第15章 隣国で気付いたこと(クリスタル視点)
あの日に私がどう感じていたのか、その後グルリッジ公爵家の内情を知った上で、私はそれを皆に語った。
王家の人達の前で王太子殿下の裏の顔を暴露することに些か気が引けたが、同時に自分の両親の恥も晒しているのだから、まあいいかと開き直った。
グルリッジ公爵夫人に騎士になって欲しいと勧誘された時、これまでのブルーノ王太子に対する不満が溢れ出したのだが、それがどうしてだったのか、今さらながらに気が付いたわ。
あの時、留学していた頃に教授に言われた事を思い出したからだった。
四年前、私は騎士になるために隣国へ留学した。
騎士科といっても実技以外は他の科と学ぶ内容はそう変わらなかった。ただ、騎士になるためには座学も重要だったので、一度でも赤点を取ると転科を余儀なくされる。
そしてその騎士科必修科目の中に犯罪学というものがあり、これがとても興味深いものだった。
そのテキストの中には、実際に罰則がある犯罪ばかりではなく、法律上罪には問えないが、倫理的には罪だという事例もずいぶん記されていたのだ。
つまり、その行為自体は犯罪としての処罰はできない。しかしそれが誘因となって別の大きな罪を引き起こすことになる事例についてだ。
それらの行為は法では裁けないことが多い。しかし、何か事件が起こった際は、まずそれらの誘因となった事象について調べることが、事件解決の鍵になることが多い。
そのために調査に当たる場合、その知識が必要になるというわけだ。
「人間関係というものは複雑だ。人の心は善意ばかりでなく悪意も満ち溢れているからだ。油断しているとすぐに足元をすくわれる。
人を貶めようとする悪知恵の働くやつらは、犯罪にならないことなら平気で嘘をつくし、自分に都合よく相手を誘導し、利用しようとするからね。
だから嵌められないように気を付けることが一番なのだ。
しかし、もし嵌められてしまっても、面と向かって怒りを表したら、余計に相手の術中に嵌ってしまうからね。そこは冷静に対処することが重要だ。
なにせ相手は処罰されるような罪は犯していない。だから言い逃れをされてしまえば、被害者はただの負け犬になってしまう。
だが、この世の中そう甘くない。さっきも教えたように、倫理的な罪というものがあるからな。
むしろこちらで罪人と認識された方が厄介かもしれないな。
誰だって凶暴な人間は怖い。しかし同じくらいに裏表がある人間だって怖いだろう?
そんな人間が近くにいたら、いつ嵌められるかわからなくて怖すぎるだろう。
絶対にそんな人間なんて信用できないし、関わりたくないと思うのが普通だよね。
つまり噂というものを、そのまま全部鵜呑みにするのは愚かだが、その中にはいくらかは真実も交じっていると考えた方がいい。
罪には問えないが、それでも倫理的には許せないと思えることがこの世には多いということだ。
だからこそ、意図的か無意識かは別にしても、他人にも危険を察知させようとして、人々はその罪を世間に流布するのだろう。
故に、聞き込みという作業は手間がかかるが有効な捜査と言えるのだ。犯罪というものには、そんな悪意が複雑に絡みあって起こるものだからな。
これは事件捜査に限った話ではなく、これから成人して社会に出たときに役立つ話なのだよ」
指導教官は厳しい表情を崩して、愛しい子供でも見るような優しい目で学生達を眺めながらそう語った。
その話を聞いたとき、私の脳裏には自国の王太子の顔が浮かんだのだ。
犯罪になるようになることは何一つしていないが、平気で自分のために他人を駒のように自由に動かして行く。
これは王族としては当然、いやむしろ褒められるべき行為なのかもしれない。
しかし、それを国政ではなく私的な場面でするのは話が違うと思う。
しかも身内や親友に対して行うのは人として、倫理的に問題があるのではないかと私は思った。
私はエルリック様との件で心に大きな痛手を受けたが、そのことで彼を恨んだり憎んだりはしていない。
彼には悪意など全くなかったし、そもそも犯罪や倫理に反することをしたわけでもないのだから。
それに比べて王太子殿下には私に対する悪意があった。いくら嫉妬心があったとしても、私を利用するだけ利用した挙げ句に、私を嵌め、翻弄し、傷付けるなんて卑怯だと思った。
私はあの男が嫌いだ。両親と同じくらいに。
教官の話を聞きながら、何故私が母国で辛かったのか、その原因にようやく気が付いたのだ。
私は両親や従兄である王太子によって、たとえ明らかな犯罪ではなくても、倫理的には悪である行為を長期に渡って受けていたということに。
私はそんな辛くて悲惨な世界から抜け出せたことに感謝した。
そして明るい未来に向かって必死に努力を重ねた。その結果、多くのことを学び、経験することができた。
しかも世界各国から集まった多様な才能を持った多くの友人達ができたことは、大きな財産になった。
どこへ行っても自分は生きて行ける、そんな前向きな気持ちにもなった。
それなのに飛び級をして、人より一年早い卒業が認められた頃、母国から書簡が届いたのだ。
いずれ卒業したら騎士として採用してやるから、留学を終えて帰国し、王立学園に編入しろ。そして、ルビア様の護衛をしろと書かれてあった。
ふざけるな!
それが最初の感想だった。
「ルビアのことは僕が守る。だから二度とお前は彼女に近付くな!」
そう言って私を王都から追い払ったのはブルーノ王太子だったじゃないか!
そしてこう思ってしまったのだ。このままやられっぱなしで終わるのは悔しい。一度帰国して、直接手を出したりせず、冷静にじわじわと追い詰めて、それなりの報復をしてやるのも悪くはないと。