#02:幸せの報告と懸念
お待たせしました。
今回もよろしくお願いします。
「ええっ!! 守谷君、プロポーズしたの?!!」
美鈴の驚いて思わずあげた叫び声に、こちらが驚かされ、同じようにすっとんきょんな声をあげる。
「プ、プロポーズ?!!」
プロポーズ?
あれは、プロポーズだったの?
慧との少々現実味の無い夢のような電話を終えた後、ぼんやりとしながら、今自分が置かれている現実を把握しようと、今日起こった事を何度も思い返し、やっと美鈴に電話しなくちゃと思い出した。
美鈴に電話をして、最初にお礼を言ったら、「えっ? もう守谷君、美緒の所へ行ったの?」と驚かれ、今日の事を話したら、さらに冒頭の驚きの声を上げられたのだった。
「そうでしょう? プロポーズじゃないの。家族になりたいと言う事は、結婚したいと言う事でしょう?」
あっ、そうだ。慧は結婚とか言っていた。なんだか慧の言葉は全て夢のようで、まだ頭が理解しきれていない。
「そ、そうだね。実家のご両親にも、私と結婚したいって言ったらしいから」
「ええっ?! もうそこまで話が進んでるの? 守谷君ったら……」
美鈴はそこまで言うと、クスクスと笑い出した。
「な、なに? 何か笑うような事言った?」
「ううん。守谷君も必死なんだなって思って……もう絶対に美緒を離さないって思ってるんだろうね。……それにしても、守谷君って、ああ見えても、結構執着タイプなんだね」
美鈴はそう言うと、またクスクス笑い出した。
「執着タイプって……」
「守谷君ってさ、先生になってもやっぱりモテモテなのに、振られても美緒一筋でしょう? 愛されちゃってるね、美緒」
愛されちゃってる?!!
一筋??!!
自分の事とは思えない言葉ばかりで、絶句する。
そんな私の戸惑いに気付かない美鈴は、嬉しそうに言葉をつづけた。
「でも……良かったね、美緒。私もやっと肩の荷が下りた気分だよ。今度こそ絶対に離しちゃダメだよ。何があっても、守谷君と二人で解決していかないといけないんだからね。美緒、本当におめでとう」
美鈴の言葉に、私の脳裏を今までの辛かった想いが駆け抜けた。そして、現実感の無かった私の心に、じわじわと幸せの実感が広がり始める。
すっかり緩みきっていた涙腺は、簡単に決壊して溢れだし、ずずっと鼻水をすする音と共に「うん、ありがとう」とどうにか答える事が出来た。
「ねぇ、美緒、守谷君と結婚すると言う事は、守谷美緒になるんだよねぇ。美緒と一緒に婚活しようと思ってたのに、先を越されちゃったなぁ。おまけに、パパとママでもあるんだよねぇ。3月までは周りに黙っているとしても、4月から拓都君は守谷拓都になるの? 父親が守谷先生だってすぐにばれちゃうだろうし、やりにくくないの?」
守谷拓都……その名前に何となく違和感を感じながら、私は美鈴の疑問に答えた。
「いつ結婚するか、まだ何も決まってないけど、慧ね、来年度は虹ヶ丘小学校を出るんだって。私と上手くいかなくても、出るつもりだったんだって」
慧は、本当は、私に気持ちを伝えるのは、3学期が済んでからのつもりだったらしい。私がたとえ別の誰かを想っていたとしても、今誰も付き合っている人がいないのなら、私と拓都の力になりたいと申し込むつもりだったと言っていた。
それが、私の携帯の待ちうけが虹の写真だと知った事と、美鈴から聞いた話で、待ちきれなくなって行動に移したのだと言っていた。
「えー、守谷君、虹ヶ丘小学校を出るの?! それは、残念に思う女性が多そうだね」
来年度の勤務校の希望は、第三希望まで全て虹が丘小と違う小学校の名前をかいたので、おそらく出られるだろうと言う事だった。
ああ、そうか、千裕さんも残念に思う一人だろうな。
私は千裕さんに、私と慧の事を言おうかどうか、まだ迷っている。
「それで、結婚したらどちらに住むの? 確か守谷君のマンションも分譲で、結構広いんでしょう?」
そうなのだ。慧の実家は地元では名の通った中小企業で、慧はそこそこのお坊ちゃん(本人に言うと怒られるが)で、大学で一人暮らしをする時にも、家賃を払うなんてもったいないと、ポンとマンションを買ってくれたらしい。その代わり、実家の会社を継いでいるお兄さんが仕事でこの県へ来た時は、ホテル代わりという約束らしいが…。
そのマンションはファミリータイプの2LDK で、一人暮らしにはもったいないぐらい、広い。
でも、私は今の自分の家から引っ越すなんて考えもしなかった。
「そんな事はまだ何も話してないから……でも、引越しする事になったら、拓都は転校しなくちゃいけなくなるし……」
私は何となく嫌な気持ちになった。
そんな、引越しなんてできない。この家には、両親や姉夫婦の思い出に溢れているのだ。ここから離れたくないし、拓都もこの家で育って欲しい。
慧はどう考えているのだろう?
