4/22日 土曜日
4/22日。土曜日。
うちの学校は半ドンなんてない。
普通の休日だ。
家。
と。
「ピンポーン」
うちの家のインターホンが鳴った。
「さて」
インターホンが鳴った。
というか、ピンポーンって声が聞こえた。
平坦で抑揚のない、しかし聞いていて心地のよい声。
玄関まで歩いて、ドアを外に開く。
「あ、先輩。起きてましたか。まぁ午前十一時ですし。起きてますよね」
「……何の用?」
正確には、そんなスポブラみたいなへそ下まである黒のタンクトップに太ももまでの短パンで、何の用?
「隣の家なんで、毎日会うのは簡単ですよね。だから来ました」
「答えになってないような気が」
隣の家だからって会わない日があってもいいはずでは。
「先輩の家、上がれますか?」
「上がる気なのか……」
びっくりだった。
「いや、無理。いま家族がいるから」
「じゃあ家族がいないときなら上がってもいいと。そういうことですね」
「そうかもな」
「じゃあ、うちに来ますか。先輩もほら、着替えてください」
「俺はこれが休日着なんだよ」
「インナーとジャージですか? タフですね」
「それを言うならラフだ」
「じゃあ。そのままうちに来てください。今日は親がいないので大丈夫です」
「なら大丈夫か」
「そうですね。大丈夫ですね」
俺はつっかけのまま扉を出て、隣の家の敷地に入った。
昨日まではスカートに隠れていた桃が短パンを中から圧していて、俺はそれを追えばよかった。
「さて」
と、加藤が自身の家の前で立ち止まる。
扉を開いてこちらを向いた。
「入ってください」
「ふぅん。あんま、内装はうちと変わんないな。お隣さんだしそんなもんか」
「そうですね。あ、いま私しかいないのでカギ閉めますね」
「防犯だな」
そこで気付く。
「そういや、うちのカギ閉めてないな……まぁいいか。うちは家族がいるし」
「そんな油断が命取りかもしれませんよ。大丈夫ですか?」
「大丈夫だろ。うちには姉と妹がいるんだ。どっちももう死んでるけど、きっと天国から見守ってくれてるはずだ」
「嘘ですか?」
「嘘」
嘘だった。
「どこが嘘ですか?」
「もう死んでるってとこが嘘」
「じゃあ姉と妹は本当にいるんですか。珍しいですね。長女、長男、次女の順番って」
「そうか? 一姫二太郎っていうだろ? そこからもう一人女の子が生まれただけだろ」
「まぁそうですね」
後ろで加藤も靴を脱ぎながら、家の中に入る。
俺の靴を揃えるあたり、育ちの良さが垣間見えた。
「先輩の姉妹……何歳差ですか?」
「どっちも二歳差。姉がいま二十。妹がいま十六」
「十六ですか。私がバニーに挑戦した年齢ですね」
「いやあいつは多分無理だ」
とっさに否定していた。
「加藤ほど大きくないからな」
「へぇ」
「いや着ようと思えば全然着れるくらいには、あいつもあるだろうがな」
「妹の胸の大きさ、知ってるんですか?」
「同じ屋根の下に住んでりゃ、そりゃまぁ。兄弟ってそういうもんだぜ。加藤は?」
「兄弟ですか? いません。一人っ子ですね」
あー。
まぁ、イメージ通り。
「私、一人っ子に見えますか」
「まぁ。だって落ち着いてるし。クールってほどでもないけど、ダウナーみたいな」
「落ち着いてるのは、声量があんまり大きくないからでしょう」
じいと俺の目を見る加藤。
「声を出すって疲れません? 高い声も出そうと思えば出せますけど、会話に力入れるのって疲れますし」
「いや十分声は高いと思うけどな」
「それは男性の基準で、でしょう。女の中では低い方だと思いますよ」
「でも聞き取りにくくはないのが、はっきり男の声と違うところだよな」
これはいつか言おうと思っていたことだった。
他のやかましい女に比べて。
「ちょうどいい塩梅の声というか。高すぎず低すぎず、かといって中性的でもない。一番聞き取りやすい音域だ」
「音域って。音楽分かるんですか?」
「全然。なんとなくで喋ってるぞ」
「でしょうね」
そうして、案内されたのは洗面所だった。
脇の小物入れに歯ブラシが三本刺さっている。
バスタオルに下着入れに洗濯機。向こうに風呂場のすりガラスみたいなプラスチックの扉。
「昨日言っていた、身長と胸のサイズと汗について実験してみましょう」
