第62章 仕掛け(クリスタル視点)
エルリック様と別れた私は、ルビア様の下へ向かった。側には近衛騎士の礼服を纏ったブロード兄様が立っていた。
明るい茶髪に青い瞳。美形な上に均整の整った鍛え抜かれた体躯をした兄は、妹の私が見ても素敵だ。
周りには兄を見て頬を染めているご令嬢がたくさんいた。
でも、ごめんなさいね、ほら、金のシンプルな指輪を左の薬指にしているでしょ。兄はまだ十九だけれど、すでに結婚していて、半年後には子供も生まれるので諦めてね。
兄は私を見ると目を見張り
「綺麗だな。一瞬誰だかわからなかったよ」
そう言って笑った。そしてなぜか残念そうにこう言った。
「そのドレスは最高だな。でも、お前の最初のドレスは俺達が贈りたかった」
「元々、デビュタント用のドレスを作ってくれるつもりだったのでしょう? 楽しみにしているわ」
「いやあ、デビュタントのドレスって色は白、しかも型もシンプルなものって決まっているんだろう?
俺達はそんなのじゃなくて、派手で目立つ、お前によく似合うドレスを贈りたかったんだよ」
どうやら愛する奥様に聞いたらしい。さすが妻帯者ね。上の二人は未だにそのことを知らないと思うわ。
「それならウェディングドレスをお願いしたいわ。同じ白でも、デザインは割と自由だし。
そしてベールは花柄の刺しゅう付きの長いタイプにしてもらえたら嬉しいわ」
「ラナイが被ってたやつみたいのか? それにしても、お前がウェディングドレスに憧れを持っていたとは意外だな」
ラナイとは兄の妻である子爵夫人のことだ。
彼女はスイショーグ辺境伯家の遠縁の子爵家の嫡女で、我が家で行儀見習いをしていた。
名目上はメイドだったが、実質的には私の遊び相手兼お世話係だった。つまり幼なじみなのだ。
二つ年上の彼女に一目惚れしたブロード兄様は、猛アタックを続けて婚約者になり、卒業と同時に結ばれたのだ。
ラナイ義姉様は、昔から私の熱烈なファンだった。兄は健気にも、男装した妹の私を目標に剣や武道、そしてダンスに励んだ結果、上の兄達同様に一流の騎士となったのだ。
時々私に嫉妬していたが、彼女が私に対してせっせと世話を焼いていたのは、単なるファンに対する「推し活動」のようなもの。
本気で私を異性として見ていたわけじゃないから、彼女の初恋の相手はブロード兄様なのだ。
でも、私が本気で男装が好きだと思っていた罰に、そのことは教えてあげないわ。
「人並みにドレスには憧れを持っていましたよ。これまで着ることができなかった分、豪華なドレスを着たいので、真珠のたくさん付いたドレスを希望します」
そう私が言ったら、ブロード兄様は目を見開いた。海を持たない我が国では真珠がとれない。それ故に入手がかなり難しいのだ。
海洋国出身の友人から、彼女の姉の結婚式の写真を見せられた時、あまりにも美しい花嫁とそのドレスに目を奪われたのだ。
至る所に真珠が縫い留められていて、なんて美しいのだろうと。
もしこんなドレスを身に着けられたなら、たとえ地味な私でも綺麗に見えて、エルリック様の隣に立ってもなんとか様になるかもしれない。その時ふとそんな図々しいことを思ってしまった。
そしてそんな夢のような未来が、もしかしたら叶うかもしれないのだ。
まだ現実味はないけれど、その夢を諦めたくなくて、兄に真珠のドレスが欲しいと自ら口にしてしまった。
それは、生まれて初めてのおねだりにしてはかなり高価な品だったが、ブロード兄様は破顔して、任せとけ!と自分の胸をドンと叩いた。
「何を任せろなんだ?」
そこへドイル兄様とガイル兄様が並んでやって来た。二人とも来賓として今日呼ばれているのだ。