「ねぇ、美緒。守谷君って、印象も強いし、皆の興味を引く人だと思うの。だから、守谷先生と結婚したのが、担任したクラスの保護者だって分かったら、結構な噂になると思うのよ。たとえ守谷君が転勤しても、噂は広がって、嫌な想いをするのは美緒と拓都君だと思うの。だから、引っ越すのも有りだと思う。その辺、守谷君とよく話し合わなきゃダメよ。美緒はすぐに自分一人で抱え込むから」
美鈴のいやに勢い込んだ言い方に怯んだ。
確かに噂にはなるだろう。でも、引越ししなくちゃいけない程、嫌な思いをするとは思えない。
「美鈴、オーバーだよ。噂にはなると思うけど、最初のうちだけだと思うし、引越しまでする必要は感じないけど……」
「そうだね。考え過ぎかな。まあ、モテる恋人を持った不運と思って覚悟する事だね。なんにしても守谷君とよく相談するんだよ」
美鈴の言い分に乗って来ない私に気が抜けたのか、何となく美鈴のトーンが下がったような気がした。
まあ、美鈴自身も、過剰な心配だと気付いたのかもしれない。
私は初めて慧と付き合い始めた大学生の頃を思い出した。あの時も美鈴に注意されたっけ……。
『美緒、守谷君と大学内で一緒にいたり、付き合ってるのが知れ渡ったりしたら、守谷ファンに睨み殺されるよ。モテる恋人は辛いね』
そう言う事に疎かった私は、美鈴に何度か脅されて、大学内では慧と二人になるのは避けた。そのお陰か噂になる事も無かったけれど……。
何となくもやもやした気分のまま美鈴との電話を切った。
守谷先生の結婚相手が私だなんて分かったら……役員の会議なんかで皆が集まった時、有る事無い事噂しているのが、容易に想像できる。そんな想像は、幸せな気分を一遍に萎ませてしまった。
私は小さく息を吐くと、所詮人の噂も75日、ましてや噂の当人は転勤してしまうのだし、気にするほどの事も無いと自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えた。
そうだ、由香里さんにも報告しなくちゃと、思って時計を見上げると、もう夜の11時前で、また明日にしようと思い直す。こんな嬉しい報告を、今の微妙にテンションの下がった状態では、かえって聡い由香里さんには、心配かけてしまうだけだ。また明日、気持ちを新たに報告しようと、リビングの明かりを消して、寝るために自室へと向かった。
*****
週明けの月曜日は12月27日で、今年の仕事は今日と明日で終わりと言う年の瀬。この一年、とても早かったなと感慨深く思い返す。
慧と再会したときは運命を恨んだけれど、終わりよければ全て良しのごとく、今は再会できた運命に感謝している。
昨夜も慧と電話で話し、だんだんと今の自分の幸せを実感できるようになってきた。
もうそうなると、慧の事を思い出すたび、頬が緩むのが分かるのだ。
これは本当に母親の顔と女の顔を使い分ける技を習得しなければと、真剣に思った。
慧との電話では、美鈴に言われたような結婚したらどこに住むかという問題は、なんだか結婚を急かしているみたいで言えなかったし、噂の件も本人の責任じゃないのに責めるみたいで言えない。
まずは、拓都が無事に1年生を終わらせる事が最優先だ。結婚の話はその後でゆっくり話し合えばいい。私の役員としての仕事もまだあるし、少し気を引き締めないと、彼の前で保護者の顔ができないかもしれない。
新たな悩みも、幸せな悩みだと自分で自分に突っ込んだ。
そう、あの苦しんだ日々の事を思えば、今の悩みは贅沢すぎる悩みだ。
同じく昨夜、慧との電話の後、由香里さんに報告をするために電話をした。
彼女は驚きの声を上げ、そして自分の事のように喜んでくれた。
私が苦しんできた日々を一番近くで見守ってきてくれた由香里さん。私は彼女に話しながら、なれない子育てと自分から離した恋に苦悩した日々が、走馬灯のように頭の中を流れて行く。
あの日々があったからこそ、今の幸せを喜べるんだよと、由香里さんは少しかすれた鼻声で優しく言ってくれた。
電話の向こうとこちらで、お互いが鼻をすすりながら、嬉しい涙を流す。それは、悲しい記憶を押し流し、不幸な運命と戦ってきた私の心を癒していく。
ありがとう、由香里さん。
あなたがいたから、乗り越えられた。時に励まし、時に叱り、共に喜び、共に涙を流し、いつも私の心に寄り添ってくれた。
『せっかく想いが通じ合ったのに、まだ3カ月も会えないなんて可哀そう過ぎるから、たまに拓都君を預かってあげるよ。デートぐらいしたいでしょう? それにしても、あなた達は真面目だね。二人で仕事を休んでデートしようとか思わないの?』
