第57章 夢に向かって(クリスタル視点)
「以前の私とはあまりにも違っていたことに、両親を含めてみんな驚いていました。しかし、さすがに王妃殿下だけは、私が演技をしていることに気付いたようなのです。
「さすが兄妹ね、ガイルにそっくりだったわよ。喋り方も話の持って行き方も」
と後になってそう言われました。
妃殿下は私の必死な演技を見て覚悟をお決めになったようなのです。そして陛下と殿下に脅しをかけたそうです。王妃を辞めると。
それはつまり離縁すると言っているようなものですから、陛下はすぐさま態度を変えられました。陛下のその変わり身の早さには正直呆気に取られましたよ。
法律の改正がそんなに簡単にできるものだったのなら、王妃殿下ではないけれど、何故さっさとやってくれなかったのですか!と言いたくなりました。
ルディン殿下のこともあったのですから、本来さっさと女性の王位継承権を認めるべきだったでしょうに。
陛下への信頼度は急降下しました。
まあ、番の血のことは今朝まで知らなかったので、殿下が陛下の浮気でできた子なのだと思い違いをしていたせいもありましたが。
女性騎士の件も、自分は認めたつもりだったのに、息子に一任したせいでいい加減なことになってしまったと、責任を殿下だけになすり付けられたので余計に。
いくらなんでも王太子殿下が哀れだと思いました。
そのことで王妃殿下はさらに腹を立てて、もう陛下を甘やかすことは一切しない、とそこで決断されたようですね」
私がこう話すとエルリック様が苦笑いをした。そして、ルビア嬢も今後王妃殿下の真似をするそうですよ、と言った。
私が驚いて彼女の顔を見ると、彼女は鷹揚に頷きながらこう口を開いた。
「私、法律が改正されるまで、殿下とは必要最低限の会話しかしないことに決めたの。
本当は妃殿下のように婚約破棄をちらつかせて脅しをかけたかったけれど、彼がやるべきことを成し遂げた暁に、私が約束を履行しなかったら、私の方が嘘を吐いたと思われてしまうでしょ。
だから余計なことは言わずに思わせぶりだけに留めることにしたの」
怖いわ、ルビア様。どうしたの? エルリック様も茫然となっていらっしゃるわよ。
「婚約破棄をされるおつもりなのですか?」
「正直今の時点では決めていないわ。というか、自分の気持ちがよくわからないの。
でも、少なくとも卒業と同時に結婚するなんてことはあり得ないわ」
「でも、挙式の日取りはすでに決まっているし、そう簡単に延期はできないのではないですか?」
「たしかに難しいと思うわ。でも、こればかりは絶対に嫌なの。いざというときは家出をして帝国へ留学するわ。
クリスのように私の両親も味方になんてなってくれそうにはないから」
えっ? 帝国へ逃避行しようというの? まあ、その心積もりはしていたけれど、現在の私はエルリック様と婚約している身だし。どうしよう。
元々は一年でこの国を去るつもりで、婚約も仮のものだと思っていた。けれど、エルリック様の気持ちを昨日知ってしまった以上、そんなわけにはいかないわ。
だって、私もずっと彼を思い続けてきたのだもの。
どう返せばいいのかわからなくて困っていると、なんとエルリック様がこう対応してくれた。
「何も悪いことをしていないルビア嬢が、この国から逃げ出すような真似をする必要はないよ。
絶対に結婚しないというのではなくて、殿下と一旦距離を取って、考える時間が欲しいというのだろう?
それなら正々堂々と手続きをして留学すればいいよ。
クリスタル嬢もオイルスト帝国へ戻るつもりなのでしょう?
お二人で暮らすと言えば、王妃殿下も許可を下さると思うよ」
「えっ?」
私がこの国を出て行ってしまってもいいの? つまり仮の婚約を解消しようということ?
まあ、エルリック様はすっかりお元気になって元通りになっておられるのだから、私なんてもう必要ないのかもしれないけれど。
胸が酷く痛んだ。四年半前よりもずっとずっと苦しい。涙が溢れそうになって毛布を頭から被ろうと、エルリック様の手を離してもらおうとした瞬間、却ってぎゅっと強く握られた。
「勘違いしないで下さい。僕も一緒に帝国へ行きます。婚約者だからといってさすがに同じ家には住めませんから、近くに部屋を借ります」
「えっ?」
「貴女は貴女の夢を追って下さい。僕が側で応援しますから」
「エルリック様もあちらへ留学されるということてすか?」
「そうです。オイルスト帝国の大学において最新の学問を学び、各国から集まった将来有望な人物達と交流を図ろうと思います。いずれ我が国の役に立てるように。
ただし、帰国するときは貴女と一緒であることを望んでいますが。一緒に戻ってくれますか?」
夢のような申し出に、もちろん私はこくこくと頷いた。
今度は嬉し涙が溢れて止まらなくなって、彼の手を外して涙を拭おうとした。
しかしなんとその前に、家紋の刺繍入りのハンカチでエルリック様が優しく拭ってくれた。
その時、「コホン、コホン」というわざとらしい咳が聞こえてきて、私はハッとして顔を上げると、ルビア様がニヤニヤした顔で私達を見ていた。
恥ずかしくなった私は、結局毛布を頭から被ってそこから出られなくなった。
すると頭上ではエルリック様とルビア様が、私抜きにどうやって結婚式を取り止めにすることができるか、真剣な話し合いを始めてしまった。
なんでも、長いこの国の歴史の中でも結婚式の日取りが変更になったのは、たった二度しかないらしい。
一つはちょうど二百年ほど前に王都近辺で大規模な自然災害があった時。もう一つはちょうど百年前に王都に疫病が蔓延した時だったらしい。
えっ? 百年ごとに王都やその周辺だけ、まるで結婚式を邪魔するかのように厄災に見舞われているの?
「それを利用する手もあるけれど、市井の人々まで不安にさせるのは駄目だろう」
「そうよね。それに、たとえ王妃殿下が認めて下さったとしても、それでは王妃殿下に批判が向けられてしまうわ。それだけは絶対に嫌だわ。やはり、私が罪に問われることになっても逃げ出すしか方法がないのではないかしら」
いや、それは駄目よ!と私が思った時、エルリック様がこう口を開いた。
「慌てないで。結論を出すのはまだ早いよ。正式に結婚を拒める方法があるのだから。それはたとえ王家でも反対できない裏技なんだ。
ただし、これまで貴族でそれを成功させた例はないみたいなんだが」
「正式な方法なのに、失敗したの?」
「貴族の結婚はほとんど政略結婚だろう? だから、破談になった時の悪影響を考えて、神殿関係者が忖度していたのではないかな。本来ならばそれこそやってはいけないことなのだが。
その不正を改めるためにも、是非その神殿を利用したらいいと思う」
いつも穏やかなエルリック様が語気を強めてこう言ったので、思わず私は毛布を下げて彼のことを見上げたのだった。




