第4章 婚約解消を要求される者(エルリック視点)
「こう言ってはなんだが、アネモネ嬢ならこれまでのご令嬢とは違って、話せばわかるのではないか? 頭もいいことだし」
僕はグルリッジ公爵家の嫡男でエルリックという。大切な婚約者のことで幼なじみの王太子ブルーノ殿下に相談すると、こんな無責任なことを言ったので、僕は非常に腹が立った。
「頭がいいだって? 本当に頭が良かったら、クリスタル嬢を呼び出すだなんて恐れ多い真似をするはずがない!」
「確かにそれは言えるな。あんな怖い女にたった一人で立ち向かおうだなんて。怖いもの知らず過ぎるよな」
「はあ? 自分の従妹だからと言ってその物言いは失礼だぞ。彼女は僕の大事な婚約者なんだよ。
それに僕は、王太子殿下の従妹でもある辺境伯令嬢に対して、非常に無礼な振る舞いだと言っているのだ!
いくら学院内では身分の上下を問わないとはいえ、それは学びに関することだけだ。
そんなこともわからない者の頭がいいわけはないだろう?」
「いや、そもそもみんなクリスタルの正体を知らないのだから、それは仕方がないのではないか?」
確かにそう言われてみれば、アネモネ嬢はこの学園の他の生徒達同様、クリスタル嬢のプロフィールを知らないのかもしれない。
クリスタル嬢は四か月前に、隣国オイルスト帝国からの留学生のクリス=ロングス伯爵令嬢だと、そう簡単に紹介されただけだったから。
しかし、本来知らない相手ほど怖いものはない。攻撃をしかけたらどんな反撃をされるのか予測がつかないのだから。
先月王城で開かれた剣技大会で、僕は学生でただ一人予選を通過した。
参加者は皆若手といっても一流の騎士が多く参加する大会なので、学生が予選を通過することは滅多にないことなのだ。
(まあ、あのスイショーグ辺境伯家の三人の令息方は、学生時代に予選を通過どころか優勝までしていたらしいが、彼らは別格だ)
それ故に僕はおべっかではなく本気で皆に褒められ、絶賛された。
いや、表面は褒めているようで実際はディスられていたような気もするが。
「ただの人形のように美しい、おっとりした男なのかと思って油断したら、思ったより機敏だったじゃないか」
「女みたいなヘラッとした奴だと思っていたのに、案外力が、いや筋肉がついているのだな。着痩せしていて油断したよ」
「顔良し、スタイル良し、家柄良し、頭良し、その上剣術も強いって、不公平だよな」
「そうそう。初参加のくせに妙に堂々としていて、物怖じしていなくて生意気だよな。怖いもの無しみたいその感じ、腹立つわ」
ブルーノ王太子はそんな野次の言葉に笑いながら、僕の肩を叩いて耳元でこう囁いた。
「そりゃあ、こんな連中なんて怖くもなんともないよな。実戦経験豊富で魔獣みたいな辺境騎士団と、この三か月毎日訓練していたのだからな。
しかもそもそも、あの女傑相手に格闘していたわけだし」
格闘だと? 確かにそう言われれば格闘と言えなくもなかったが、ブルーノ王太子の言葉にはクリスタル嬢をからかう、そんな響きが滲んでいて腹立たしかった。
彼女の従兄である彼に悪気はなかったのかもしれないが、婚約者である自分にその言い方はないだろうと思った。
一度はっきり注意しなければとその時思ったのだが、人の波に揉まれて彼とはすぐに離れてしまった。
確かに王太子の言葉の半分は当たっていた。クリスタル嬢の兄上や従兄弟達と実戦経験を積んだおかげで、王城の型にはまった剣技大会など、普段の鍛錬とそう変わらなかった。
ただし、二か月引きこもっていたせいで体力がかなり落ちていたために、まだまだパワーが回復していなかった。そのために結局決勝トーナメントではすぐに負けてしまった。
しかし、彼らに対して恐怖心などはこれっぽっちも抱かなかった。
そもそも彼らの手の内はよくわかっているのだから、怖いわけがない。怖いのは全く知らない、何を考えているのかさっぱり予測のつかない相手だ。
そう、僕の周りに絶えず徘徊しているご令嬢方のような人間だ。特に下位貴族のご令嬢のような。
