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第7章 居心地の良い場所(クリスタル視点)


 アネモネ嬢の件が思いの外精神的な負荷となっていたらしく、私は騎士として言語道断で許されない過ちを犯してしまった。なんと、午後の授業中に私は寝落ちしてしまったのだ。

 いくら授業内容に新鮮味がなく、死ぬほど苦痛だったとはいえ、鍛錬不足は歪めない。この二か月続いた睡眠不足のせいだなんて言い訳にもならない。

 しかも目覚めたのは翌朝で、グルリッジ公爵家で用意してくれた自分の部屋のベッドの中だった。


 信じられない!

 いくら正式な護衛騎士ではないといっても、ルビア様のボデイーガードを任されていたというのに。


「私にはもう騎士になる資格はない!」


 と思わずそう叫んだが、ノックと共に部屋の中に入ってきたメイド長のメリッサさんに


「何馬鹿な事を言っているのですか。一度や二度失敗したくらいで働く資格がなくなるなら、誰も仕事なんてしていませんよ。

 しかも、病気にかかったことのない人間なんてこの世にいないのですから、誰だって仕事を休む時くらいありますよ」


 と言われてしまった。しかし


「病気ならね。でも私は居眠りですよ。しかも、そのまま目覚めずにいつの間に屋敷に運ばれて、今の今まで気付かずに寝ていたんですよ。この危機感の無さは騎士として致命的欠陥じゃないですか!」


 こう私は反論した。するとメリッサさんは呆れたような顔をしてため息を吐いた。


「クリス様は居眠りをなさったわけではなく、気絶なさったのです。過労と睡眠不足、そしてストレスで。一歩間違ったら、一生目を覚まさなかった可能性だって無きにしも非ず、という状態だったとお医者様もおっしゃっていましたよ。

 だから私達がずっと忠告させてもらっていたじゃないですか。人間には寝ることと休むことが食事と同じくらい大切だと」


「気絶?」


 まさか寝落ちではなく気絶だったとは! ああ、たしかに屋敷の皆さんには毎日のように言われていたわ。このままじゃミイラ取りがミイラ取りになってしまいますよと。

 なんと私は、ほんの数か月前はそのミイラ状態だったエルリック様にお姫様抱っこをされて、このベッドまで運ばれたらしい。エルリック様の世話係としてこの公爵家にいるにも係らず。

 それを聞かされて衝撃を受けた私は両手で顔を覆った。情けない気持ちと、恥ずかしい気持ち、そして少しだけ嬉しい気持ちが入り混じって、とても人様には見せられないような顔をしているという自覚があったからだ。

 すると、ベッドサイドテーブルの上に何かが置かれる微かな音がした。指の隙間からのぞいてみると、食事と飲み物の載ったトレーが目に入った。


「今日一日はベッドの上でお過ごしくださいませ。それが旦那様からの伝言でございます。

 我が公爵家にとって()()()()()()クリス様に何かあったら、またもや半年前までのどんよりと暗い屋敷に戻ってしまいますからね。

 エルリック様がそりゃあもう心配して何度もここに突入しようとして、それを宥めるのが大変でしたよ。

 でも、廊下にはガイル様から派遣して頂いている最強の護衛騎士様に交代で見張ってもらっていますから、安心してお休みくださいね」


 メリッサさんは何故か少し笑いを堪えるようにこう言うと、部屋を出て行った。

 ちなみにガイル様とはスイショーグ辺境伯の嫡男である、私の一番上の兄のことだ。


()()()()()()クリス様」


 たった四か月しかここで暮らしていないのに、この屋敷の人達は皆、私をクリスという愛称で呼んでくれている。本当に親しみを込めて。

 隣国へ留学する以前にこの国の中で私をそう呼んでくれていたのは、三人の兄達と叔母である王妃殿下、そして従姉の二人の王女殿下に、親友のルビア様くらいだったけれど。

 あのエルリック様も私のいないところでクリスと呼んでくれているらしい。もしかしたらそれは、偽装婚約だとばれないためなのかもしれないけれど、それでも素直に嬉しいと思ってしまう。初恋の人と親しい関係になれたような気がして。

 半年後にここを去ることになっても、一生の良い思い出となると思う。四年半前にこの国を出る時は、思い出したくもない記憶ばかりだったけれど……


 温かで優しい味のする食事を口にしながら、そんなことを思った私だった。


 そしてその翌日、私はすっかり元気を取り戻して、昼食後にエルリック様と共に王宮へ向かった。二週間に一度、王妃殿下や元王女殿下方、そして次期王太子妃殿下となるルビア様とお茶会をすることになっていたからだ。

 もっともお茶会とは名ばかりで、女性の地位向上を目指すための改革について話し合っているのだが。

 いつもは当然私一人で登城するのだが、今回は心配だから送迎するとエルリック様が言い張ったために、二人で馬車に乗り込んだ。恐縮する私に、婚約者なのだから当然の行為だよと、彼は爽やかな笑顔でそう言った。笑顔が眩しい。


 当初私に対し怯えたよう接していたのが嘘のように、最近のエルリック様は、以前の堂々とした王子様然とした態度で私に接してくる。それに私はどう反応すれば良いのかわからなくなっている。

 当然婚約者の振りをしなくてはいけないのだから、私も愛されて幸せだというオーラを出せばいいということはわかっている。しかしそれが演技ならば平然とでできると思う。けれど、それが私の素の感情なのだからどうしてもテレがはいってしまうのだ。

 つい先日、そのことをそれとなくルビア様に相談をしたら、そんな初々しいところが可愛くて微笑ましくて良いわと、わけのわからないことを言われた。初々しいとか可愛いなんて、これほど私に無縁な言葉はないだろうに。


 そんなことを思っていると、正面に座っていたエルリック様が突然私の両手を握ったので、私は吃驚して大きく目を見開いて彼を見た。すると彼は真剣な眼差しで私を見つめてこう言ったのだ。


「あの訳の分からないご令嬢達にはこれから二人で力を合わせて対処していこう。

 本当は男として僕一人で対応すべきなのだろう。でも、僕はもう一人では頑張らないことにしたんだ。だって、これからの長い人生は貴女と共に歩くのだから、片方だけ無理をして倒れてしまったら、お互い後悔することになるだろう?

 一昨日貴女が一向に目を覚まさなかった時、僕は死ぬほど後悔したんだよ。もし貴女がもう二度と目を覚まさなかったらどうしようって。今度こそ立ち直れないって。

 きっと貴女もそうなるよね?」


 もちろん私も立ち直れなくなると思うけれど、エルリック様までそれを確信しているってどういうことなの? わたし達って、偽装の婚約者同士のはずでしたよね?

 私が混乱しているうちに、いつの間にか馬車は王宮に到着していたのだった。


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