第44章 気付くのが遅過ぎた初恋(エルリック視点)
一昨日、僕の苛立ちは沸点に達していた。
昨年一緒に生徒会活動をしていた、たたそれだけの関係の下級生がクリスタル嬢を裏庭に呼び出したからだ。
またか! これで五人目だぞ。
なぜ僕達に関係のないご令嬢ばかり、婚約解消を要求してくるのだ!
たしかにアネモネ嬢とは接触はあったが、それは全て仕事上の事務的な事だけで、私的な話さえしたこともない。彼女はただの生徒会の仲間で下級生というだけだ。
下位の令嬢ではあったが、かなり優秀なご令嬢だと思っていたのだが、大きな誤りだったようだ。
いや、それどころかかなり悪質な人間だったらしい。
この国では、結婚の日取りが決まると神殿前の掲示板に新郎新婦の名前が貼り出される決まりになっている。
アネモネ嬢は、その際に異議を申し立てると匂わせたのだ。
これは完全に脅しだろう。許せないと思った。
僕達の婚約はたしかにクリスタル嬢にとっては偽装で仮のものかもしれない。しかし、僕は最初から本気だった。そして、絶対に彼女と結婚してみせると心に決めている。
なぜなら、クリスタル嬢は僕が八歳のときに一目惚れしたの初恋の相手であり、ずっと思い続けてきた女性だったからだ。
彼女との間には絶対に越えられない壁があると思いこまされていた時でさえ、その思いを止められなかったくらいなのだから。
僕は物心がつく前から両親に連れられてよく王宮を訪れていた。
父が国王陛下の幼なじみで同級生だったことで、家族ぐるみで交流していたからだ。
陛下は両家の子供を結ばせたいと思っていたようだ。
しかし、学園卒業後にすぐに結婚して子をもうけた陛下とは違い、父は二十代半ばで結婚したので、王女殿下方より息子達が年下になってしまったので、その話は実現しなかった。
まあ、第二王女とは年下といっても二歳しか違わないので、縁談として無理な組み合わせということでもなかったが、母親同士があまり乗り気ではなかったようだ。
幼い頃の婚約は将来問題を起こすことが多いと主張したそうだ。
そこでその代わり、陛下の強い希望によって、私は七歳の時にブルーノ王子殿下の側近候補になった。
そのため、殿下と一緒に勉強や運動、そして剣の鍛錬をするために毎日のように王宮へ行くようになったのだ。
そして八年前のあの日も、いつものように王宮内にある訓練施設へと向かった。王太子殿下と共に剣術や体術、馬術などの指導を受けるために。
しかし、殿下は当分の間従兄弟達と遊ぶことになったので、一緒に過ごせなくなったと彼の侍従から告げられた。
急遽決定したために伝達が間に合わずに申し訳ないと。
勝手知ったる王宮。いつも一人で自由に行動していた僕は、迎えが来るまで庭園で過ごすと告げて、侍従の付き添いを断って建物から外へ出た、
そして気ままに庭を歩いていると、偶然賑やかな子供達の声が耳に飛び込んできた。
何をしているんだろう。興味が湧いた僕はその声のする、それまで踏み入れたことのないエリアへと入り込んだ。
そしてそこで僕は、黒髪の一人の少女を見つけたのだ。
「女子供は理不尽な目に遭わされても誰からも助けてもらえない。だから自分の身は自分で守れるようにしないといけないわ」
自分だってまだ子供なのにまるで大人のようにそう言って、王宮に勤める使用人の子供達に剣の扱い方や、護身術を教えていた。
それは貴族では絶対にやらない邪道と呼ばれる、卑怯で突飛なやり方だった。平民とはなんて野蛮なやり方をするのだろうと、最初は眉をひそめて見ていた。
しかし、彼女に教わった小さな少女達が、自分より年上で体格の良い少年達を次々とやり込めている様子を目にして、僕は現実を突き付けられた。
これまで元近衛騎士の先生方に教わってきた方法では、こうも簡単に相手をやり込めないだろうと。
騎士達の正当な模擬戦を何度も見学している。しかし、彼らが荒くれ者と対戦した時、果たしてすんなりと勝てるのか? そんな不安に襲われた。
だって、市井の悪党達は、真っ当な騎士では到底思いも付かないやり方で襲って来るに違いないのだから。
そんな騎士でも身を守れるかどうわからない有象無象の輩がいる市井で、庶民の子供達は暮らしていかなければならないのだ。
貴族の子供とは違って護衛などに守ってもらえるわけがないし。
だからあの女の子は、勝つためでも、やり込めるためでもなく、とにかく逃げるための先手必勝のやり方を他の子供達に教えているのだろう。
そう僕は理解した。
これまで見たことがなかったような、生き生きと活発に動き回る少女。それでいてその動きは粗野ではなく、どこか気品があって流麗だった。
まるで神話に出て来る女神アティーナのようだと思った。僕は彼らの訓練が終わるまで目を離せなかった。
翌日からも僕は王宮に通い、彼女の様子を見つめていた。日ごとに胸のドキドキが大きくなっていったので、僕は何か病気に掛かっているのかな?と少し心配になったけれど、それでも彼女を見に行くことをやめられなかった。
その後彼女が突然姿を消してから、僕は気落ちして寝込んでしまった。
ああ、やっぱり僕は病気だったんだ。彼女に声をかけなくて良かった。病気を移したら大変だったもの。
ベッドの中でそんなことを考えていたのだから、僕はかなり鈍かったのだろう。
しかもそれが初恋だと気付いたのは、それから五年後、しかも再び離れ離れになる直前だったのだから、自分でも呆れてしまう。
そして、ルディン殿下の誕生日パーティーで、王太子殿下からとんでもない嘘をつかれて私は酷く動揺し、クリスタル嬢に極めて失礼な態度を取ってしまった。
そのことを後悔しつつも、殿下に告げられたことがあまりにも衝撃的過ぎて、心の整理がなかなかつかず、自分の部屋から出ることができなかった。
そのため、一週間後に王宮へ向かうと、そこに彼女の姿はなかった。彼女は辺境の地へ戻ってしまったのだ。
再びショックを受けた僕は、殿下の言葉に悶々としながらも、その真偽を誰にも確かめられずにいた。
なぜならその内容があまりにもセンシティブなことだったからだ。
それ故に、殿下が嘘をついたのだとわかったのは、それから二年以上経ってからだった。
学園に入学したらまた会えると思っていたのに、クリスもクリスタルも姿を現さなかった。
そのため、僕は勇気を振り絞って、最上級生でしかも生徒会長でもあった、スイショーグ辺境伯家の三男であるブロード卿に話しかけたのだった。
注意!
女神アティーナはこの話の中の軍神です!




