第70章 仮の結婚式(エルリック視点)
卒業の日まで後半月に迫ったある日、突然王妃殿下から呼び出され、両親と共に王宮へ向かった。
王妃のサロンには、スイショーグ辺境伯家の四兄妹がすでに控えていた。
クリスタル嬢は先週から辺境伯家の王都の屋敷に戻っていた。
「用件に何か思い当たることはありますか?」
クリスタル嬢に訊ねると、彼女は頷いた。しかし、なぜか彼女は顔を赤くして、もじもじして何も言わない。
そんな珍しい彼女の仕草に目を見張った。三人の兄達がにやにやしながら僕達を見ていたので、訳が分からず頭を捻った。
ただ両親は何か勘付いているようで笑みを浮かべていた。
そこへ王妃殿下と元王女様方、そしてなんと王太子殿下が現れた。
「この度は急な呼び出しに応じてもらったことに感謝します。グルリッジ公爵、夫人、そしてエルリック公子。
早速で申し訳ないのですか、時間がないので本題に入らせてもらいます。
他家の婚姻に王家が口を挟むなんて、決してしてはいけないことだと十分わかっています。それでも是非お願いしたいのです。
是非とも留学前に公子とクリスに式を挙げて頂きたいのです。元々息子ブルーノが結婚する予定だった日に。
その日なら式場が確保されていますので」
結婚? 王太子殿下の婚姻の儀の予定日は、たしか三週間後だったよな。いくら何でもそんな短期間で式の準備なんてできるわけがないだろう。
僕の衣装はどうにでもなるが、クリスタル嬢の花嫁衣装はどうするんだ!
あっ! もしかして例の神殿の犯罪を立証するための偽装結婚、囮か?
「どうやら、お察し頂けたようね。さすがだわ、公子殿。
本当はね、王太子の結婚であの作戦を実行するつもりだったのだけれど、延期することになってしまったでしょう?
それで代わりにお願いする家を探そうと思っていたのだけれど、見つけるのは相当困難だわ。
といって、いつまでも神殿の件を放置しておくわけにはいかないでしょう?」
「私共には異議はありません。そもそももう一年も一緒に暮らしていて、すでに家族同様でしたからね。
実は留学前に籍だけ入れてしまおうと、スイショーグ辺境伯とは話し合っていたところなのですよ。
隣国で面倒な揉め事に巻き込まれないように。
神殿のことは私どもも息子から聞いて遺憾に思っていましたから、協力することに吝かではありません」
父のこの言葉に僕だけでなくクリスタル嬢も喫驚していた。どうやらそこまでは知らなかったようだ。
「うふふっ。クリスちゃんが私の正式な娘になるなんて、嬉しくて待ち切れないと思っていたのです。ですから、なんの問題もありませんわ」
そう。両親はとにかくクリスタル嬢のことがお気に入りで、嫁というよりすでに娘のように接している。
弟達もすっかり懐いていて甘えている。そして、僕に対して
「必ずクリスお姉様を連れて帰ってきてくださいね。お姉様に捨てられでもしたら、許しませんよ。
それにもし、クリスお姉様以外の変なご令嬢なんか連れて戻ってきたら、僕達もお兄様を捨てますからね」
そんな恐ろしいことを言っている。そこまで僕は信用されていないのか!
