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エピローグにおける蛇足・4

 思い出そう。

 これまでの曜日、自分が何をしてきたか。

 そして、何をしてないか──を。


(まずは、木曜日)


 木曜は、『先輩』と初めて会話した日だった。

 4/20日。

 昨日のことのように思い出せる。

 好きが抑えられなくなって──放課後になるのと同時に、加藤は先輩の教室に走った。

 三年三組。


(しりとりは、だから、方便だった)


 『先輩』と話せるならなんでもよかった。

 すぐに思いついたのがしりとりだったというだけで、他にも勉強のことだったり、学校のことだったりと──いくらでも、会話の糸口はあった。

 なんでもよかった。

 それで、なんとなく、気の向くまま、口の動くまま、加藤はしりとりを選んだ。

 で。

 『先輩』の反応は──半分が予想通り、半分が予想以上だった。


(私は──もっと、交渉が長引くと思っていた)


 そりゃそうだろう。年下美少女とはいえ、誰が初対面の女と一緒に下校して会話を続けたいと思うのだ。

 だから加藤は、一緒に下校するための交渉は長いものになるだろうと思っていた。

 三年生の教室だ、交渉の場は明らかにあちらが有利だとして──だから、加藤は覚悟を決めていた。

 どれだけ長引こうと、今日こそは、『先輩』と関係を作ろうと──加藤はそう、覚悟を決めていた。

 それで加藤は、あの日、木曜日、実際に『先輩』に話しかけてみた。

 すると。


(最低限の応酬で、先輩は席を立っちゃった)


 『先輩』は、半分、予想以上の動きを見せた。

 最低限の質問だけで、『先輩』は加藤と下校することを決めたのだ。 

 席を立って、廊下に出て、一階に降りて。

 加藤と並んで、家路についた。

 そこには、なんの疑問もなかった。

 なんの確認もなかった。

 『先輩』は、ごくごく当たり前のように、まるで旧年来の友人と遊びにでも出かけるように、席を立った。


(いや、疑問自体はあったんだろうけれど──けど、先輩はあえて聞かなかった)


 加藤の目的も、その裏にある感情も、何も聞かなかった。

 聞かずに──『先輩』は、加藤と下校した。


 勿論、言うまでもなく──『先輩』は鈍い人間ではない。

 加藤のような怪しい女が話しかけてきたことに対して、何も抵抗を見せなかったわけではなかった。

 加藤の素性を確認するような質問は、彼の方から数回あった。


(それが、予想通りの半分)


 しかし彼も、非凡な男である。

 その確認に費やした会話量の少なさは、これも予想以上だった。

 あの人、他人に興味ないんじゃないかってくらい──『先輩』は、加藤の情報を聞き出そうとはしなかった。

 放課後に突然現れた初対面の女に、そっけなかった。


(それは──多分、私のうぬぼれがあったんだろう)


 そう加藤は思う。

 だって。

 だって──自分のようなかわいい女が話しかけて、それで、あんな対応をされるなど。

 加藤は、微塵も予想していなかった。

 もっと交渉に時間のかかるだろうという予想は、だからそういう意味もあったのである──『先輩』と関係を作ろうとしていた加藤と同じように、加藤も、『先輩』に根掘り葉掘り質問されるだろうと。

 加藤はそう予想していた。

 だから、その辺り、どれだけの情報をちらつかせて、どれだけの情報を秘密にするのが、一番『先輩』の興味をひけるか、加藤は恋で熱くなった頭で考えたものだったが──しかし。

 『先輩』は、普通の男ではなかった。

 『先輩』は、加藤のことなど、他の雑多な人間と同じようにしか見ていなかった。


(いや、そこまでではないのだろうけれど──でも)


 あの雑な対応は、予想していなかった。

 どうでもいい会話にも、ほどがあった。

 しりとりをしようと切り出したことなんて、すっかり忘れさせられた。

 恐るべし──男だった。 


(ただ──悪いことばかりじゃなかった)


 本音を言えば。

 あの雑な対応は、加藤は、逆に望むところだった。

 あの雑な対応は、逆に、加藤の心を加速させた。

 出鼻を大きく挫かれて、用意していた会話の内容も、想定していた会話の流れも、全てどこかに置き去りにしてしまったというのに──加藤はあのとき、悪い気分ではなかった。

 多分、確信したからだろう。

 そう自分では思う。

 確信した。

 加藤は、あのとき、確信したのだ。

 

 この男は──特別だと。

 彼、『先輩』は──特異だと。


 加藤は、あのときそう思ったのだった。

 まぁそれこそ、好きになった男への甘い評価な可能性がそこにはあったけれど──しかし、加藤の場合はその可能性をあまり心配しなくてよかった。

 加藤は自己を、認識している。

 自分が陥っている恋という状況を、心を焦がされながらも冷静に俯瞰している。

 彼女は、恋に恋はしていなかった。

 彼女はちゃんと、『先輩』に恋していた。


(だから、初めて会った、あの会釈のときから──私はもう、先輩以外の人のことは考えてなかった)


