第56章 同族嫌悪(エルリック視点)
クリスタル嬢は顔色が良くなり、すっかり元気になっていた。
倒れた後の我々のやり取りはパルル様やシャンディア様からすでに聞かされていたらしく、彼女はその話題には触れず、僕達には帝国の留学時代の話を語ってくれた。
異国での一人暮らしは苦労の連続だったようだ。それはそうだろう。彼女はまだ十四歳だったのだから。
しかし、彼女は放任されて育ってきたので、自分のことは何でも自分一人でできたし、男装は板に付いていたのでそれほど危険な目には遭わずに済んだそうだ。
次第に自由に伸び伸びと生活を楽しめるようになったと聞くことができて、良かったと少しだけホッとした。
しかし、この国からの帰国要請の通知を受け取ったあたりから、話が重々しくなり、聞いている僕達の気持ちも暗くなってきた。当然そこには自分が大きく関わっていたからだった。
帝国の騎士団への入団がほぼ内定していたクリスタル嬢は、突然の帰国命令に吃驚したと言った。
女性騎士が母国で認可されたなどという話は耳にしていなかったからだ。それ故に最初から胡散臭いと思っていたのだという。
それでも帰郷したのは、王妃殿下やルビア嬢の約束があったので、実際に自分自身で国の状況を確認しようと思ったからだと言った。
しかし、本当の目的が僕を立直らせて欲しいという依頼だったので、喫驚したという。自分が振られたということを知っているくせに、平気でそんなことを言い出したブルーノ王太子に怒りを覚えたと。
しかしそれよりも、なぜ自分にそのことを頼むかがわからず困惑したと語った。
そして最終的に
「君は性別不明な存在だから、女嫌いのエルリックに受け入れられると思う」
と王太子から言われたとき、彼女はこの男には人の気持ちを思い遣る心がないのだなと、怒りよりも哀れに思ったと呟いた。
クリスタル嬢が性別不明だと? こんなに美しくて優しくて愛らしい女性に対してなんてことを言うのだ。
やはり簡単に彼を許してはいけないと思い直した。
「番の血という話を聞いて、そのせいで嫉妬心が異常なのだということは理解できました。でも、私に対する態度はそれだけでは正直納得できません。
でも、もしかしたらと今思ったのですが、もしかしたら同族嫌悪だったのかもしれませんね」
「「同族嫌悪?」」
ルビア嬢と言葉が重なった。それはクリスタル嬢とブルーノ殿下が似ているということか? 確かに同じ黒い髪とダークグレーの瞳をしているが、それは単に色目だけだろう。
クリスタル嬢の髪はストレートのサラサラヘアーなのに対して、殿下は硬質な髪だ。そして目だって二重でアーモンドアイの彼女に対して、奥二重で少しつり目ぎみだし。
いや、多分そんな外見の話でないことはわかっているのだが。
「昔は気付けなかったのですが、私は相当自己肯定感が低いようなのです。そのせいで、留学先ではお前は俺を馬鹿にしているのかと、同級生からよくなじられていたのです。
でも、私にはその意味がさっぱり理解できなくて困惑していました。
そんな私の相談に乗ってくれて、私の性格判断をして下さったのが第三皇子だったマリウス殿下だったのですよ。
あの方は大国の皇子、しかも五人兄弟の真ん中ということで、観察力がすぐれているというか、冷静に人の心の中を読む力に優れているのです。
まあ、家族内の調整を無意識にせざるを得ないポジションに置かれていたからなのでしょうね。私の二番目のドイル兄様のように」
彼女の言っている意味はなんとなくわかった。先日ドイル卿と話して、穏やかさの中に冷静に物事を判断するするその安心感に、自分も思わず心情を吐露してしまったからだ。
「とはいえ、隣国の皇子に国の中枢部に位置する我が家の内情を馬鹿正直に話すわけにはいきませんでしたから、それほど詳細に語ったつもりはありません。
