#48:本郷美鈴の苦悩の日々《中編》【美鈴視点】
お待たせしました。
美鈴視点がなかなか終わらなくて、中編まで作る事にしました。
美緒視点を楽しみにして頂いている方、すいません。
もう少し美鈴視点にお付き合いください。
どうぞよろしくお願いします。
養護教諭としての日々は、初めての事ばかりで戸惑いながらも、何とか必死で仕事をこなしていった。
あれから守谷君と話す機会も無く挨拶程度だったけれど、時々見かける子供達とのやり取りや、授業の様子など、私が想像していたよりもずっと、彼は立派に先生をしていた。
皆が褒めるはずだ……。
そう言えば、美緒の所の拓都君を見たのは、私が採用されて一週間程経った頃だった。この頃はまだ、新しい先生への興味本位で保健室へやって来る子供がいた頃だ。
私は保健室へ来た子供の胸に付けた名札の名前と顔を必ず確認する。少しでも早く全校生徒の名前と顔を覚えたかったから。
最近は校外では名札を付けないのだと言う。知らない人に名前で呼ばれると、自分の事を知っている人だと思って、子供が付いて行く可能性があるからだとか……なんだか嫌な時代になったなぁと思いながら、今の私には、この名札がとても大切な子供達とのコミュニケーションの元なのにと思う。
この名札のおかげで、拓都君を見つけた。保健室へ遊びに来た中に彼はいた。
平仮名で書かれた名札の名前『しのざき たくと』を目にした時、私はマジマジとその子を見てしまった。思い返せば、拓都君を見たのは本当に小さい頃だ。名札が無かったら、気付きもしなかっただろう。守谷君がお姉さんの子供だと分からなかったのも頷ける。
拓都君は誰に似ているのだろう? 美緒のお姉さんは独身の頃から見ていたから良く覚えているけど、お義兄さんの方は、殆ど見た事がなかった。もしかすると拓都君は父親似なのかも知れない。
拓都君に『先生は拓都君のママの友達だよ』と言うと嬉しそうな笑顔で『ホントなの?』と訊いてきた。私はニッコリと笑って『本当だよ。帰ったらママに聞いてみてね』と答えた。すると元気に『うん』と返って来た。
可愛い。美緒が一生懸命育てた拓都君の素直な笑顔に、こちらまで笑顔になった。
私はそんな拓都君を見ながら、この素直な拓都君と美緒が、本当の意味で幸せになれるよう、祈らずにいられなかった。
初日に私と守谷君の関係を探りに来た岡本先生は、あれからも時々保健室へやってきて、お喋りするようになった。今では学校で一番気心の知れた相手となり、初日に守谷君に話しかけた事で、女の先生から睨まれていたみたいだったけれど、彼女のおかげで誤解も解けた。
この学校の独身の先生達は結構仲が良くて、グループで一緒に遊んだりしていると言う。そんな事も岡本先生から聞かされた。男性4人、女性3人の7人で、その中に守谷君もいい感じだと言う彼女もいるらしい。「本郷先生が入ってくれたら男女同数になるから、丁度良いですね」とその独身グループに誘われた。なんでも、花見とかキャンプとかハイキングとか、アウトドアなグループで、今度は年末からスキーに行くらしい。
守谷君もそんな遊び仲間がいて、いい感じの彼女がいて、もう過去の事は吹っ切れているのかもしれない。
良かった……と、一人安堵の溜息を吐いた。
しかし、岡本先生の友達で、守谷君といい感じだと言う先生を教えてもらった時、その安堵が苦悩に変わった。
岡本先生の友達は大原愛と言う先生で、その姿を見て驚いた。美緒に似てるのだ。笑顔が特に。
結局守谷君も、どこかで美緒を追い求めていたのだろうか?
似てるから親しくしていたのだろうか?
美緒の代りなんて言う気持ちなら、皆が不幸だ。
でも、その事は誰にも言えない。今更守谷君に訊くことさえできない。
ましてや美緒になんか言えるはずもない。
私は一人胸を痛めることしかできなかった。
クリスマスの近づいたある日、守谷君と仲のいい男性教諭が声をかけてきた。
「本郷先生、守谷先生の大学の先輩なんだって?」
そんな風に声をかけてきたこの先生は、たしか広瀬先生だ。
それにしても、今頃どうしてそんなこと訊くかな?
