第48章 控え室の中(エルリック視点)
ドイル卿は辺境伯家の三兄弟の中で一番落ち着いているというか、理性的な人物だ。騎士団の中で一番の知能派と呼ばれているらしく、クリスタル嬢に雰囲気がよく似ていた。
僕は彼と共に屋敷の外へ出た。
すでに初夏と呼ばれる季節に入っていたが、夜中ということで、涼しげなそよ風が吹いていて、気分とは裏腹に爽やかだった。
庭に置かれたベンチに並んで腰を下ろすと、ドイル卿にクリスタル嬢への自分の思いを告げた。これまで誰にも言えなかった辛かった思い、憤り、そして後悔の思いも。
それを彼は淡々とした表情で頷きながら聞いてくれた。
「君も辛い思いをしてきたんだね。クリス同様に王太子に振り回されて。
クリスは俺に似ていて、どんなに理不尽だと思っても一応全て受け入れてしまうところがあるんだよね。
まあ、その後、我慢の限界に達しそうになったらさっさと退却するんだけれどね。
面子を重んじる奴らからすれば、退却なんて不名誉極まり無いことなんだろう。
そして騎士道から外れていると言われそうだが、戦において深追いは意味がない。一旦退却して対策を講じないと、ただ被害を大きくするだけだからな。
退却と撤退では似ているようで微妙に違う。
それに辺境の地で暮らしていると、騎士道なんてそんな綺麗事は言っていられないんだ。
クリスは一旦退却したのに再びこの国の王都に戻ってきたのだから、何かしら考えがあってのことなんだろう。しかし、しょせん一人じゃ戦えない。
今回のことであの子もそれを思い知っただろうから、きっと王妃殿下にその思いを語るだろう。作戦の遂行が何よりも重要なのだから。
君もこっそりとクリスの話を聞くつもりなんだろう? 俺も付き合わせてもらうよ。
そろそろ本気で王太子をなんとかしないとまずそうだし、この辺で、みんなで協力して対策を練ろうぜ」
仄暗い庭からクリスタル嬢の寝ている二階の客室を見上げながら、ドイル卿が淡々とそう呟いたのだった。
しかし、残念ながらドイル卿はクリスタル嬢の話を直接聞くことはできなかった。急遽仕事が入ったのだ。
彼は弟のブロード卿に代わりを頼んだと言っていた。しかし、王宮の建物の入り口で、クリスタル嬢と別れ、待ち合わせの場所へ行くと、そこにいたのはなんとガイル卿だった。
「ブロードがエルリック公子に付き添うと言ったのだが、私の方が適任だと思ったんだ。
大切な妹のことをきちんと把握しておくのは、やはり嫡男の私の役目だろう?」
「どうして近衛騎士団の副団長である兄上がこんなことをしているのですか?」
妹のクリスタル嬢にジト目で訊ねられると、彼はそう答えていた。
彼女にとって長兄は親のような存在だと聞いていたので、ガイル卿のその言葉も嘘ではないのだろう。
そして今後の対策を取る上で自分が会合に参加した方が、色々と解決しやすいと彼は思ったに違いない。
✽ ✽ ✽ ✽ ✽
クリスタル嬢の話を聞いているうちに、ブルーノ王太子への怒りがグツグツと煮えたぎっていった。
幼い頃からの殿下の彼女に対する仕打ちに、堪えきれないほどの怒りを覚えた。
ただでさえ両親や彼らに媚びうる大人達に無下に扱われていた少女を、さらに追い詰める真似をしていたなんて。
自分だって、両親とは違う黒髪で何かと嫌な思いをしてきただろうに。
嫉妬したのか? 彼女が大好きな母親に可愛がられていたから。しかも、自分には素っ気ない態度を取る使用人達が、彼女には夢中になっていたから。
クリスタル嬢は気さくに平民の使用人やその子供達と接していた。そして理不尽な目に遭っていた子供達を庇っていた。
それは彼女にとっては当たり前の行為だったからだ。
それに対して貴族の子女である上級使用人は逆らわなかったし、嫌悪感も抱かなかった。
それは当然、彼女が辺境伯家の令嬢で王妃殿下の姪であったからだ。
しかし、そもそもクリスタル嬢は、彼らのプライドを傷付けることなく上手に対応していたのだ。後でそのしわ寄せが平民の使用人達へ行かないように。
それは親からの庇護を得られなかった彼女が、知らぬうちに身に付けた処世術だったのだろう。
その後も彼女が王宮で人気があったのは、俳優並の格好良さや強さだけではなく、その人間性によるものだったと思う。
殿下だってわかっていたはずだ。彼が求められているのは大衆の人気でも、貴族からの憧れでもなく、尊敬や威厳だということを。
だからこそ勉学や武芸、国際交流などに力を注いできたのではないのか? 僕はそんな殿下を尊敬していた。
ご令嬢を意図的に押し付けられていると分かっていても、将来臣下となる身なのだから、これも自分に与えられた任務だと思って、文句も言わずに対処してきた。
それなのに、殿下はなぜああもクリスタル嬢だけに敵意を持っていたのか。いや、僕に対しても本当は負の感情を持っていたのか?
僕の彼女への気持ちをなんとなく察しながら、あんな嘘を付いたのだから。
しかも殿下は、わざと僕が彼女を嫌って振ったと思わせるように巧妙に仕向けていた。
そのことを知った時、怒りが炸裂しかけたが、ガイル卿に肩を掴まれて控え室というの名の隠れ場所に踏みとどまることができた。
振り返ると、凍り付きそうなくらい冷徹な笑顔をしているガイル卿と目が合ったからだ。その目だけで人の心臓を射抜けそうだと思った。
クリスタル嬢は僕のことが好きだった、と言った。心臓が大きくはねた。えっ? 本当に?
しかし、クリス=コークスを演じていることを隠して会話をし、彼を騙してしまった。だから嫌われても仕方なかった、と悔やんでいた。
本当は全てを打ち明けて謝罪したかったのに、王太子に口止めされていたから、言えなかった。それなのに、それを公子様に自ら暴露してしまうなんて酷い。
生まれて初めて人が憎いと思った、と泣いていた。
実際は事実を暴露したのではなくて、王太子は嘘をついたのだが、どちらにせよ僕達を誤解させ、仲違いをさせたのだ。
心の清らかなクリスタル嬢に、人を憎むほどの思いをさせた殿下を許せないと思った。
僕はもうじっとしていられなくなって、控室の扉を開いてサロンに飛び出した。
驚き、動揺しているクリスタル嬢に、とにかく誤解があることを説明しなければと僕は焦った。
だから早口でクリスタル嬢が初恋の人であること、四年前に再会した時に好きだと告白しようとしていたことを伝えた。
「わ、私のことが好き?」
クリスタル嬢は驚愕して大きく目を開いた後に気を失い、ルビア嬢にもたれかかったのだった。