しかし、私が両親に愛されずに放置されて育ったことをそれとなく察したようです。
その後殿下はまるで私の四人目の兄のように接してくれました。そして、多くの友人を紹介してくれたのです。多種多様な歴史と生活習慣、そして考え方を持つ方々を。
正義も正解も時代と場所で変化するものだから、決して普遍的なものではない。だから、私の価値だって変わるのだと教えてくれました。
帝国での私には価値がある。だから卑下している君を見ると、価値を認めてもらいたいと願っている連中にとっては、かなり腹立たしいことなのだろうと」
彼女はここで一旦言葉を止めると、クスッと笑った。
「エルリック様に無理をし過ぎてはだめだと叱られましたが、今朝見舞いに来てくれたマリウス様にも同じように叱られました。
人を守るために存在する騎士が、自分自身を守れなくてどうするのだ。君にもしものことがあったら、君を愛する人々はどんな思いをするかよく考えろと。
エルリック様とルビア様をお守りしようと思うのなら、もっと自分のことも大切にしなければだめですよね。メリッサさんにもすごく怒られたんですよ」
怒られたと言いながら、クリスタル嬢はとても嬉しそうに微笑んだ。
僕は思わず彼女の両手をぎゅっと握った。まさしくマリウス公爵のおっしゃるとおりだ。ルビア嬢もうんうんと頷いた。
でもね、これからは僕にも君を守らせて欲しいと心の中でそう思ったのだった。
「それにしても思い込みって怖いですよね。いくら頭で分かっているつもりでも、お前なんて何の価値もない、という両親の言葉が心の中に刷り込まれていて、ふとした瞬間に蘇ってくるんです。そして自分を省みることができなくなって、無茶なことを平気でしてしまうのです。
もしかしたらブルーノ殿下もそうなのかもしれません。あの方は私と違ってご家族からは愛されて大切にされてきましたが、使用人には地方出身の下位の貴族令嬢も多く、黒髪に偏見を持つ方もいたのでしょう。
直接言われるより陰でコソコソと噂をされているのを聞く方が、却って心を抉られたりするものです。
ブルーノ殿下もかなり傷付いていたのではないでしょうか。
そんな時に私がやって来て、侍女達にキャーキャー騒がれているのを目にして腹立たしく思ったのでしょう。
私の場合は舞台の俳優を見るようなもので、所詮私は見世物小屋の人形に過ぎなかったと思うのですが。
同じ黒髪、同じ瞳なのに何故なんだと、まだ子供だった殿下は思ったのでしょうね。
その憎しみや妬みの気持ちがその番の血というもので余計に増幅されたのかもしれません。
しかも後になって私が両親から疎まれていると知って、その罪悪感で感情がこんがらがってしまったのかもしれません。
そしてついにヤケになって、嫌われ者の自分と同じように、お前もルビア様やエルリック様から嫌われてしまえと投げやりになったのではないでしょうか。
本当はルビア様やエルリック様から良く思われたいし、嫌われることを何よりもおそれていたでしょうに」
「でも、それって甘えではないの? 嫌われるのが怖い、嫌われたくないと思いつつ、嫌われるようなことをするなんて。
結局、心のどこかで嫌われることはないと思っているのではないかしら?」
ルビア様の言葉にクリスタル嬢は頷いた。
「それは言えると思います。その辺は陛下にそっくりだと思います。ですから、私は王宮のサロンで仕掛けてみたのですよ。
徹底的にクールに情け容赦なく彼らを追い詰めたのです。甘えや救いなど一切与えずに。ガイル兄様を頭でイメージしてやってみたんですよ。
そうしたら王太子殿下だけでなく陛下も怯えていましたよ」
「わかるわ。その情景が頭に鮮明に浮かぶわ」
ルビア嬢もうんうんと頷いた。
ルビア嬢は昨日のガイル卿を思い出しながらそう言っているのだろう、とすぐに思い至った僕だった。




