ!」
俺は声の主を探して後ろを振り返って見るが、そこには誰もいない。
声の質からして大人の男のようだったが。
『そっちじゃなくて、こっちですよ。ボス!』
声と同時に、右手の石が淡い光を放った。それは腕輪から出てきた卵形の石だ。森を抜ける間、ずっと握ったままだった。
「……これか?」
『やっと気付いてくれましたか』
「うえっ、き、気持ちわるっ」
反射的に石を地面に投げ捨てた。
石が喋った?
いやいやいや、ありえないだろ。俺はいったい何を言ってるんだ。頭がおかしくなったのか。
石は地面をコロコロと転がり、やがて止まると、今度はふわりと浮き上がる。そして空中を浮遊しながら、俺のちょうど目の高さで止まった。
『ちょっと、酷いですぜ。せっかく命を救ってあげたのに。気付きました? ワシがちゃんと砂で囲ってやったじゃないですか?』
嬉々とした言葉でまくしたてる。改めて見ると石には口がない。どうやって喋っているのだろうか。
そもそも、この石が本当に喋っているのかあやしいところだ。
浮遊する石に向かって問うてみる。
「……おまえ、誰だ?」
『ボスが召喚した精霊じゃないですか』
「精霊?」
『あ、聞いてないですか? その腕輪に封印されてるんですぜ。召喚していただけると出られるシステムになってるんで』
チラリと腕輪を見る。
「あー……一応聞くが、この腕輪で元の世界に戻れるんじゃないのか?」
『いや、全然違いますな』
すぐに否定された。
やはりそうか。俺は騙されていたのか。
『ボス? 怖い顔してますぜ……』
「まあいい。で、帰る方法は?」
俺は気持ちを切り替える。
『どこに帰るんです?』
「元の世界に帰るに決まってるだろ。方法はあるんだろ?」
『いや、ワシは知りませんぜ』
……は?
おかしいな。聞き間違えかな。
俺の意志を無視して、勝手にこんな場所に飛ばされたわけだから、帰る方法があるはずだよな。じゃないとおかしいよな。
「帰る方法はあるんだよな?」
『さあ……』
のんきな声が返ってきた。
殴りたい。この腐った石ころをハンマーで叩き壊してやりたい。
ふつふつと静かに湧き上がってくる怒りを、俺は拳を握り締めて抑えた。
とりあえず冷静になろう。そうだ。さっきのやつのことを聞いてみよう。
「……だったら、さっきの黒いやつは何だ?」
『グスグスですか』
グスグス、という名前なのか。
「あいつ、急に襲ってきた」
『この世界では人間の天敵ですぜ。まさに、悪魔の化身ですな』
「悪魔の化身ね。確かに、そんな面してたな」
『気持ち悪いやつですぜ』
石は吐き捨てるように言う。
まあ、おまえも十分気持ち悪いけどな。
そもそも、精霊なんてものが存在していることがありえない。グスグスとかいう化物も、さっきの砂の盾も、俺がいた世界には存在しないものだ。
精霊や悪魔の化身などという非現実的なものは、すべて否定してしまいたいところだが。しかし、残念ながら、そんな非現実的なものが目の前にあるわけで、ここが異世界であることを否定することができない。
『その腕輪についていくつか教えておかないといけないんですがね。ちょっと言いですかい?』
何も聞いていないのに、石の精霊は勝手に説明を始める。
『まず、腕輪に向かってステータス表示と唱えれば、ワシのステータスが見れます。ステータスは一度見ておいて貰えると助かりますぜ』
ステータス?
俺は言われたとおりに、腕輪に向かってステータス表示と唱える。すると腕輪から放たれる光が空中に小さな画面を作り出した。
何もない空中に画面を表示させるなんて、驚くべき最先端技術だ。この腕輪、いったいどうなってる。だがしかし、残念なことにセンスが悪い。腕輪も無機質でつまらないし、一昔前のファンタジー映画みたいだ。
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ステータス
名前:ベイル クラス:ノーム
レベル:1 フェアリーランク:B
MP:38/47 知性:41
魔法:『砂の壁』『砂の足枷』『砂の嵐』
特性:『主への忠誠』
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「おまえ、ベイルって名前なのか」
『そうですぜ。かっこいいでしょう?』
「いや、全然」
『MPが減ってますな』
「……何でだ?」
『さっきスキルを使ったからでしょう』
「あー……さっきの砂の盾みたいなやつか。いや、砂の壁になるのか?」
魔法の項目に『砂の壁』と書かれてある。
他にも二つ魔法があるが、それらにも砂の文字が入っているところを見ると、どうやら砂を扱う魔法らしい。
魔法なんて言葉、俺の世界ではゲームの中でしか聞かない単語だが、精霊が存在する世界ならあっても不思議じゃないのか。
『MPを回復するには腕輪の中に戻してもらえれば、自然治癒しますので』
「そうか、だったら戻っておけよ」
大事なときにMP切れなんて役立たずになったら困る。
『へい。あ、その前に――』
左へ行ったほうがいいですぜ、ボス。と言い残して、ベイルは光の玉へと姿を変え、腕輪に吸い込まれる。
騒がしいやつだが、案内役がいるのは助かる。
俺は歩みを進める。