第46章 敵認定(エルリック視点)
ブルーノ殿下の言ったことは全部嘘だった。
たしかにクリスタル嬢とクリスは同一人物だったが、子爵家の令息が辺境伯の令嬢の振りをしていたわけではなく、その逆だったのだ。
クリスタル嬢が王家の頼みで男装をして子爵令息の名を使って、ルビア嬢のボディーガードをしていたのだ。
この国では女性が護衛の仕事をすることを認めていないから。
なぜ殿下はそんな嘘をついたのか、僕には想像も付かなかった。
彼がクリスという名のボディーガードを嫌っていたのは、嫉妬だと思っていた。
しかしクリスの本当の姿は辺境伯令嬢で、殿下の従妹なのだ。なぜ嫉妬する必要があるんだ? 意味がわからなかった。
しかも私にまで嘘を吐く必要性が皆無だと思った。私のためだとか言い訳をしていたが、彼女には殿下の言う問題なんて全くなかったのだから。
両親である辺境伯に嫌われていたのだって、単に黒髪のせいだったとブロード卿達から聞いているし。
それなのに、なぜ僕達の仲を引き裂こうとしたのか、それが不可解だった。
殿下を憎むべきだったのだろう。
しかし、当時はそんな気が起きなかった。自分がきちんと確かめれば簡単に分かったことなのだから、騙された自分が悪いのだと考えた。
友達になろう、愛称で呼び合おうと自分で提案しておきながら、冷たい言葉を投げ付けて彼女を傷付けてしまった。しかもそれが最後の会話になるなんて。
きっと自分は彼女に軽蔑され、嫌われてしまっただろう。そう考えるだけで絶望的な気持ちになった。
それでも再び彼女に会えた時にはきちんと謝罪したい。それに、いつまでもただくよくよしているような男なんて、もっと彼女に軽蔑されてしまうだろう。
そう思い直して、僕はそれまで以上に勉強、武道、そして剣術に励んだ。
特にダンスの練習には熱がこもった。
ダンスを踊る度に、あのガーデンパーティーの時の彼女のダンスが頭に浮かんできたからだ。
いつの日にか僕も彼女とあんな素晴らしいダンスを踊れたら……そんな気持ちが沸き起こったのだ。
ところが二年に進級して暫くして、僕はあの忌まわしい伯爵令嬢に纏わりつかれるようになった。
その後、母のおかげでようやく顔を見なくて済んだと思ったら、あの事故の知らせを受けて、僕は毎晩のように悪夢に襲われるようになってしまった。
そのため僕は、部屋から一歩も出られなくなってしまった。苦しくて、辛くて、何もかも嫌になってしまった。
そんな絶望のどん底にいた時、暗い世界に光を射し込んでくれたのが、なんと僕の想い人だったのだ。
自室にこもっていた僕の前に彼女が現れた時、夢かと思った。
いや、これまで悪夢しか見てこなかったのだから、これは夢などではなくついに自分は天に召されたのか、と思った。
これでもう僕は楽になれる。あの悍ましい女ではなく、大好きな女性を自由に見ていられるのだと安堵したのだ。
ところが、それは夢ではなかった。カーテンを勢いよく開けられて、眩しい光が目を突き刺し、その痛みに呻いた。
続いて窓が開け放たれると、冷気がヒューと入り込んで、ブルッと体が震えた。
生きている。僕は死んでいない。それじゃあ……恐る恐る目を開けると、長い黒髪を後ろで縛ったクリス=コークス子爵令息、いやクリスタル嬢が姿勢良く立っていたのだ。
隣国へ留学しているはずの彼女がどうしてここにいるのかわからなかったが、初恋の女性に再び会えて、生きていて良かったと心から思った。
そしてその後、両親がブルーノ王太子の協力を得て、僕を救って欲しいと依頼したために、彼女がここいるのだということがわかった。しかも偽装で婚約まですることになっていると。
それを聞いて彼女に申し訳ないと思った。自分の方から辞退すべきだと。
しかし、情けないことに彼女が側にいてくれれば、あの悍ましい女の亡霊から逃れられるかもしれないと思ってしまった。
だって、クリスタル嬢は僕の憧れの最強の騎士だったから。彼女が側にいてくれたら立ち直れるような気がしたからだ。
そしてその勘は正しかった。
彼女にがっかりされたくない。軽蔑されたくない。見捨てられたくない。
最初はそんな気持ちで頑張ってリハビリを始めたが、そのうちに彼女の本当の婚約者になりたいという思いが日ごと高まっていった。
彼女は王家や両親に頼まれて仕方なく僕の仮婚約者になったのだろう。
けれど、彼女は僕の初恋の相手で、ずっと思い続けている女性だ。
すぐには無理でも、いつか彼女に相応しい男になって、彼女に好意を持ってもらい、本当の婚約者になってもらおう、と思った。
それなのに、学園に復学すると、以前のように再びご令嬢方に囲まれることになった。だからすぐさま婚約したことを発表したのだ。
むやみに近付いて来るな!と忠告するために。しかし最初は婚約者の名前は公表しなかった。クリスタル嬢に迷惑をかけたくなかったからだ。
ところが誰かにストーカーでもされていたのだろう。
僕とクリスタル嬢が同じ馬車に乗って通園していることが知られてしまった。
別々の馬車にすべきだったのだが、職務意識の強い彼女に拒否されてしまったのだ。
以前から、何も知らない無関係の者達が、僕のことを舞台俳優か何かのように、勝手に偶像崇拝していたということには気付いていた。
しかも、僕の婚約者には誰がお似合いかなどと、好き勝手に論争をし、自分達の理想を押し付けようとしていた。
具体的に、とある侯爵令嬢と僕が理想のカップルだ、とかほざいてる連中までいた。他国の美姫として有名な王女を推す者達も。
冗談じゃない。どちらも、何でも自分の思い通りになると勘違いしているわがままで傲慢な女性だぞ。
子供の頃から王太子の代わりに相手をさせられていたから、裏の顔くらい把握している。
母上から女性はみんな天使だから優しくしてね、と言われていたからにこやかに優しく相手をしていたが、本当は話すのも嫌だった。
過去を思い返して、自分はよくこれまで耐え忍んでこられたものだと改めて感心してしまった。
いや、自覚はしていなかったが、きっと心は限界に達していたんだろうな。
だからウェイストーン伯爵令嬢のことは、今思えばきっかけに過ぎなかったのかもしれない。
色々と経験し、失敗し、多くの人々に迷惑と心配をかけた。
もう僕は必要のない我慢などしないし、怒る時は怒るし、自分や大切な人を傷付けようとする者達は絶対に排除してみせる。
たとえあの王太子殿下だろうと。
そしてこれからは、僕とクリスタル嬢の婚約解消を望む者達を、全て敵と認定して対処するつもりだ。
そして一昨日、またもや彼女を呼び出し、婚約解消をするように迫ったご令嬢が現れた。そのアネモネ嬢に対し、僕が怒り心頭になったことは当然だったと思う。
なんとかして彼女達の理不尽な行為を止めさせなければ。僕はそれをブルーノ王太子に相談しようとしたのだが、全く無意味だった。
わかってはいたが、それでも幼なじみで長い間友人だったのだ。せめて最後に彼の誠意を見たかったのだが。