「それが今日の用事か。何されんのかと思ったけど、牧歌的だな」
「では。これをどうぞ」
言って、加藤に巻き付くタイプの柔らかいメジャーを渡された。
百均で買ったのだろう、三百円のシールが付いていた。
「汗をかくと胸のサイズは変わりかねないので。先に測りましょう」
「メジャー、あるんだ」
「はい。うちにもあります。ありました」
「あっそ」
「じゃあ。早速どうぞ」
「はいはい。えーと……」
メジャーを引き出しながら加藤に近付いて行く。
「胸って、アンダーとトップを測ればいいんだっけか」
「そうですね。まぁトップはブラ尽きなんで参考値ですけど」
そこで、スポブラみたいなタンクトップを胸の上までたくし上げて、加藤はブラを露わにした。
数字の3を九十度左に傾けたみたいな胸の輪郭が、ブラに包まれて現れる。いやもっと外に広げた感じの3だった。
黒で細かい刺繍の入ったブラ。外から観測するよりもなお大きい。
それが、内側から胸に圧迫されて、精一杯こちらに伸びていた。
「で。先にどっちから測るんだ?」
「ご自由にどうぞ。どっちからでもいいです」
「へぇん。じゃあ大事な方から測るか」
「ならアンダーの方ですね。どうぞ」
胸の下を手の平で水をすくうように持って、胸を持ち上げる加藤。
俺はメジャーを伸ばして胸のすぐ下の際、アンダーに沿い当てた。
「……冷たいですね。健康診断みたいな気分です」
「……んー。何センチだ。七十……二くらいか?」
「そうですか。まぁそこまで以前と変わってませんね」
「まえ測ったのっていつ?」
「数日前ですね」
「最近すぎるだろ」
「健康診断で」
「あぁ……」
そういやあったな。
春だし。
「じゃあトップも測るか」
「はい。どうぞ」
言って、今度は胸から手を離して加藤は直立する。
俺は乳首辺りを目掛けて、ブラの上からメジャーを押し当てた。
むにゅ、と聞こえたような気がした。
「……九十……七、八くらいかな」
「まぁブラ有りだとそんなものですかね。乳首というか、乳頭じゃないですから。前より小さくなってます」
「これって、何カップになんの?」
その辺、女子にご教授願おう。
「トップが九十八、アンダーが七十二だとして」
「ブラ有りなんで、トップは二センチくらい伸ばしてもらえれば。そうすると、百ひく七十二で、大体Hカップになりますね」
「へぇん?」
ものすごく簡単そうに言われた。
「トップとアンダーの差が三十センチくらいだとHってことか?」
「いえ、差が二十七・五センチくらいならHカップになります。三十センチだとIかっぷですね」
「l?」
「いえ、小文字のLではなくて、Iです。Iカップ」
「へぇ」
差が大体、二十八センチだから。
加藤は、Iカップ寄りのHカップなわけだ。
「二・五センチ差でカップ数は変わるってことか?」
「大事なのはアンダーとの差ですよ。アンダーが太いならトップも伴って太くなりますし」
「あぁ。たしかに。胴体の円周が九十センチあるダルマ落としみたいな人なら、胸は必然、九十センチ以上になるもんな」
「そうですね。分かりやすいイメージとしては、胴と胸の円周の差がカップになるわけです。胸が大きくてもアンダーも大きいなら胸が大きいとは言えないんですよ」
「へぇ……」
勉強になる話だった。
姉と妹にはあんま、詳しい話は聞いたことないし。
いや、忘れてるだけかもしれないけど。
「じゃあ、Hカップだとして。ブラはどのサイズになんの?」
「H七十ってやつですかね」
「そりゃあ……どういう意味?」
「七十がアンダーの長さで、Hがカップ数です」
「あぁなるほどね。カップ数がそのままトップとアンダー差になるから。それで分かるわけか」
アンダーで下から支えて締め付けて、トップでカップの容量を合わせる。
昔の偉い人は上手いこと考えるものだった。
「でもそれ、キツくないのか?」
なんとなく、ブラを作った誰かに反発したくなった。
「アンダーが七十のブラなんだろ? ならアンダーが七十二の加藤にはキツイんじゃ?」
「いえ、ブラってこんな感じで、基本的にホックが三か所あるんで」
ちゃんとそこも考えられているらしかった。
