その仕事、AIでできませんか?〜私は元上司に「ざまぁ」する〜
「――AI、ですか?」
狭い会議室の中で。私は上司――奥山の言葉を復唱した。
硬い椅子に座り、背筋まで硬く突っ張ったような気がした。
私は間もなく出産を控えており、1年ほど仕事を休むことが決まっている。今日は、私の後任者への引き継ぎの打合せのはずだった。
「そう、AIだ」
奥山もまたゆっくりと頷きながら、その言葉を繰り返した。
彼の大柄な体は収まりが悪いようで、動くたびに椅子がギシギシと音を立てた。
「えっと……後任の方はどうなったんですか?」
私は物わかりの悪い新入社員のように訊ねた。その事実をすぐには受け入れられなかったのだ。
「だから、君の後任はAIなんだよ」
――ああ、やっぱり。
奥山は一言一句、聞き違えようがないほどはっきりと宣告した。
私はショックを受けながらも、なんとか呼吸を整えて次のように発言した。
「……AIなんかに、私の仕事が務まるんでしょうか。お客様って一人ひとり全然違う方々ですし、経験とか信頼とか、その――」
「今はもう、そういう時代なんだよ」
しかし、奥山はそんな私の言葉をぴしゃりと遮って、無情にもそう告げた。
「それに、これは決定事項だ。いいね?」
「――」
奥山は私に有無を言わせなかった。
その後、奥山は具体的な引き継ぎの手順を説明していたが、私はただ「はい」と返事をするだけのロボットになっていた。
20分後。言うことは言った、と席を立つ奥山の背をおざなりに見送る。
取り残された私は、しばらく放心状態だった。
――AIに仕事を奪われる日が、こんなにも早くやって来るなんて。
〝高度な人間の判断を必要とするような仕事は、早々とAIに置き換えられるようなものではない〟
テレビか何かでそう言われているのを聞いて、安心してしまっていた。
この仕事――誠和ライフパートナーズのカスタマーサポートは、そんなにかんたんな仕事ではないと思っていたのだ。
電話応対を主な職務として、声の調子で相手の感情を推し量ったり、細やかな気配りや臨機応変な対応を行ってきた。そういった自分の創意工夫は、AIには絶対にできないと思っていた。
新卒でこの会社に入って7年、ずっとこの仕事一本でやってきた。
積み重ねた何かがガラガラと崩れ落ちていくようで、私はしばらく動けなかった。
「橘さんですね。よろしくお願いします」
翌日、私の前に現れたのは、新城という知的な印象の男性だった。
年齢は私とそう変わらない――30歳前後だろうか。AI技術のコンサルテーションを売りにしているソリッド・ステート社に所属しており、業務委託契約によって誠和ライフパートナーズに常駐勤務していた。
「……よろしくお願いします」
私は控えめなトーンで挨拶を返した。
――AIがナンボのもんよ。
まだこのときは、そんな反発心があった。
「……すごい。こんな簡単にできちゃうんだ」
1週間後。
新城が組み上げた電話応対エージェントのデモンストレーションを見て、私は即落ち2コマの漫画のごとくあっけにとられていた。
この1週間で、私は新城と都合2回、計1時間の打合せの時間を設けた。その時間に私はマニュアルに書かれないようなイレギュラー対応について聞かれたり、新城からの事前アンケートに関連した質問を受けたりした。
どうやら、そんなわずかなやりとりだけで新城は私の業務ノウハウのほとんどを吸収してしまったらしい。
そう思ったのだが――
「いえ。橘さんのようなエキスパートには、とてもかないませんよ」
「え……?」
新城の言葉は意外なものだった。
「所詮、今のAIは人間らしい応答を真似ただけのスピーカーのようなものです。想定外の事態には弱い……一応、大抵の場合にはそれらしい応答ができるように作ってありますけど」
AIを売りにしているはずの会社の人が、そんな風に言うのは意外だった。
しかし、このときの私には、彼の言葉をポジティブに受け止めることはできなかった。
「……それでも、私の代わりは務まるんですよね……」
「そうですね」
あっさりとそう応える新城に、私はちょっとムッとした。
彼は優秀なコンサルタントらしく、理路整然とした口調で語る。
「単純な費用対効果の問題なんです。質は低いが安い労働力があって、どちらでも要求が満たせるのであれば、ふつう安い方を選びますよね」
「AIの方が安いから……」
「そう、それだけの話なんですよ」
私はなんだか馬鹿々々しくなってきた。
要するに、今まで私がやってきた仕事は、安く買い叩けるような仕事だったということだ。
「じゃあ、私はどうしたら……」
気づけば、ふとそんな言葉が私の口を突いて出ていた。
新城は穏やかな口調で、未熟な生徒に諭すように言う。
「こう考えてみてはいかがでしょう? AIを使う側の立場に回れば、何十人分もの仕事ができるようになるかもしれない」
