第51章 抑制の効かない嫉妬心(エルリック視点)
「ブルーノは五歳くらいまで、エルリック様のことを女の子だと思っていたのよ。
だから、エルリック様に将来は王妃様になるんだよって言っていたわ。
意味がわからなかったし、まだ幼い子の言うことだからって最初は気にしていなかったの。
けれど、私やお姉様がエルリック様と一緒にいると、やたら機嫌が悪くなって、癇癪を起こすようになって、これは嫉妬だなと思ったの。
一番の友達を取られそうになって嫉妬しているのだと。
ねぇ、二人で庭園の池に落ちたことを覚えているかしら?
まあエルリック様は落ちたのではなく、ブルーノを助けようとして飛び込んでくれたのだと思うけれど。
護衛に救い出された後、着替えをさせられている時に、ようやくあの子はエルリック様の性別に気付いたのよ。
それで大失恋したというわけ。水浴びしたせいもあったのか、その後は熱を出すし、パニックも起こすしでそりゃあ大変だったわ。
でも、その後は普通にエルリック様と接していたから、私達やお付の者達は、その出来事をなかったことにしていたのよ。
そもそもあの子が勘違いすることになったのは、周りの人達のせいだったし。
王宮に仕える女性達の多くが、愛らしくて可愛らしいエリック様に心酔していて、天女様とか、女神様とか呼んでいたんですもの」
「お気の毒に……」
シャンディア様の話を聞いて、ルビア嬢がこう呟いた。それは王太子殿下に対して? それとも僕?
「番の遺伝子が強いと、性別は関係なく一人の人をずっと思い続けるらしいの。でも、ブルーノはあっさりと諦めたみたいだったから、執着心がそれほど酷くはないと思ってしまったのよ。
その上ルビア嬢を好きになったから、安心してしまったの。確かに情は深いけれど、父親や祖父とは違うのではないかって。
でも、クリスが現れた頃から、ルビア嬢だけじゃなくてエルリック卿にも執着し始めたので困惑したわ。最初は使用人達に人気があったクリスへのただの嫉妬だったのに」
王妃殿下は疲れたようにそう言った。
「つまり王太子殿下はルビア嬢だけでなく、エルリック卿にも深い情を持っていたからこそ、クリスに対する嫉妬が強まって当たりが強かったということですか?」
ガイル卿が呆れたというような目をして訊ねると、王妃殿下は頷いた。すると
「ブルーノ殿下はその強過ぎる嫉妬心で嘘を付き、クリスとエルリック様の仲を引き裂こうとしたというのですか?」
「それって、ただの浮気じゃないの。何が一途なのよ」
女性陣が目を吊り上げた。しかし僕はそう思わなかった。
「いえ、確かに僕にも多少情をお持ちだったでしょうし、僕のことでクリスタル嬢に嫉妬もしたでしょう。
しかし、それは単に友人としての情で、僕を側に置きたかったからだと思いますよ。そうでなければ、僕をご令嬢達の矢面に立たせるわけがないですから。
そしてその証拠に、臣下として必要だからと、わざわざクリスタル嬢に頭を下げて、僕を救って欲しいと懇願されたというのですから。
まあ、それなら何故そんな嫌がらせのような真似をしたのか、それが不可解ではありますが、それが嫉妬しやすい血のせいだというのならば、まあ、なんとなく理解できます。
結局ブルーノ殿下は、邪魔な者は排除したいという欲望を抑えられなかったのでしょう。たとえ僕やルビア嬢に卑怯だと思われたとしても。
そしてそれが、ルビア嬢を守ることだと思っていたのだと勘違いしていたのだと思います。
やはり、殿下にとってはルビア嬢だけが特別な存在なのですよ」
僕の意見を聞いたルビア嬢は
「嬉しいような、迷惑のような……」
と、複雑そうに呟いた。
「まあ、どちらにせよ、このまま本能のまま殿下を好きにさせるのはまずいですよね。いくらその被害者が特定の人間に限定されるとしても。
その本能を理性でコントロールできるようにしないと、いつどんな形で暴走するのかわからないだから周囲は不安になりますからね」
「まあ! ガイルお兄様にしては珍しく甘いことをおっしゃるのね。廃嫡した方がいいと言い出すのではないかと思ったのに」
「貴女が女王になる覚悟があるというのなら、それも有りですよ、ギラバス侯爵令息夫人?」
思いもよらない返しにシャンディア様は目を丸くした。
「あら、私じゃなくても、お姉様、いいえ、ルディンがいるじゃないですか。
あの子はまだ小さいけれど、お父様はまだ若いのですから、これから教育しても間に合うのではなくて?