まあ、弟達には散々女性関係でみっともない醜態を晒しているのだから仕方ないのだが。
長年思い続けてきた大切なクリスタル嬢を僕が手放すはずがないだろう。
しかし、この世は何が起こるかわからない。やっぱり籍だけでも入れておいた方が安心かもしれないな。
そう思った僕は、両親に続いてすぐに了解した旨を伝えたのだ。
ただし、その前に一つだけクリスタル嬢に確認をした。ウエディングドレスはどうするつもりなのかと。
すると、二月前に催された夜会でデビューした際に着用したデビュタント用のドレスを手直ししてらえるので問題ない。そう彼女は答えた。
しかし、彼女はウェディングドレスに思い入れがあることを知っている。
本当は自分が彼女に最高のドレスを贈りたかったのだが、僕の順番は彼女の兄達の次なのだ。
彼らは愛する妹が最初に着るドレスは自分達が贈るつもりだった。それなのに、その栄誉を叔母に奪われてしまった。
それゆえに、自分達は最高のドレスを贈るのだと意気込んでいると聞いていた。
だから、自分は結婚後に贈ろうと決めていたのだ。
そしてその最高のドレスというのがウェディングドレスだったのだ。それなのに、それが出来上がる前に結婚式を挙げてもいいのかと思ったのだ。
するとそれに答えたのは彼女の長兄であるスイショーグ辺境伯だった。
「クリスや俺達の気持ちを思い遣ってくれてありがとう。
確かに今回二人は籍を入れて正式に夫婦になってもらう。だから決して偽装なんかじゃない。
いくら犯罪を暴くためだからといって、大切な君達の結婚を利用するつもりはないよ。
しかし今回は仮、いや、予行練習だな。正式な結婚式は、留学先から二人で戻ってからやるつもりなんだよ。
準備期間はたっぷりとあるからな、それまでに最高級の真珠で飾り付けた最高のドレスとベールを仕上げて、それこそ最高級の結婚式を挙げてやるからな。
楽しみにしてろよ」
そうか。そういうことか。
その後、仮の結婚式と、その前に神殿に提出する結婚申請書の件について、細かな計画を立てた。
学園の卒業式の翌日、神殿の掲示板に僕達の名前が張り出されたら、そのさらに翌日、王太子殿下がその結婚に対する異議申立書を神殿に提出することになった。
それは、殿下が自らの申し出のようだった。
「君達二人にはこれまでずっと酷いことをしてしまった。許して欲しいとは言わない。許されないことをしたという自覚はあるんだ。何を今さらと思うだろうが。
たとえ自己満足だと言われようと、それでも謝罪させてほしいいのだ。本当に申し訳なかった。
エルリック、もう親友には戻ってもらえないだろう。側近になって欲しいと望んでも無理だろう。
しかし、できれば大学を卒業したら、私ではなくこの国のため、国民のために働いてもらえないだろうか。
優秀な君を私のせいで失いたくないのだ」
私とクリスタル嬢の前で、ブルーノ王太子は頭を深く下げた。
意外だった。これまで真剣に僕達に向き合ってこようとしなかった殿下が、初めて僕達の目を見て、謝罪したことに。
しかもこれまではルビア嬢至上主義だった彼が、国や国民のために、と言ったことに。
信じていいのだろうかと、一瞬思った。けれど、クリスタル嬢が間髪入れずに
「その謝罪を受け取ります」
と行ったので、僕もそれに倣った。
許せるか、信じられるかはともかく、初めて彼は心からの謝罪をした。だから、それは認めてやらなくてはいけないと思ったのだ。
そしてその直後、彼が僕達の仲を裂く悪役を演じると聞いて、ようやくその本気を信じることができたのだった。
✽✽✽
その茶番劇は予定通りに開演された。
主演のブルーノ殿下は、仲介にやって来た神官達に向かって、滔々とこの結婚に対する不満をぶちまけ、見事に嫉妬深い自分勝手な王子を演じ切ったのだ。
これって本当に演技なのか?
王妃殿下のサロンの例の隠し部屋に、間もなく義兄になるブロード卿と共に身を潜めながら、少しだけ疑問に思ってしまった。
そしていよいよみんなが待ち望んでいた劇のラストシーンを迎えた。
殿下は三人の神官に向かってこう言った。
「貴殿方に、二人に対する鬱憤を全て話すことができてせいせいした気分になれましたよ。わざわざ王宮まで私の不満や愚痴を聞きに来てくれて感謝します。
本来ならば貴殿達の役目は、異議申立書をその結婚申請書の横に掲示するだけのはずですよね。
それなのに、その反対理由をさらに聞き出し、穏便に話をつけてその異議を取り消させようとする、その博愛精神は立派なものだと思います。
この期に及んであんなものを提出したことを後悔していたところだったし、正直ほっとしているのですよ。
王太子たるものが、幼なじみの側近候補と従妹の結婚を意味なく反対したのだと世間に知られたら、非難を浴び、沽券に係るところでしたね。
貴殿達には感謝しても感謝しきれない。礼をしたいのですが、何か希望はありますか?」
王太子がこう誘導すると、神官達は一応躊躇う素振りをしながも、最終的には神殿の修理に困っていると宣って、それなりの高額な寄付金を提示してきた。
そしてその直後、彼らは例のサロンの隠し部屋から飛び出してきた近衛騎士達によって身柄拘束をされた。
そして同時刻、ドイル卿率いる第一騎士団と、王都に滞在していたガイル=スイショーグ辺境伯が、王都内の三か所の神殿に一斉に捜索に突入したのだった。