「これが手前側に向かうほど緩くなって、奥の方に向かうほどきつく留められるんです。その調整が、これも二・五センチ幅。なのでアンダー七十のブラを一番緩いところで留めれば、アンダー七十二・五までの胸は支えられるんです」
「あぁ……そりゃ、ピッタリサイズだけしか付けられないようにはしないわな。そうか、ブラのホックって複数あるんだった」
こてんぱんに俺の負けだった。
ブラを作った人、俺の負けです。
「これがあるんで、一番緩いところで付けたときに感触のいいブラを買うのが裏技だったりしますね」
加藤は気にせず、タンクトップずり上げ状態のブラのままで言う。
「そうすると、長く使えますから」
「なんで?」
「生地が伸びても奥のキツいホックに留めればちょうど良くなるんで」
「はぁ……知恵だな」
「知恵ですね。ブラって高いですし。長く使いたいものですよ」
切実な問題だった。
「ま、そんな感じで。二・五センチの調整はホックでできるんです。だからブラのアンダー表示は五センチ刻みなんですね。三か所のホックで間のサイズの胸も見捨てない感じです」
「へぇん……男にゃ、縁のない話だな」
あんま日常的に接するような情報でもないし。
「姉妹がいるんじゃなかったですか?」
「さすがにブラをまじまじと観察する機会はない。しようとも思ったことないし」
「妹さんはそこまで大きくないんですよね。お姉さんはどうなんですか?」
「うーん、そうだな……あんま、だな」
二十歳の姉。
「妹よりは大きいけど、でも加藤ほどじゃない。ブラ越しに見ても、多分加藤のほうが大きい」
「そうですか」
「多分だけどな」
姉の乳なんて、凝視しないしな。
「あ、先輩がスポブラ知ってるのって、妹さんのブラがスポブラだからですか?」
思いついたように加藤が言う。
「お姉さんが大きいなら、残るは妹さんですよね」
「そう。妹がスポブラちっくな感じのやつ付けてる」
「へぇ。じゃああんまり大きくないんですね。やっぱり」
「それでも加藤ほどじゃないってだけで、妹も大きい方だと思うけどな」
十分、巨大の『巨』の文字は相応しいが。
「それでも加藤と姉が周りにいるのが悪いわ。環境が悪い、環境が」
「姉の年上属性に私の後輩属性で、妹さんは年下属性ですか」
「パワーがないよな」
「そうですね」
タンクトップを直して、加藤は背筋を伸ばした。
「じゃあ、次は身長測ってもらえますか?」
「あぁ、その話もあったな……」
「忘れてたんですか?」
「いや忘れてたわけじゃないけど、新しい情報が入ってくると脳が一時的に混乱するから」
「ブラの話、覚えたんですか」
「まぁ」
「そうですか。いいですね。あんまり、そういうの知ってる男性っていませんし」
「身長測るよ」
「はい。どうぞ」
加藤は言って、また背筋を伸ばす。
俺はメジャーの先を地面に落として、動かないように軽く踏み、加藤の銀白髪の頭まで伸ばした。
「……百七十……六。くらい?」
「そうですか。前と同じですね」
「俺と同じくらいだな」
「ちょっと低いですけどね」
まぁ同じくらいだった。
「でも、顔の輪郭がちっさいからすごい背高く見えるな」
「顔の輪郭、小さいですかね。小さいってほど小さくないでしょう」
「いやそうだけどな。でも顔の輪郭の下半分がきれいだから、小顔に見えるんだろ」
「そうですか。そうかもしれませんね」
言って、加藤は風呂場のドアを開けた。
「じゃあ、私、汗かいてみるので。このタンクトップに汗が染みてきたら言ってください。それまでは他のことでも話しましょう」
「これするためだけに風呂のお湯入れたのか?」
「そうじゃなきゃ暑くないじゃないですか」
つまりは簡易なサウナってわけだ。
「でも、湯気が染みたら汗と混じるんじゃねぇの? どっちがどっちか分かんなくなるだろ」
「あぁ。それならこのタンクトップあげますんで、匂いでも嗅いでみてください。臭いがしたら汗です」
「また微妙な判断基準だな……」
雑な実験だった。
「じゃ、スタートで」
加藤は風呂場の中に置いてあった風呂用の椅子に座った。
風呂場の中から、洗面所にいる俺を斜め下から見上げる形になる。
「……短パンが水滴で濡れるんじゃ?」
「別にいいですよ。私の家ですし」