由香里さんはそう言ってクスクスと笑った。あなた達は我慢強いとからかわれて、『私がしっかりサポートしてあげる』と、サポーター宣言までしてくれた。
いつでも心強い味方でいてくれる由香里さんに、わたしはありがとうと繰り返すことしかできなかった。
先生も走る師走とは言え、年度末程の忙しさも無い仕事納めの前日、職場のお昼休みはいつものお弁当組の同僚との、のんびりとしたランチタイムを過ごしていた。
「穂波ちゃん、どうしたの? 今日は朝からため息ばかりついてるけど……クリスマスに彼と喧嘩でもしたの?」
皆のお母さん的存在で40代の南野さんが、いつもと様子の違う私より一つ年上の長尾穂波ちゃんに声をかけた。私も今日の彼女の様子が変だなと思っていたので、気になっていた事だった。
「もしかすると、彼との結婚ダメになるかもしれないの」
穂波ちゃんは、泣きそうな顔をしてポツリとそう言った。彼女には大学時代から付き合っている同級生の彼がいる。彼女の28歳の誕生日にプロポーズされたと喜んでいたのは、ついこの間の事だ。彼との付き合いは親公認らしく、親の方が早く結婚しろと言っていたぐらいだったと嬉しそうに言っていたっけ。それなのに、どうして?
「ええっ?! いったい何があったのよ?」
穏やかなランチタイムが一変して、驚きと緊張が走った。真っ先に声を上げたのは、30代子持ち主婦の速水さん。
「それが……私、一人っ子でしょう? 両親は私に後を継いで欲しいと思っていて、彼が次男だったから喜んでくれてたの。彼の方も、長男が家を継いでいるし、いずれは私の両親の面倒をみるつもりだって言ってくれてたから、婿養子に来てくれるものだと思ってたのよ。私も両親も。いざ結婚の話になって、両親と4人で相談している時に、彼が同居はしてもいいが婿養子になるつもりはないって言いだして、両親は長尾家を潰すつもりかって怒るし、お互いが折れないから、父がこの結婚は無かった事にしてくれって言いだして……」
そこまで言うと、穂波ちゃんは泣きだした。そんな彼女を見て、私は唖然とした。
二人の気持ちが通じ合っていても、すんなり結婚できる訳じゃないんだと言う事実に驚き、今の自分の立場を顧みた。
私には親も兄弟もすでにいないから、反対される事は無い。慧の方も、家族は賛成してくれているらしいから、私達には何の障害も無いはず。だけど、私は穂波ちゃんの話が心に引っかかって、思い出した事があった。
姉が結婚する時、母はお嫁に行ってもいいと言っていた。長女だからと言っても、財産の無いような家だから後を継ぐ必要はないと、二女の私もお嫁に出すからと、姉の結婚話が持ち上がった時、そう話していた。
だけど姉は、二人ともお嫁に行っちゃったら、父のお墓を誰が守って行くのだと言い出し、同居してお母さんを楽にしてあげたいのだと言っていた。三男であるお義兄さんも同じ考えだからと、婿養子に来てくれる事になったのだった。
そんな二人から預かった拓都を守谷拓都にしてもいいのだろうか?
私がお嫁に行ったら、父のだけじゃない、母や姉夫婦のお墓も、誰が守って行くのだろう?
子供が少なくなった昨今、跡取りのいない家は沢山あるし、お墓を守るなんて事を考える人も少ないのかもしれない。今時の結婚は家同士と言うより本人達の気持ちさえあればと言うのが主流だ。
だけど、姉夫婦の思いを拓都へ繋ぐのが私の役目ではないのだろうか?
「彼はどうしても婿養子になるのは嫌なの?」
速水さんは、少し興奮が落ち着いた穂波ちゃんに優しく訊いている。
「ええ、彼は結構プライドの高い人で、営業職と言うのもあって、姓が変わるのが嫌なんです」
落ち着きを取り戻しつつある穂波ちゃんは、そう言って答えた。
「やっぱり男の人って、姓が変わるのって嫌なのかな?」
私は思わず、皆に問いかけていた。
「仕事上の付き合いの多い男性は、姓が変わるのは抵抗があるんじゃないかな? 女性だって最近は結婚で姓が変わるのが嫌だと言う人増えてるものね。夫婦別姓の制度もなかなか進まないし」
速水さんはため息交じりに答えてくれた。
「穂波ちゃん、二人の気持ちさえしっかりしていたら、必ずいい所へ納まるから、諦めちゃダメよ」
最後は南野さんが笑顔で穂波ちゃんを励まし、速水さんも私も「そうよ、そうよ」と元気づけた。
けれど、私の中には、あの時の姉の真剣な表情と言葉が渦巻いていた。