もうその事実は最初の内に職員中に広まっているはずだ。
「はい、そうですけど……それが何か?」
「いや、その事は別に関係ないんですが、終業式の日がクリスマスイブで金曜日でしょう? 独身で負け組の先生達とクリスマスパーティーをするんですよ。本郷先生も良かったら来ませんか? もちろん守谷先生も来ますから……」
負け組って……そりゃ~私は振られたばかりですよ。
「それに参加すると言う事は、負け組を認める事になりますよね? 別に守谷先生が参加しようが関係ないですけど……」
私がそう言うと、その男性教諭は慌てだした。
「いやいや、負け組って言葉はダメですね。独身で自由を謳歌している人の集まりですよ。別に合コンとかじゃないですから、気楽に参加してください。この小学校の先生だけじゃなくて、違う学校の先生にも声をかけているので、たくさん集まりますし、いろいろ話も聞けると思いますよ。それに守谷先生は、女の先生の参加率を上げるための秘密兵器だからね」
守谷君は秘密兵器なんかじゃ無くて、ミエミエの兵器だよっ。
ニヤリと笑う目の前の男性教諭を見ながら、心の中で悪態を吐いた。
「大学のサークルのコンパもそうでした。守谷君が参加すると女性は集まるけど、男性は来なくなりましたけどね」
私もクスリと笑って、昔の思い出を語った。
「そうそう、守谷先生が効くのは女性だけですからね。そのために本郷先生は男性を集めるために是非参加して頂かないと!」
「お上手ですね? 今年のクリスマスイブは残念ながら予定が空いていますので、喜んで参加させて頂きます」
おだてているだけだと分かっていても、つい嬉しくなって参加に同意してしまった。気分転換にもいい機会かもしれない。
*****
12月24日、2学期の終業式の日。今年はクリスマスイブの今日は金曜日だった。勝ち組には最高の曜日巡りだけれど、負け組にはどうでもいいことだ。
私はそんな事を考えながらフフッと笑った。今日のクリスマスパーティーに誘った時の広瀬先生の情けない慌てた顔を思い出したからだ。
誰が言い出したか知らないけど、恋人がいる事が勝ち組で、いない事が負け組になるなんて……別にどうでもいいけど。
明日から冬休みと言う事もあり、今日がクリスマスイブと言う事もあり、子供達はどこかそわそわした感じだった。子供達の会話には、今日渡される成績表への心配と、クリスマスプレゼントへの期待が感じられた。まだサンタクロースを信じているような話をしているのを聞くと、なんだかホッとする。子供達にはできるだけ長く、サンタクロースの存在を信じていて欲しい。
ふと、拓都君の事を思い出した。あの素直な子なら、きっとサンタクロースを信じているだろう。どんなプレゼントをお願いしたのだろう……今時の子供の欲しがるものが思いつかないけれど。
美緒と二人でクリスマスを祝うのだろうか?
子供がいるから、ケーキも食べるんだろうな。
二人きりでケーキを食べている姿を思い浮かべて、切なくなった。
やっぱり、美緒が結婚して、家族が増える方が、拓都君にとってもいいことだと思うよ。
美緒が守谷君の事を吹っ切れたら、一緒に婚活しよう。
私は心の中でひそかに決意した。
その日仕事を終え、一度家に帰ってから、会場へ向かう事になった。
クリスマスパーティーってどんな服を着ていけばいいんだろう?
実のところ、今までクリスマスは彼と過ごしてきたので、このようなパーティーに出るのは初めてだった。パーティーじゃないけれど、集まって飲むと言えば、会社の忘年会とか歓送迎会ぐらいで、どちらかと言うとお座敷の宴会と言う感じで……。
事前に岡本さんにリサーチしてみると、女性は殆どが華やかなドレスやワンピースらしい。
ドレスって……結婚式の披露宴に出席するようなつもりのレベルなのだろうか?
結局、OL時代に同僚の結婚式に出席した時に着たワンピースにした。
パーティーの会場は広瀬先生の知人がやっていると言うレストランの地下にあるパーティールームを借りていた。50人ぐらいまでなら対応できるパーティールームらしく、20人ちょっとの人数だと広いぐらいだった。
結婚式の二次会などによく使われると言うこのパーティールームは、いろいろな形式のパーティーに対応しているらしく、今回は立食のビュッフェ形式だった。
なぜこの人数で立食? と思ったら、広瀬先生曰く「着席形式だと、誰が守谷先生の傍に座るかで揉めるだろ?」との事。私は驚いて守谷君ならありえるかもと鵜呑みしかけたら、岡本先生に「広瀬先生のいい加減な説明、信じちゃダメよ」と笑われた。
虹ヶ丘小学校からは例の独身グループの8人(私を入れて)で、他の学校の先生達も合わせると毎年20人前後が集まるらしい。守谷先生が参加するせいか、若干女性の方が多い。
午後7時からと言う事で、会場のレストランに着くともう既に来ている人たちがいて、皆親しく話をしている。
全員集まったところで、今回初めて参加した人の紹介と言う事で、私と他の小学校の新採の女性教諭が皆の前で、よろしくと頭を下げた。大学出たての初々しいその新入りの彼女は、守谷君にポーと見惚れていた。
