第58章 報復(エルリック視点)
「ルビア嬢も知っていると思うが、僕とクリスタル嬢の婚約を快く思わず、婚約を解消しろと言ってくる者達が後を絶たないんだ。
しかもそれを直接僕に言ってくるならまだしも、貴重な彼女の時間を奪って呼び出して、そんな愚かなことを発言するのだ。
正直腸が煮えくり返っているのだ。すぐに相手の家に苦言を呈しに行こうとしたんだが、どうせまた同じような者が現れるはずだから、もう少し様子を見ようと彼女が言ったので思い留まったんだ。
しかしそれは間違いだった。自覚していなかっただけで、かなり精神的にきつかったのだと思う。彼女が倒れた時、どれだけ僕が悔やんだことか。
七人目のアネモネ嬢がクリスタル嬢になんと言って婚約解消を求めたかを知っているかい?」
「いいえ。そのご令嬢が真っ青になって、物凄い勢いで逃げて行った後ろ姿だけは見たけれど。
彼女は普通の子爵令嬢よね。そんなご令嬢がどうやってクリスを追い詰めるようなことを言えたっていうの?」
「自ら婚約を解消しなければ、神殿に異議申し立てをすると脅したんだ」
「なんですって!」
ルビア嬢は吃驚して、両手で口元を押さえた。そしてすぐさま怒りのオーラを燃え滾らせた。
平民の間ではたまにあることだが、貴族間の結婚でそんなことをする者は滅多にいない。
第三者が異議申し立てをするということは、相手にかなりのダメージ、つまり不名誉を与える行為だからだ。
それ故に、そんなことをすれば相手から受ける報復は計り知れないものになるだろう。
過去の例を見る限り、本人だけでなく、家族や一族郎党までもがその対象となっていたはずだ。
だからそんな申し立てをする者は、現在ほとんど存在しないのだ。
本来、爵位や権力の強い相手から無理矢理に婚姻を強要された時、異議申し立てができるからこそ、それが抑止力になり、無茶な婚姻を避けることができたのだ。
しかしどこにも横暴で傲慢な人間はいる。ゴリ押しをした結果異議申し立てをされ、それを逆恨みした輩がいたのだろう。
そんな辛酸な過去の事例があったからこそ、穏便に事を済まそうとして、神殿が裏工作を行うようになったのだと思う。
元々は両家を上手くとりなそうという善意で、秘密裏になされていたのだろう。
しかし、次第に己の欲を抑えることのできない一部の神官達によって、金儲けに利用されるようになったのではないだろうか。
そしていつしか健全な結婚を願うためのこの制度は、すっかり本来の意味をなくしてしまったのだと思う。多くの人々が知らないうちに。
騎士団の情報部の調べでは、異議申立書を提出してもそれを受理してもらえなくなっているらしい。
いや、一応書状を受け取ってはもらえるらしいのだが、それが公示される前に、相手側から圧力がかかってくるというのだ。
両家を上手くとりなしてくれるような神官に運良く当たればまだいいのだが、ただの強欲な下種な者がその日の当番だったら救いはない。
この制度は破綻したも同然らしい。まあ、その事実を知ったのは数日前だったのだが。
クリスタル嬢が最初に倒れた日の夜、僕はドイル卿に婚約解消を求めて来る令嬢達の相談をした。
その際に第一騎士団の情報部に所属する彼から、神殿の現在の内情を教えられたのだ。そして
「いずれ教会の腐敗を告発して制度を改革をしなければならない。その証拠を掴むためにも、あの制度を利用して、そのご令嬢達を排除するのもいいかもしれないな。
これまでクリスを呼び出した者達のことは私が調べておくよ。それと、これからやりそうな人物もリサーチしておく」
と言ってくれた。だから僕はその計画に乗ることにしたのだ。そしてついでと言ってはなんだが、ルビア嬢の結婚式延期の件でも利用してやろうと思い立ったのだ。