そもそもまだ私達には王位継承権がないのですから。というよりすでに結婚していますし」
「たとえこの先王女に王位継承権が与えられるようになっても、パルル様が王位に就くのは無理ですね。
王配が帝国の皇子となったら、乗っ取りを恐れて、貴族だけでなく平民にも不安が広がりますからね。公爵ならともかく。
そもそも王家がパルル様の結婚を認めたのは、その前にシャンディア様とギラバス侯爵令息の縁談がほぼ決定していたからでしょう? そうですよね、王妃殿下?」
「えっ?」
「相変わらずガイルはすごいわね。何故凡人の姉夫婦にこんな頭の切れる息子が生まれたのかしら。下の三人もそうだけれど」
「隔世遺伝ですよ、叔母上。身体はスイショーグ家の祖父、頭はコックヨーク伯爵家の祖父の血を引き継いたんです。四人とも。
ブルーノ殿下も容姿と頭はコックヨーク伯爵家の祖父に似たのに、残念なことですが、性質が前陛下に似てしまったのでしょうね」
「残念というより悲劇よ。でも、さっきお兄様の言ったことの真偽はどうなのですか?
本当に私を王位に就けようと思っていたのですか、お母様? 私達を臣下に嫁がせたのに?」
シャンディア様は信じられという顔して母親を問いただした。すると
「さっきも言ったでしょう。いざというときの保険よ。
国の舵取りを任された身としては、いくつもの可能性を考えて、それに対する方策を講じておくべきでしょう?
王室典範の改正がいつ実施されるのか、その目処が立たないからといって、いつまでも貴女達の結婚を決めないわけにはいかなかったわ。
でも、ブルーノに何かあった時には貴女達のどちらかに王室に戻って来てもらわないといけない。
だから王配になり得る人物と取り敢えず結婚させようと思ったのよ。そして吟味して選出させてもらったのがギラバス侯爵令息だったのよ。
本人だけではなくて、同じくらい優秀な弟君がいて、兄を王配に取られても後継者に困らない家だったから。
まあ、これはこちらの勝手な都合だから、本当に心苦しかったけれど。
それにもし、王配にならなかった場合は、ご次男の方にもそれ相当の地位と役職を与えるつもりでいたのよ。
最初はパルルのお相手にと考えていたのだけれど、貴女との方が気が合うようだったから、二人に意向を訊ねたのよ。すると、どちらもお互いを気に入ったというから話を進めたわけ。
貴女、この結婚に不満はないのでしょう?」
「もちろんです。旦那様と結婚できて幸せです。でも、私は女王になることはともかく、旦那様に家を捨てさせて王配になってもらおうなんて、そんな申し訳ないことはお願いできません。
そんな騙し討みたいなことは嫌です。酷いわ、お母様」
シャンディア様が涙目になって母親に向かって睨んだ。
彼女の気持ちはわかる。嫡男として育てられてきたのだから、いくら弟が優秀だからといって、そう簡単にその座を明け渡すことなんてできない。
そして妻だって、愛する夫にそんな思いはさせたくないだろう。
始まりは政略結婚かもしれないが、お二人が今本当に愛し合っている夫婦なのだ、ということは傍目でもわかっているから。
「婚約する前に、彼にはきちんとその話はしてあるわ。いざという時にその覚悟はあるかと。そうしたら、彼は慌てることなく「ある」と即答したわよ。
彼は宰相補佐をしているから、この国の抱える問題点は認識していたし、その打開策も色々と彼なりにシミュレーションしていたらしいから。本当に優秀よね。
だから縁談の話がきたときも、その予想が付いていたと。それでもこの話を受けてくれたのは、以前から貴女を思っていたからだそうよ」
王妃殿下の言葉に、シャンディア様は喫驚し、目を大きく見開いたのだった。