高位貴族のご令嬢ならば、ある程度自分の立場というものを弁えているから、それほどめちゃくちゃなことはしない。
自分より身分の高い者の怒りを買うとどうなるか、それくらいわかっているから。
しかし、下位貴族や平民出身者は違う。こちらの予想外の行動をとってくる。
高位貴族の恐ろしさを分かっていないから、やってしまってからその結果に恐れ慄く。しかし後の祭りだ。
本来学院に入学すれば学問だけでなく、社会の秩序も学ぶはずなのだが、学問の平等を身分や地位までみな平等だと錯覚する奴らがいる。
愚か過ぎる。それが社会に出ても通じるのならば、そもそも身分制度など存在しないではないか。
クリスタル嬢を今まで呼び出した者達は皆、下位のご令嬢達だ。
身分も人間性もわからない相手を呼び出して、婚約解消を要求するなんて正気の沙汰ではない。しかもその要求する理由が
「貴女ではエルリック様と釣り合いません。ですから別れて下さい」
「貴女と婚約してからエルリック様はすっかり変わられてしまいました。それは貴女が彼に悪影響を与えたからです。別れて下さい」
「エルリック様はみんなのものなのです。婚約者だからといって貴女だけが独り占めにするなんて許せません。だから別れて下さい」
「エルリック様は尊い天からの授かりものなんです。ですから一人の特別になってはいけないのです。それ故に別れて下さい」
訳がわからない……
僕は僕のものだ。いや。以前は両親や兄弟のものだった。そして今はそれに加えて婚約者であるクリスタル嬢のものであって、それ以外の人間のものでは断固としてない。
それに僕がクリスタル嬢のせいで変わっただと? そうとも。彼女は意図せず八方美人になっていた僕を全うな人間に戻してくれたのだ。
そして自分の不甲斐なさで屋敷に閉じ籠もった僕を、彼女が外へ引っ張り出し、立ち直らせてくれた。
まあ、釣り合わないというのは当たっているかもしれないが、これからは彼女に釣り合う男になれるように必死に頑張るつもりだ。今度こそ絶対に諦めない。
剣術だってまだ三度に一回しか彼女には勝てないけれど、いつか勝敗を逆転してみせる!
「クリスタルは相当怒っているのだろうな」
ブルーノ王太子がこう言ったので僕は頷いた。そうとも。怒らないわけがないじゃないか。
だけど彼女の場合、婚約解消を要求されている事、それ自体は気にもしていないみたいだ。ただ彼女達への対処が面倒でイライラしているという感じだ。
何せあのご令嬢達に理屈、いや言葉が全く通じないのだから。
最初の二人にはきちんと対応していたクリスタル嬢だったが、全く話が通じなかった。
そう。半年前に僕と婚約してくれないと死ぬ、と騒いだあの伯爵令嬢のように。
クリスタル嬢は、最初に婚約解消を要求してきたご令嬢の説得に失敗した後、なんと僕にこう謝罪したのだ。
「偉そうなことを散々言ってすみませんでした。あんな話の通じない人達が相手じゃ、言い負けても仕方なかったですね。大変でしたね、今更だけど」
と。でも謝らなくていいよ。だって最初から貴女は僕を一言も責めなかったもの。
ただ「貴方は何も悪くないのだから、逃げちゃ駄目。一緒に立ち向かいましょう」と言っただけ。
僕はそれがとても嬉しかったんだ。その後泣くほど厳しいスパルタで鍛えられたとしても。
そもそも、僕は彼女にそんな優しい言葉を掛けてもらえる人間じゃないのだ。四年前、僕は王太子の嘘を真に受けて彼女を辛い目に遭わせてしまったのだから。
それでも王太子に憎しみを向けなかったのは、騙された自分が悪かったのだと思ったからだ。彼女のことだけでなく、その他諸々利用されてきたことに関しても。
しかし、もしまた彼女との仲を邪魔しようとしたら、たとえ王太子だろうが、今度こそ容赦はしない。
結局王太子に相談しても何の解決にもならないのだと、今さらながら僕は悟った。
しかしその日の夕刻、私は王太子の婚約者であり、幼なじみでもあるルビア嬢から一通の手紙を受け取ったのだった。