 そう思う。

 自己を認識できるからこそ、そう思う。

 そして、一目惚れするだけの特異な雰囲気を、加藤は一目で分からされた。

 だからこそ──加藤は、一目惚れしたのだろう。

 加藤はそう思うことにした。


(木曜は──結局、しりとりは出来なかったし、他愛のない話ばっかりだった)


 しりとりはあくまで手段であって、目的ではないのだけれど──しかしそれにしたって、『先輩』との会話は最後まで、虚空を切るような感触のものだった。

 この人、何を考えているのだろう、と。

 加藤はそこでも、そう思った。


(けれど)


 けれど、隣の家に住んでいる後輩があなたのことを想っているのだということは、伝えることができた。

 帰りを一緒にする誘い──だ。

 加藤は、『先輩』との関係を作ることに成功した。

 成果は上々、上出来だった。


(で、次の日は、その初めての会話に興奮して朝は会えなかった。でも放課後はまた話すことができた)


 金曜日。4/21日。

 今度こそ、加藤はしりとりをすることができた。

 前日の会話で興奮したといえど、さすがに時間が経てば収まってはきたから──それはいろいろ妄想したことによる結果としての収まりだったのかもしれないけれど、とにかく、収まってきたから。


 次に加藤は、しりとりをどう終わらせるかを考えた。

 前日の初邂逅の『先輩』の様子だと、加藤が意味も狙いも目的もなくただしりとりをしたところで、別に『先輩』はそれに付き合ってくれそうだったけれど──でも、会話が冗長になるのは避けたかった。

 学校から家までという下校のタイムリミットもあることだし──できるだけ、会話は綺麗に終わらせたい。

 加藤はそう思った。

 で。

 

(告白しちゃえばいいと、そう思った)


 その結果の、『月が綺麗ですね』、だった。

 我ながら、常識から外れた告白の方法だった──そんなしりとりの終わらせ方があるものかと、今でも加藤は思う。

 しかし、あの『先輩』ならば。

 あの人ならば──いい結果につながると、そう加藤は思った。


(それで、土曜)


 4/22日。

 加藤は、『先輩』を家に誘った。

 風呂場で、胸のサイズと身長を測り、汗が染みるかを実験するためだった。


 正直に言えば、ここで、加藤は『先輩』に襲われる覚悟を決めていた。

 隣とはいえ、親のいない自身の家に男を招くのだ。女子として、それくらいの思いは当然あった。

 『先輩』がそこらの経験がないことは前の二回あった会話で察しがついていたから、そこはひとまず安心して──加藤はここで、『先輩』と大人の階段を上るつもりだった。

 しかし、記憶にある通り、『先輩』は加藤に手を出してはくれなかった。


(なんでか──考えた)


 『先輩』が脱衣所を出て、合鍵で家の鍵を閉める音を遠くに聞きながら──シャワーを止めて、加藤はじっと考えた。

 風呂場から脱衣所に出て、『先輩』がさっきまでいた座標を無言で眺めながら、加藤は考えた。

 なぜ──ここまで隙を晒した女がいるというのに、『先輩』は何もしなかったのか。

 風呂場の扉は押せば簡単に開く。

 『先輩』は、既に脱衣所まで招かれ侵入している。

 ここまで状況は整っている。

 なのに、『先輩』は私を襲わなかった。

 なぜか。

 なぜだ?


(結局、十五分くらいぼー、と考えて、私は答えに辿り着いた)

 

 それが、さきほどの思考である。

 『先輩』は、現代の男の究極系なのだ。

 オトコとしての、終着なのである。

 だからこその、未経験。だからこその雰囲気。

 『先輩』は、そういう人なのだと──加藤はそこで、判断した。

 いや、判断したなんて、自分に対する慰めだ──と、加藤は思う。

 だって、それは明らかに、『先輩』に理解させられた事実だっただろう。


(私は、先輩に襲われなかった代わりに、先輩がどんな人間かを本当の意味で理解した)


 『先輩』に理解させられた。

 それは、圧倒的な──『先輩』という男の大きさの証明だった。

 惚れ直した、と。

 加藤は素直にそう思った。


(こんなこと、他にあるのか──たまたま出会った隣の家の先輩が、こんな男だったなんて)

 

 こんなこと、あるか? 

