第1章 婚約解消を要求される私(クリスタル視点)
私の名前はクリスタル=スイショーグ。ストーンキャスト王国の辺境伯家の四兄妹の末子だ。
通称はクリス。
しかし、私は不本意ながら他に二人の人物を演じている。
そのうちの一人は、辺境伯の隣の領地の子爵家の令息クリス=コークス。そしてもう一人は、オイルスト帝国の伯爵令嬢のクリス=ロングス。
是非そのことを覚えていて欲しい。
「エルリック様と婚約を解消してください。貴女はあの方に相応しくはありません」
聞き飽きたこのワンパターンな台詞を発したのは、子爵令嬢のアネモネ嬢。たしか生徒会役員の二年生。
わざわざ人気の無い裏庭に呼び出す配慮ができるのだから、一応真面目な娘なのだろう。要求していることは非常識だが。
それでも半年前までいた隣国だったら、この手の台詞を公の場でやっていたから、この国の方がまだマシ?
「何故黙っているのですか!
都合が悪くなると黙るっていう噂は本当なのですね。卑怯です!」
いやいや。都合が悪いと黙るなんて、私が一番嫌いなことだよ。
だけどね、毎回同じ問答を繰り返すのは流石に面倒でしょ?
根気強い私は一応二人目まではちゃんと応対して、質疑応答をしてあげたわ。まあ結局納得はさせられなかったけれど。
こちらがあんなに時間を費やしてやったのに理解できないなんて、まだ若いのに彼女達はなんて頭が固いのだろうか。いや、それとも正真正銘の馬鹿なのかしら?
あんな不毛な時間はもうたくさんなのよ。
今月に入ってからこのご令嬢で五人目だけれど、三人目からはさすがにそんな無駄なことに時間を使うのが嫌になったわ。あまりに虚し過ぎる。
辺境伯令嬢である私、クリスタル=スイショーグ(仮名・隣国オイルスト帝国の伯爵令嬢クリス=ロングス)は、子爵令嬢を見下ろしてこう言ってやった。
「私は貴女と違って忙しい身なのです。
そんな私が、何故よく知りもしない貴女のお相手をわざわざしなければならないのですか?」
「何故って貴女はエルリック様の婚約者なのでしょ。それなら私の質問に答える必要があるじゃないですか!」
「おっしゃる意味がわかりませんが」
「だ・か・ら、この国では結婚式を挙げるカップルの名前が、神殿前の掲示板に一週間ほど貼り出される決まりになっているのですよ。
そしてそこには、その結婚に異議のある者は申し出るようにと書かれてあるのです。
ですからその時に異議を申し出されないように、私を、いいえ、この学園のご令嬢全員を貴女は納得させるべきなのではないですか、と私は親切に申し上げているのです。
貴女は隣国からの留学生なので、ご存知ないとは思いますが!」
「なるほど、そういうことですか。長々と説明してくださりありがとう。よくわかりました。
しかし、こちらは忙しい身なので、貴方方一人一人と質疑応答している暇はありません。
私に対する要求はどうやらみな同じようなので、皆様にまとめてお話をさせて頂いてもよろしいかしら?
そしてそれを実施する日時は私の都合に合わせてもらいたいのですが、それで構わないでしょうか?」
私の方がまず一歩引いた振りをしてそう提案すると、さすがに彼女も反論はできないと判断したのか、不満そうな顔をしながらも、それならいつならいいのかと尋ねてきた。
「そうですねぇ。同じようなことを言って来たのは、最初の人から数えてあなたで七人目なのよ。
けれど、私の予想ではあと十人以上は同じ様な人が出て来ると思うのよね。
だから総勢二十人になったら、招待状を貴女にお送りしますわ。
目安としてはあと二週間ほどかしら。それまでお待ちいただけないかしら? 皆様まとめて応対したいので」
そう私は答えてやった。そして皮肉を込めて、
「私は貴女と違って暇じゃないので、個別対応をする暇がないのです」
とも。
すると最初は呆然としていた小娘が、生意気にも私にこう食って掛かってきた。
「忙しい忙しいってわざとらしいわ。私だって学院の勉強だけでなくて、生徒会活動と淑女教育があって忙しいのよ」
「それくらいなんてことないでしょ?
私は学生の身でありながら、既に仕事に就いていて超多忙なのですよ! しかもそれはこの国の高貴な方々からの依頼で断れなかった面倒極まりないものなのですよ。
そのせいでこの数か月まともにベッドで寝られないくらいにね!
ああ、このことはどうか内密にお願いします。もしばれたら、あなたとご家族の首が離れ離れになる可能性がありますからね。
そうそう。招待状をお送りしたいのであなたのお名前を教えて下さい」
このところずっと睡眠不足である私は、抑えてはいたがかなり苛ついていた。昼休みに少しでも仮眠を取ろうとしていたのに邪魔をされたからだ。
私をこんな状況に陥れたあの男にいつか絶対に復讐してやる!と心の中で誓いながらアネモネ嬢を見下ろした。
どうもそれがアネモネ嬢を睨み付ける格好となったらしく、彼女は震え上がった。そして、
「ごめんなさい、ごめんなさい。余計なお時間を取らせて本当に申し訳ありませんでした〜」
アネモネ嬢は勢いよく何度も頭を下げてから、ご令嬢だというのに猛スピードで走って逃げて行った。結局名前も名乗らずに。
ふん、時間だけでなく、失礼な要求をしたことも謝れよ!
それに逃げ出すくらいならそんな要求してくるなよ、根性無しめ!
私が腹を立てて彼女の後ろ姿を見ていたら、今度はこんな声が聞こえてきた。
「駄目よ、クリス! 淑女がそんな目つきをしては。せっかくの美貌が台無しよ」
「美貌? 冗談はやめて下さい。どうせ私はきつい悪女顔なのですから、今更お淑やかなエセ笑顔を要求されても無理なのです」
「あら、昔は淑女らしくしていた時もあったじゃないの」
「あれは私にとって黒歴史です。とうの昔に抹消して、ほとんど記憶にはありませんので、再現は無理です、ルビア様。
それより、勝手に食堂からお出にならないで下さいと申し上げているのに、どうしてお一人でこんな所へいらしたのですか?
そもそもブルーノ殿下はどうなさったのですか?」
「殿下は抜き差しならぬご用ができて、特別室へ行かれてしまったの。でも私は大丈夫よ。影も付いているし」
「そりゃあそうでしょうが、彼らでは表に出られませんから、よっぽどのことがなければ助けて下さらないでしょ」
そう。目には見えないが、王家の影を引き連れているこのご令嬢は、ストーズン侯爵家のルビア嬢。ブルーノ王太子殿下の婚約者である。そして私の幼なじみで、護衛対象でもある方だ。
つまり、先ほど私が忙しいと連発していたのはこのせいだ。彼女の護衛だけでも大変なのに、さらに王太子殿下からはとんでもない頼み事をされたのだ。
それは、グルリッジ公爵家の嫡男エルリック令息の偽装婚約者になることだった。
以前私は彼に振られている。よりによって何故そんな男の婚約者になどならなくてはいけないのか!
案の定、何度もさっきのように見知らぬご令嬢から理不尽にも婚約解消を求められるし、腹立たしいったらありゃしない。いくら偽装とはいえ、これはあまりにも鬼畜な所業だろう、クソ王太子!