今の守谷君は大学時代と違って寄るなオーラが無い分、免疫がない子には危ないかもしれない。さすがに毎年参加している他の小学校の女性教諭達は、普段守谷君に会えないからか、ここぞとばかりに守谷君の傍に集まっていた。
私はその様子を見て、サークルの時のコンパを思い出して、心の中で苦笑する。
「愛ちゃん、守谷先生の傍に行かなくていいの?」
岡本先生が愛先生に話しかけているけれど、愛先生は、守谷君の傍に行くのに気後れするのか首を横に振ると、私達と一緒に少し離れた場所から、守谷君を囲む賑やかな一団を見つめていた。
愛先生って……控えめな人なんだな……こんなところは美緒と似てるのかな。
私は大学時代、美緒と彼がキャンパス内ではあまり一緒にいなかった事を思い出す。彼のファンが沢山いたから、美緒も気後れしていたみたいで、サークルの先輩後輩と言う立場を貫いていた。
とりあえず乾杯をしようと言う事になり、皆が中心の料理と飲み物が置いてあるテーブルの周りに集まり、広瀬先生の「カンパイ!」の声に続いて声をあげながら自分の周りにいる人達とグラスを合わせた。
全体に間接照明のせいか薄暗い室内にあって、料理のテーブルだけはスポットライトを当てられ、美味しそうな料理が並ぶ。
「ここのレストラン、結構おいしいから楽しみだったのよ」
そう言いながら岡本先生が、自分のプレートにお料理を取って行く。私も愛先生もその後に続いた。もう一人いる虹ヶ丘小学校の女の先生は、別の小学校に仲の良い先生がいるのか、その先生と一緒にいるようだ。
あちこちにお料理をつまみながら歓談する小さな輪ができ、私達も今日の料理の批評をしながら、食べる事に専念していた。
その時、違う小学校の男の先生二人が近づいてきて声をかけてきた。
「あっ、辻岡先生、吉田先生、お久しぶりです」
岡本先生が笑顔で挨拶を返している。愛先生も「お久しぶりです」と返している。私は知らない先生だったので、会釈をすると「本郷先生って、守谷先生の大学の先輩なんだって?」と一人の先生が訊いてきた。
又この話題か……と思いながらも、ニッコリ笑って、「そうです。同じサークルだったんですよ」と答えた。そして、訊いてきた先生は辻岡先生と言って、去年まで虹ヶ丘小学校にいた先生だと岡本先生が教えてくれた。
「僕もM大なんですよ。守谷先生とは入れ違いでしたけど……」
「えっ? と言う事は、私がM大にいた時、辻岡先生もM大にいらっしゃったんですか?」
「そう言う事になりますね。こんな美人がいたのに気付かなかったなんて、不覚でした」
「お上手ですね。先生方って皆さん口がうまいですねぇ」
私が笑って返すと、「いやいや、正直者なだけですよ」とさらりと笑った。そんな私達を見て、岡本先生達がクスクスと笑う。
「辻岡先生って、相変わらずですね」
今まで聞き役に回っていた愛先生がクスクス笑いながら言う。
「相変わらずいい男ってか? 守谷先生のように」
辻岡先生は愛先生を見てニヤリと笑った。
ああ、この人も愛先生と守谷君の事を知ってるんだ。
「守谷先生って、あんなにイケメンなのに、毎年クリスマスイブにこんなパーティーに参加してるなんて不思議ですよね」
もう一人の吉田先生と言う男の先生が、愛先生と守谷先生の事を知らないのか、のんきな疑問を口にした。
「ああ、守谷先生なら、この上の常連でもおかしくないのにな」
辻岡先生が上を指差しながら、苦笑した。この上と言うのは1階のレストランの事だ。クリスマスイブの今日は、レストランは見事にカップルで溢れていた。
地下では負け犬のパーティーと言う訳だ。
私は広瀬先生の負け犬発言を思い出して、又心の中で苦笑していた。
「広瀬先生が、守谷先生は女の先生の参加率を上げるための秘密兵器だって言ってたから、毎年クリスマスパーティーは強制参加でしょうね」
「広瀬先生、そんなこと言ってるのか? 秘密兵器って……バレバレな兵器だけどな……でも、愛先生、それでいいのか?」
私の言葉に辻岡先生は、私が思った事と同じような反応を示し、最後に愛先生に意味深に問いかけた。その言葉で、皆が愛先生の方を見る。愛先生は頬を染めて俯き「良いも悪いも、そんなんじゃないですから……」と答えた。
「またまた、愛先生は恥ずかしがりなんだから……守谷先生も罪な男だねぇ」
辻岡先生はそう言ってまた苦笑しながら、温かい眼差しを愛先生に向けている。
「そうよ、守谷先生に群がる女性を蹴散らす勢いで積極的に行かなくちゃ! だれにも遠慮しなくていいんだから。ねぇ、本郷先生?」
ええっ? 私? 私に振らないでよ。
同意を期待して私を見つめる岡本先生に、愛先生が「香住ちゃんったら……本郷先生もそんなこと言われても困るでしょう」と諌めている。
それにしても、愛先生って皆に愛されているんだなと思う。皆が愛先生と守谷君が上手くいくように、温かく見守っている感じで……。
愛先生にはこんなに味方がいるのに、私まで美緒の恋を応援しないなんて言って……急に美緒が不憫になってしまったのだった。