「AIを使う……」
考えもしなかった。私が、AIを使う側に回るなんて。
AIは自分の敵――そんな風に思っていたから。
……でも、そんなことどうやったらできるんだろう。私はこれから、産休育休に入るというのに。
「良かったら、簡単なお手伝いから始めてみませんか?」
「え?」
新城の言葉は、ぐるぐると回り始めていた私の思考回路にするりと入ってきた。
「実はいま、新しく会社を立ち上げようと考えていまして……。まだ、社名も決まってないのですが――」
†††
それから、2年と半年ほどが経った。
この日、誠和ライフパートナーズの役員室には、かつて橘信恵の上司だった奥山の姿があった。
「加賀美常務、どうか考え直してください……!」
奥山は常務執行役員である加賀美に、すがりつくようにして懇願していた。
加賀美はそんな奥山を振り払うようにして言う。
「奥山君、これはもう決定事項なんだ」
にべもない加賀美の態度に、奥山はショックを隠せなかった。
「理解してくれ。中間層の人員圧縮は、我が社の経営課題なんだよ」
「そんな……私がこれまで、どれだけ会社に貢献してきたと思ってるんだ。それに、私の仕事はAIに取って代われるような単純なものではない!」
奥山はショックを通り越したのか、気づけば怒りを露わにしていた。
加賀美はそんな彼にうんざりとした表情を見せる。
「奥山君、今はもう、そういう時代なんだよ」
奥山は、自分がかつて部下の信恵に放った台詞をそっくりそのまま上役である加賀美から返され、開いた口を塞ぐことができなかった。
加賀美は席を立ち、役員室から出て行く。危うく取り残されそうになった奥山は、慌ててその後を追った。
†
ここへ来るのは、随分と久しぶりだ。
私は今、誠和ライフパートナーズのオフィスを訪れていた。退職して1年数か月ぶりに見るエントランスの様相からは、どこか古めかしさが感じられて不思議だった。
「……緊張してますか?」
傍らの新城に問い掛けられ、私はすっと姿勢を正す。
懐かしさのあまり、つい視線がきょろきょろと動いてしまったようだ。
「いいえ、大丈夫よ」
私はごく自然にそう返した。
今さらこの会社に未練もない。
当時、育休が明けると同時に出した退職届があっさりと受理されたことで、転職の踏ん切りがついたものだ。
エントランスの奥から、ナイスミドルといった風貌の男性が颯爽と歩いて来る。
あれは――常務の加賀美だ。
在職中は一言も交わす機会がなかった相手と、こうして別の立場で話すことになるとは……。
私は胸の奥に、何かがじんわりとこみ上げるのを感じた。
……よく見ると、加賀美の奥からもう一人、見覚えのある大柄な男が歩いて来ている。
あれ……? アポイントの相手には、あの人は入ってなかったはずだけど……
「いやあ、新城さん。よく来てくれた」
「お久しぶりです、加賀美さん。このたびはどうも」
互いに朗らかな笑みを浮かべながら、新城と加賀美が握手を交わした。
もうおわかりかと思うが、誠和ライフパートナーズは今の私たち――新城が立ち上げた「プリズマティカ」という会社――にとって、新規の顧客にあたる。
新城はAI技術を用いて効率的な組織運営を行うソリューションを打ち出し、事業を急拡大していた。その陰では、あわれな中間管理職の方々が次々と仕事を奪われる結果となっているのだが……そこにビジネスチャンスがあるのならば、いつか誰かがそれをやることに変わりはない。
ちくりと胸が痛むような気はするが、これも時代の流れというやつだ。
私は、今の仕事に努めて前向きに取り組んでいた。
「――それで、こちらのお嬢さんは?」
加賀美が茶目っ気を利かせながら私に話を振る。
……もう、そんな齢じゃないんだけどなあ。
私は苦笑をこらえながら頭を下げた。
そんな私の肩を、新城がポンと叩く。
「うちの新エースですよ。橘と言います」
「橘です。よろしくお願いいたします」
「ほう……」
折り目正しく挨拶をすると、加賀美が妙に感心したような顔をしていた。
――今日は喉の調子もいいから、良い印象を与えられたかな?
「ま、まさか……」
その加賀美の隣に、大柄な男――奥山が追いついて来ていた。
彼は私の顔を見て、あんぐりと大口を開けている。
……やめてよね。
出し抜けにそんなおかしな顔を見せられたら、笑っちゃうじゃない。
「なぜ、君がここに……」
「――奥山、失礼だろう。下がっていたまえ」
空気の読めない奥山の態度に、加賀美が眉をしかめていた。
――ほんと、困りますよね。こういう人。
私は、奥山に余裕の笑みを見せつけた。
「お久しぶりです、奥山さん。ごきげんよう」
「ば、ばかな……」
勝ち誇ったような私の態度を見て、奥山はがっくりと肩を落とした。
(了)