それもそうだった。
「で。じゃあ、なんの話をしましょうか」
「風呂に関係する話でもするか?」
「何かあります?」
「いや、なんにも」
「じゃあ、使ってるカミソリはI字派ですか? それともT字派ですか?」
「風呂……には関係するか。カミソリな」
カミソリか。
「家にあるでしょう?」
「ある。俺はI字派」
「へぇ? 珍しいですね。男性用のカミソリって大体T字じゃないですか?」
「そうなんだけどな……でも、あんま俺は好きじゃないんだよな」
これは中学の時に自覚したものだ。
「なんか、指先の神経が役立たない気がして」
「そうなんですか」
「そう。I字の方が器用に動かせるというか、小回りが利くというか。やってみた感じ、俺はそう思う」
「T字ですか……私はI字しか使ったことないのでなんとも」
「剃るとこあんの?」
「そりゃ……まぁ」
「あっそう。でもやっぱI字だよ。T字はいかにも手先の雑な男用って感じする」
「そうですか。まぁ先輩って指きれいですもんね。長いしごつすぎないし。理想的な男の手って感じです」
「そうか? きれいかね」
俺は自分の手を加藤にも見えるように甲を上にして開いた。
「男の中ではトップレベルできれいな指してますよ、多分。爪も短い、荒れてもない、きれいなのにちゃんと男の手、というか。骨が浮き出すぎてもないですし」
「ちょうどいい太さってことか。なんでだろうな……指って、どういう成長するんだっけ」
「さぁ。ピアノとかやってました?」
「やってない。指を使うスポーツとかも……サッカーやってたけど、まぁ、手はあんまり関係ないし」
「先輩、サッカーやってたんですか?」
「まぁ、昔」
と、加藤が見つけたというように口を開いた。
「それじゃないですか?」
「それって?」
「だから、サッカーやってたっていう。私の勝手なイメージですけど、サッカーやってる人は手がきれいなイメージあります」
「はぁん?」
なんだそりゃ。
どういう因果だ?
「あれじゃないですか? そもそも運動することが身体の発育に繋がって、それで手が成長。かといって指を使うスポーツだと必要以上に指先が筋肥大してしまいますから、結果サッカーがちょうどよかったっていう」
「飛躍してね?」
「そうですかね。経験上、サッカーやってた人は大体、指きれいなんですけどね」
「ふぅん……」
思い出してみた。
サッカークラブの人達。
覚えてなかった。
「それに頭の良い人は手がきれいって話もありますしね」
「そうか?」
「将棋指しとか見たことあります? あの人達、指先も商売道具ですからね。きれいですよ」
「商売道具ってのは、駒を持つ手が、ってことか?」
「そうです。駒を持つときの感覚が勝敗に直結するとか……なんとか」
「あぁ、そういう意味」
「どういう意味ですか?」
「いや、お客さんが見るからって意味かと。将棋って最近、ネットでも中継してたしするし」
「あぁ。そうですね。そういう意味もあるでしょうね」
たしか、テレビとかでもやってたりするはずだ。
「でもそれ、将棋指しが手がきれいってだけで、手がきれいな人は頭が良いってわけじゃないんじゃないのか? 手がきれいじゃなくても将棋指しにはなれるし、頭が悪かろうが手をきれいにはできるだろ」
「だから傾向ですね。そういう傾向がありそうというか、イメージというか」
傾向か。
便利な言葉だった。
「ふぅん。ま、たしかにピアノ弾きとかも手、きれいだもんな」
「それは単純に動きに差が出るからじゃ?」
「指の動き。運指だっけか」
「はい。ピアニストの指がきれいなのは指の動きを滑らかにするためでしょう」
「でもピアノ弾きって頭よさそうだろ」
我ながら雑な返事だった。
「なんか、発育にいいとか教育にいいとか、右脳だとか。実際、ピアノやってた奴って頭良かった気がするし」
「脳みそ的にですか」
「そう。ピアノに限んないけど、芸術分野の人って、なんか、頭良さそうな感じするだろ」
「そうですね。それはその通りかもしれません」
「なんなんだろうな……なんか、繋がりとかあるのかね」
「指って、『第二の脳』って言いません?」
聞いたことなかった。
