第5章 彼女が選ばれた理由(ルビア視点)
「ねぇ、婚約解消を要求される件については、これからはエルリック様に対処してもらったら?
今の彼なら逃げないでご令嬢達に立ち向かえるのではなくて?」
ストーズン侯爵の娘で、ブルーノ王太子殿下の婚約者である私ルビアがこう提案すると、さっきまで苛立ったような顔をしていたクリスの顔が綻んだ。
「ええ。エルリック様は最初から、ご自分で応対すると言って下さっていたのですよ。
見知らぬ下位令嬢からの呼び出しだなんてまともな話じゃないと。でも私がそれをお断りしたのです。
彼が出て行ったら、相手は本性を表さないと思ったので。だからこっそり隠れて様子を伺っていて欲しいと。
なんだかんだ言っても、エルリック様はまだ女の本性というか裏の顔をよくわかっていないと思ったので。
まあそれでショックを受けて、再び女性不信や引き籠もりに戻る可能性もあったので、一種のかけではありました。しかし、いつかは乗り越えなくてはならないことだと判断したのです」
確かにそれはそうよね、と私は思った。
もしかしたら男性もそうなのかもしれないけれど、特に女姓は異性によく思われたいと、無意識のうちにころっと態度を変えるから。たとえ芝居をする気がなかったとしても。
生憎グルリッジ公爵家は男兄弟ばかりだし、身近にも参考になる女性がいらっしゃらなかったものね。
なにしろ公爵夫人はエルリック様に輪をかけて、それこそ天使みたいに純粋で邪気のない方だし。
よくこの魑魅魍魎ばかりの貴族社会の中で、悪に染まらなかったものだと不思議なくらいだわ。
そんな家庭環境で育ったエルリック様に、ご令嬢の欲望まみれの心の中なんてわかりようがなかったわよね。
そんな彼があの半年前の事件で酷く傷付いた時には、私だって心の奥底から同情したし、どうにか立ち直ってもらいたいと願ったわ。それは嘘じゃない。
そもそも彼がそんな状態になったのは、私も無関係とは言えなかったのだから。
だけど、彼を救うためだからと言って、ブルーノ殿下が隣国に留学していたクリスを招喚したことには憤りを感じていた。
ブルーノ殿下は私を守るためだとしてエルリック様を利用していた。しかしそのせいでエルリック様が立ち直れないほど傷付いたのを見て罪悪感に襲われて、今度は彼を救おうとしてクリスを利用した。
もしかしたら殿下本人はクリスを利用する気などなくて、お願いのつもりだったのかもしれないわ。従兄として気安い気持ちで。
しかし王家に忠誠を誓う辺境伯家のご令嬢であるクリスにとって、王太子殿下からの招喚は召喚と同義だわ。断れるわけがなかったじゃない。
この一連の流れはブルーノ殿下が私を愛し、守ろうとしてくれた結果だったということはわかっている。しかし、長年にわたる殿下の無神経さに、正直私はもう辟易としていた。
彼だって知っていたはずなのだ。たとえ本人に悪意がなかったとしても、エルリック様がクリスを傷つけた張本人だってことを。
それに彼女が女性騎士科のある隣国の学院へ留学した理由だって、そもそもこの国では女性騎士が認められていないからなどではなかった。クリスは単に王太子殿下のいる学園には入学したくなかったのだ。
私とエルリック様をとられたくないという幼稚な嫉妬心で、殿下はクリスにずっと嫌がらせをし続けていたのだから。
もしブルーノ殿下が卑怯で陰険なことをしていなかったら、私はクリスと共にずっと楽しい学園生活を送れたはずだった。そして彼女を通して他にも多くの友人ができていたことだろう。
しかし実際は絶えず殿下にまとわりつかれたせいで、他の人達と気軽に会話さえ交わせなかった。そのせいで人脈が広げられなかったし、望んでいた改革も思うように進められなかった。
本当はクリスが戻る前に、女性騎士だけでなく他の女性の雇用問題をも進展させておきたかった。
それなのに結局私達の課題さえクリスに頼ることになってしまった。ただでさえ彼女は、グルリッジ公爵家の執事見習い兼エルリック様の婚約者、私のボデイーガード、学生として目が回るほど忙しいというのに。
いくら心身共に鍛えられているといえハード過ぎるわ。寝不足であの美しい目の下にクマができているくらいだもの。
そんなところに、馬鹿な令嬢達が下らない用件でクリスを呼び出すなんて、本当に許すまじ行為だわ。見てなさいよ、後でしっかり罰を受けさせてやるんだから。
さっき憔悴しきってヨレヨレとなったエルリック様が、ブルーノ殿下を連行して行ったけれど、きっと例のご令嬢達の愚行について相談するつもりに違いないわ。
せっかくクリスのおかげであの天使様が元気を取り戻せたというのに、何てことしてくれるのよ、彼女達は!
それにしても、殿下になんて相談したって解決なんてしないと思うわ。彼がそもそもの元凶なのだから。
ねえ殿下、どうしてクリスをこの国に呼び戻して、エルリック様の偽装婚約者に仕立てたの? こんな鬼畜のような所業をして、貴方は一体何を考えているのよ。
しかもクリスが編入してくる直前まで、二人の婚約は私には極秘にされていたのだからあまりにも作為的過ぎる。
公表されてしまった後では、私にはもうどうすることもできなかったじゃないの。