第47章 (エルリック視点)
「アネモネ嬢ならこれまでのご令嬢とは違って、話せばわかるのではないか? 頭もいいことだし」
一昨日の昼休み、アネモネ嬢のことを相談しようと呼び出すと、ブルーノ王太子はそんな呑気なことを言った。
ブルーノ殿下は今はもう僕達の邪魔をする気はないはずだ。仮だろうが婚約できたのは殿下の助言があったからなのだから。
とはいえ、これまでの仕打ちは許し難いものばかりだ。すんなりと許すつもりはない。
ブルーノ殿下は王太子としては優秀だし、臣下や国民、他国からの評判も高い。
しかし、彼にとっての一番はルビア嬢で、彼女を中心にを動いている。まあ、そのほとんどがズレていて、的外れだったが。
いずれ国王になるなら、その考え方を矯正しなければならないだろう。そのためにも彼には何かペナルティを与えた方がいいのではないか、と近頃思うようになっていた。
それが彼の発した先ほどの言葉によって決定事項になった。
「なぜアネモネ嬢を庇う発言をするんだ! 同じ生徒会で仕事をした者なら、人の婚約に物申してもいいというのなら、僕が殿下とルビア嬢の婚約に異議を申し立てても文句を言わないでくださいね!」
クリスタル嬢を女傑だ、怖い女だと、馬鹿にするような物言いにも無性に腹が立った。
僕が怒鳴るようにこう言うと、殿下は喫驚していた。
僕が声を荒らげたことと、二人の婚約に異議を申し立てる、という言葉にショックを受けたようだ。
ただし、怒りにまかせて言っただけだろうと解釈したらしく、彼はすぐにご機嫌を取るように笑顔を見せた。
面と向かって謝罪されたことはないが、それでも彼は多少なりとも罪悪感を抱いていることがわかった。
しかし、こちらは本当に困っているからこそ真剣に相談しているというのに、真摯に向き合ってくれない目の前の男に、初めて激しい怒りを覚えた。
これまで散々人のことを利用してきたくせに。
ブルーノ王太子の所業について、クリスタル嬢や彼女の兄上方、そしてルビア嬢とも一度はきちんと話し合って、彼に対して今後どう対応していくべきかを話し合うべきだと思った。
そしてその機会はすぐにやって来たのだ。
午後の授業が始まって少し経った頃、突然斜め前の席に座っていたクリスタル嬢が、机に突っ伏した。
一瞬居眠りかと思ったが、プロ意識が高い彼女がどんなに睡眠不足であろうと、気を抜くはずがないと思い直した。
直ぐに席を立って彼女の元に駆けよって声をかけたが、彼女はまるで反応しなかった。
これはまずい。彼女をゆっくり丁寧に横抱きにすると、教室を出て医務室へ向かった。王太子殿下に、ルビア嬢をよろしくと一言告げて。
「クリス!」
と、ルビア嬢の悲痛な声が背後から聞こえたが、振り返る余裕はなかった。
医師による診断結果は失神。脳神経にダメージは残らないだろうということだったのでホッとした。
しかし、極度の過労と睡眠不足のせいで、当分目は覚まさないかもしれないと言われた。
「今回はこれくらいで済んだが、いくら若くて普段体を鍛えていたとしも、これ以上無理をしたら、健康というか命の保証はないよ。
婚約者なら彼女が無理をし過ぎないように、ちゃんと注意してあげないとだめだよ」
医師から真面目な顔でそう告げられて、僕は居た堪れない気分になった。婚約者なのに、よくこんな状態になるまで放っておいたなと、呆れられたと思ったからだ。
僕が言わずとも母や侍女長やメイド達がちゃんと注意をしていたのだが、彼女は分かりましたと空返事ばかりしていた。
だから、僕なんかが何か言っても意味がないだろうと思っていたのだ。でも、それは無責任だったと反省した。
彼女との婚約を本気で続けたいのなら、いつまでも師弟のような関係に甘んじていては駄目なのだと。
なぜこんなにも無理をするのかと、彼女が元気になったら一度訊ねてみよう。彼女の心の中を少しでいいから知りたいと、彼女の寝顔を見ながら無性にそう思った。
するとちょうどそこに、次の授業との合間にルビア嬢が顔を見せた。
状態を説明すると、彼女もホッと一息ついて、廊下にいるであろう王太子殿下に聞こえないように、声を潜めてこう言った。
「私もそろそろ黙って見ているのは限界なの。
だから彼女がなぜこの国に戻ってきたのか、なぜ王家の申し出を引き受けてこんなに無茶なことをしているのか、それを知りたいと思っているの。
それで王妃殿下にお茶会を開いてもらって、彼女から気持ちを聞き出すつもりなのよ。公子様もそれを聞きたくはない?」
もちろん、聞きたい。彼女の思いを知りたい。丁度そう思っていたので、僕は高速で頷いた。
するとルビア嬢はにっこりと笑って、
「クリスの状態を見て日取りを決めるわね。後でまた連絡するわ」
と言うと、医務室から出て行った。
僕がクリスタル嬢を抱いて屋敷に戻ると、みんな大騒ぎになった。
特に母上とメイド長のメリッサは怒り心頭だった。だからあれほど注意したのにと。そしてその怒りは当然僕にも向けられた。
「エルリック様がちゃんと止めないからこんなことになったのですよ。クリス様は剣の師匠ではなくて、婚約者なんですからね、貴方様がお守りしなくてどうするのですか!」
もっとも過ぎて、僕は何も言えなかった。
「お守りすると言っても、まだ結婚前のお嬢様の寝ている部屋の中に入れるわけにはいきませんよ。早く出て行ってください。
お世話はメイドが一丸となってさせて頂きますから、どうかご心配なく!」
なかなか目を覚まさないことが心配で、何度もクリスタル嬢の部屋の前まで行っては、メイド達に追い払われてしまった。
そして熟睡できず、夜中にに廊下をうろうろしていると、クリスタル嬢の二番目の兄であるドイル卿に声をかけられた。
第一騎士団の騎士をしているドイル卿は、僕がクリスタル嬢と婚約した後、ブロード卿や従兄弟達を引き連れて、僕のリハビリというにはハード過ぎる鍛錬を指導してくれていた。
今日も休日だというのにわざわざやってきてくれていたのだが、この騒ぎで中止になってしまった。
そして妹が心配だからと屋敷に留まってくれていたのだった。