なにせ、二人は王城で年に一度行われる剣技大会で、学生のうちに優秀した三人のうちの二人なのだから。しかも、現在騎士として大活躍しているし。
まあ、残りのもう一人もここにいるけれど。
末弟からさっきのウェディングドレスの話を聞いた上の兄達は、その話に自分達も交ぜろと言ってきたので、当然でしょ、と私は言った。
前々から貯めているというお金だけでは到底足りないと思うもの。
そもそも三人でお金を出し合ったとしてもかなりの出費になるのではないかしら。本当に大丈夫なのかしら。
少し不安というか、申し訳ない気持ちになった。そこへルビア様が、丁度いいタイミングだと思ったようで
「こんな素敵な方達にそんな高価なドレスを貢がせるなんて、貴女も隅に置けないわね。羨ましいわ」
わざと少し大きな声でそう言った。
すると、周辺がざわついた。
最初のやりとりを聞いていなければ、誤解を受けてもおかしくない発言だったから当然だ。
その時、まもなく式典が始まるというアナウンスが流れた。
すると、ガイル兄様が「また後で!」と言って、私の頭の上をいつもよりかは大分優しく撫で回した後、ドイル兄様と二人で壇上の方へ歩いて行った。
その直後、周辺のざわつきが一層大きくなって、はっきりと私の耳にもその声が聞こえてきた。
「グルリッジ公爵令息様という素晴らしい婚約者がいるというのに、辺境伯のご令息方にまで色目を使うとは、なんて恥知らずなのでしょう。
さすがは自由恋愛主義のオイルスト帝国のご令嬢ですこと」
「本当に。なんて嗜みのない方なのでしょう。よく知りもしない相手に高価なドレスを強請るなんて、どれだけ図々しいのでしょう」
「急に化粧を濃くしたり、派手なドレスを着るようになったのは、男漁りのためだったのですね。やっぱりあの方はグルリッジ公爵令息様には相応しくないわ」
「やはり、神殿に公子様とあのご令嬢の婚姻が掲示されたら、異議申し立てを申請しましょうよ」
「「「そうしましょう」」」
複数人が同意する声を上げた。これで証人ができたわね。私がルビア様とブロード兄様を見やると、二人ともこっそりと口角を上げていた。
そうこうしているうちに創立記念の式典が始り、やかて滞りなく終了した。
最後の挨拶を終えたばかりのエルリック様の合図で、室内楽団が静かに音楽を奏で始めた。それはダンスパーティー開始の合図だった。
生徒達は列を崩し、それぞれのパートナーと合流し始めた。しかしその一方で、ルビア様と私の動向を気にしているのが伺えた。
ブルーノ王太子殿下が公務のために欠席し、エルリック様も生徒会役員として後片付けをしていて姿を現さなかったからだ。
ルビア様は躊躇うことなくブロード兄様の手を取った。そして私はというと、壇上の貴賓席からやって来たガイル兄様の手を取った。まずは長男よね。
やがてダンス曲に変わったので、みんながいっせいに踊り出した。
「ずいぶんとまた腕を上げたな」
ガイル兄様が珍しく驚いた顔をした。
「この日のために二人で猛特訓をしたんです」
「楽しかったか?」
「はい、とても」
私がそう答えると、それは良かったと兄様が微笑んだ。エルリック様に匹敵するような眩い笑顔だった。
私は見慣れているが、外では滅多に微笑むことをしないらしいので、周辺にいた人々はかなりの衝撃を受けたらしく、ざわめきが起こった。
音楽が一旦止んだので、次にドイル兄様にチェンジした。ルビア様はガイル兄様とだ。
ドイル兄様からも腕を上げたねと褒められて、頭をポンポンとされると、また悲鳴のような声が上がった。
そして三曲目が始まろうとしたときに、ついにご令嬢が騒動が起こしてくれたのだった。