「指先の器用な人って指に神経の多い人ってことになるじゃないですか。で、指に神経が多いなら頭に繋がってる神経も多いってことになるので……サルから道具を使いだして進化した人類のように、指先の器用さは頭の良さと同義らしいですよ」
「それで、『指が第二の脳』、か。へぇん、面白い話だな」
知らなかった話だから、余計にそう思う。
「頭が良い人が指先きれいなのも、神経が繋がってるから、指のきれいさを神経質に気にするようになるってことか。へぇ……」
「指先がきれいな人は女にモテるって言いますよね」
「初耳だな、それも」
と。そこまで話したところで。
タンクトップが、加藤の肌に張り付いているのに気付いた。
加藤の白過ぎないきれいな肌が透けている。
「……十五分くらい?」
「そうですね。それくらいでしょう。すべすべ肌がさらに潤いを持ってます」
「それ汗? 湯気?」
「嗅いでみてください」
言って、加藤は椅子に座ったままタンクトップを脱いだ。
またブラが現れる。
加藤はタンクトップを俺に渡した。
「……んー? いや、分からん。臭いのするような、そうでもないような」
「まぁそもそも私の家の中ですしね。どこからの臭いかも分からないですか」
「まぁそう」
「じゃ、今度は先輩の家で試してみましょう。それなら私の臭いは完全アウェイです」
汗染み実験、第二弾。
イン、俺のマイハウス。
そこで思い至った。
「ってか、風呂の中で脱ぐ直前まで来てたら臭いがするのは当たり前じゃないか?」
「バレました?」
加藤は気付いていたらしかった。
いつからだ。
「いまさらの疑問だしこっちが悪いけど……実験した意味ないだろこれ」
「だって、昨日のしりとりから先輩のこと好きにできると思うと、とりあえず思い付きで動いてみたくなったので」
なんのことだ。
「しりとりで負けた方が、命令を聞くんですよ」
「……あったな。そんなの」
結局、昨日はそのまま帰宅したから、有耶無耶になったのかと思ってた。
「……はぁ。ってか、『月が綺麗ですね』って、日本史か?」
昨日の話の続きだ。
「日本の文豪かもしれないけど、日本史ではないんじゃ?」
「でも教科書には載ってるでしょう。夏目漱石」
「そうかもしんないけど」
「私の出るとこ出てる身体を先輩の好きにさせたら、どんな事されるか分かりませんし。勝つしかなかったですね」
「その条件、自分から言い出しといて……?」
ってか、聞こえてたのか。出るとこ出てるっていう俺の独り言。
そういや、そこから『う』責めが始まったな。
ブラのままの加藤が言う。
「ちゃんと戦って勝ちましたよ? 私」
「……はぁ。まぁ、負けたし。いいぞ」
「ん。潔いですね」
「まぁな。あんなことやこんなことでも、命令してくれ」
状況が状況だ。
なんでも受け入れるつもりだった。
「なんだか、潔いなら潔いで変な感じですね」
「本当に思ってるのかよ。表情あんま動いてないけど」
「こういう表情なんです」
そうですね、と言って。
加藤は斜め下から見上げるように、つまり上目で、こちらを見た。
乞うような目線だった。
「『月が綺麗ですね』……ですかね。命令は」
「『死んでもいいわ』……あ? なにその命令」
「反射的に答えるの、生粋の日本人ですね」
言って、加藤は風呂用の椅子から立ち上がった。
そうして、風呂の扉を閉める。
「……なんで、加藤サンは風呂の中に入ったままドアを閉めたんでしょうか」
「シャワーを浴びたいからです。汗かいたんで」
汗かいてんのかよ。
いや、それはどうでもいい。
「今から?」
「はい。もうブラも取って短パンも脱いでます」
すりガラスの影は女性的な身体の輪郭を映していた。
胸は山なりに、腹は細く、尻がもう一峰。
ショートの髪から水滴が垂れている。
シャワーの音が聞こえた。
「え、本当にシャワー浴びてんの?」
「はい。聞こえませんか? 水の音」
「聞こえるけど」
「返事はまた明日に聞きに行きます。今日は帰っていただいて大丈夫です」
「帰るって……」
カギはどうすんの?
一人なんだろ。
「合鍵、玄関脇にあるんで。持って出て、閉めてください」
「…………あっそ」
シャワーの音を聞きながら、俺は洗面所を出た。
加藤のタンクトップを手に持ったまま。