僕はその大まかな計画をルビア嬢と、毛布を被って聞き耳を立てていたクリスタル嬢に話して聞かせたのだった。
「それにしても、クリスのことをオイルスト帝国の伯爵令嬢だと思っているから、そんなふざけた要求をしているのでしょうね。わざわざ神殿の公示の話までして脅して。愚かにもほどがあるわ。
そもそも帝国の伯爵令嬢といったら、この国の侯爵令嬢と同等だってことくらいわからないのかしら。
少なくともアネモネ嬢はもっと優秀なご令嬢だと思っていたからがっかりしたわ」
ルビア嬢が呆れたように言った。
「殿下も同じようなことをおっしゃっていましたよ。成績だけで頭の良し悪しはわからないというのに。貴女も王宮に閉じ込められていたから世間知らずだったのですね。
やはり、留学してクリスタル嬢のように広い世界を見た方がいいようですね」
「酷いわ。いくら幼なじみでも普通そこまで言うかしら。貴方だって世間知らずは同じでしょうに」
「その通りです。だから殿下のつまらない嘘に騙されて、長いこと愛するクリスタル嬢を悲しませ、自分も苦しんできたのですよ。
僕もこれから何年かかるかはわかりませんが、殿下の側を離れて、愛する人と幼なじみと共に広い世界を見聞きして世間を知るつもりなのです。
そのために、前代未聞のお騒がせを起こしましょうよ。その覚悟はありますか?」
「急に丁寧な言葉に戻らないでよ。もちろん覚悟はあるわ。クリスと一緒に過ごせるというのならなんでもできるわ。ずっとそれを願ってきたのだもの。
だから、隣国ではあまり私達の邪魔はしないでよね」
「それはこっちのセリフだよ。恋人達の邪魔はなるべくしないでくれ」
「キャー、恋人ですって。やっと手を握れたばっかりのくせに」
「なんだと!」
僕達二人が丁々発止やり合っていると、クリスタル嬢があ然とした顔で僕達を見ていることに気が付いた。
誤解をされたら不味いとすぐに思った。だから慌ててこう言った。
「僕とルビア嬢は幼なじみなんです」
「知っています。王太子殿下とお二人が幼なじみだということは」
「いや、ちょっとそれは微妙に違うわ、クリス」
ルビア嬢がそこに訂正を入れた。そう。微妙に違うんだ。だって、三人で仲良く会話した覚えなど皆無なのだから。
「僕とブルーノ殿下は生まれる前からの付き合いです。父親同士が同級生で、結婚してからは家族ぐるみで付き合っていましたから。
そしてそれとは別に、ルビア嬢とも母親のお腹にいるころからの付き合いなんですよ」
「私の母親がグルリッジ公爵夫人の同級生で、しかも信奉者だったから、よく公爵邸のお茶会に呼んで頂いていたのよ。
だから私とも物心付く前からの付き合いというわけなの。
クリスは聞いていないかも知れないけれど、ブルーノ殿下は五つになるまでエルリック様を女の子だと思い込んでいたのよ。
でも、正直それを馬鹿にできないわ。だって私なんて六歳まで彼を女の子だと信じて疑わなかったんだから」
「えっ?」
「当時は王都では男装の麗人を主人公にした子供向けの舞台が大流行だったのよ。
だから、エルリック様が普通に男の子の格好をしていたのにも関わらず、女の子が男装しているものだと思い込んでいたというわけ。
言っておくけれど、勘違いしていたのは私だけではなく、他の子もみんなそうだったのよ。
だから男の子達は彼にとても優しく接していたし、女の子達は平気で女子トークをしていたの。
つまり、さっきみたいな砕けた感じで話していたというわけ。
ブルーノ殿下と知り合ったのは八歳の頃かしら。まあ、一方的に見初められたという方が正確だけれど。
正式に付き合う以前から殿下の嫉妬が異常だと気付いていたから、殿下がいるときは、エルリック様とはほとんど口をきかなかったわ。ねぇ?」
ルビア嬢のわかりやすい説明に感謝しつつ、僕は頷いたのだった。