 私は、幸運だ。

 加藤はそう思わずにはいられなかった。

 『先輩』の家の隣の家に引っ越してきたのもそうだし──なにより、あのとき『先輩』と目が合ったのが、なにより代えがたい幸運だった。

 『先輩』の方は、何も覚えてなかったけれど──

 私は、あのとき、世界が変わった。

 大げさではなく、加藤はそう思うのだった。


(それで。そんな男なんだと、先輩に惚れ直して──私は、日曜を迎えた)

 

 4/23日。

 昨日のこと。

 加藤は、『先輩』と買い物に出かけた。

 行き先を、どうやら『先輩』は勘違いしていたようだったけれど──そんな『先輩』が気付いていない状況も楽しくて、加藤は内心秘密にしていた。

 表情にはやはり出ないけれど──加藤は幸せだった。

 

(あれが、幸せということなんだろう)


 加藤はそう振り返る。

 今まで、成長を初めた小学生時代、二次元に出会い自分の原点ともなった中学生時代、そして共学となって、その小中と違う雰囲気に馴染もうとして疲労した高校生の一年間ときて──加藤は、『先輩』に出会って、幸せを自覚した。

 自分は、幸せだった。


(だから──まぁ、昼間はいいとして)


 いやキスとかあったから、そうやって簡単に流すほどいいわけではないのだけれど──でもまぁ、古着を見るのを通して、いろいろと『先輩』との約束も増やすことができたから、いいとして。


 問題は、夜だ。

 加藤は、夜になって、不満が出てきた。

 いやそれ自体も別にどうでもいいと、加藤は思う。

 なんで襲ってくれないのかと考えたこともあるのだから、『先輩』に不満があるのは加藤にとっては普通のことだった。


(ただ、自分でも──驚きだった)


 加藤は自己を認識できる女子である。

 それも歪んだ自己意識による間違った解釈ではなく、俯瞰して正確に認識することのできる系の女子だ。

 だから──加藤は、驚いた。

 

(なんで──不満なのか、分からないから)


 加藤はそこに、驚いた。

 『先輩』の隣で歩いているのだから、あのときの頭はたしかに正常ではなかったかもしれないけれど──しかし自分は、それすらも俯瞰してみることのできる人間ではなかったか? 

 熱に浮かされている自分すら、冷静に観察できる人間ではなかったか?

 なのに。

 なんで──自分は、不満だったのか。

 不満の理由。

 不安の原因。

 加藤は、そこが分からなかった。

 だから、驚いた。


(今なら、分かる)


 加藤は日曜の帰り道を思い出した。

 あの日──『先輩』は、自分から、恋人つなぎをしてくれた。

 あの瞬間から。

 加藤は、不満を感じなくなった。 

 ()は──不満を感じなくなった。


(あれが──だから、私の望んでいたことだったんだろう)


 つまるところ。

 加藤は、『先輩』の方から動いてくれるのを、待っていたのだ。

 そして、それがないことが不満だなんていう自分の思いが、加藤には理解できなかった。

 だから──加藤は、あの場で困惑した。

 不満を持っていることまでは自覚して──しかし、その不満がどこから出てきたものなのかが、分からないとして。

 加藤は困惑した。


(それで、とった選択が、手を繋いでほしいってお願いだ)


 加藤は笑いそうだった。

 今思い出しても、加藤は久しぶりに、大声を上げて笑いそうな気分になった。

 

(だって──少女漫画みたいな提案だから)


 今までさんざん、『先輩』と人に言えないようなことをしておいて。

 加藤が結局最後に求めたものは、『先輩』からの行動だった。

 なんて──心の機微だ。

 それこそ二次元みたいな話じゃないか。

 恋愛小説を読んでるんじゃないんだぞ。


(でも──『先輩』の方から恋人つなぎにしてくれたとき、私は、本当に幸せだった)


 プロポーズは男の方から──というよく聞く結婚適齢期の女の発言も、今の加藤になら理解できた。

 こんなにも、幸せな気持ちになるのだから。

 好きな人が自分を向いてくれるというだけで、こんなにも踊りたくなるような愉快な気持ちになるのだから。

 もちろん、加藤は踊りなんて習ったことなかったけれど──しかし、いまの加藤ならばバレリーナにだってなれるだろう。

 それほど、自分の欲に気付いた加藤は、愉快な気持ちだった。

 つまりは──体が軽かった。


(いつぶりだろう──こんなにも、身体が軽いなんて)


 胸は昔より大きくなっているはずなのに──加藤は、自分の人生において今がもっとも体の軽い瞬間だと自覚した。

 なんでもできそうな気分だった。

 『先輩』と一緒にいられるならば──なんでもできそうな気分だった。

 

(先輩の命令ならなんでも聞けると言ったのは、あの時点でもちゃんと本気だったけれど)


 しかし、今の加藤の前向きな気持ちには劣るだろう。

 以前を車並みの速度だと比喩するならば。

 今の加藤は、飛行機だ。

 バレリーナのように踊り、飛行機のように飛び上がる。

 今の加藤なら、それすら現実的に思えた。

 だから。

 だから。


(だから──私は、先輩を手放すわけにはいかない)


 関係を考えれば、それを手放す側なのはあくまで『先輩』の方であって、加藤はそこに関与など出来ないのだろうけれど──しかし、そんなことは同じだと加藤は考える。

 今の主従の関係。

 そんな、自分と『先輩』との縁が切れることになるというのは、同じことなのだから──だから結局、そんな些細な違いは同じことなのだ。

 だから。

 つまり。

 要するに。

 結局は。

 加藤が考えるべきは、これからどう動くべきか──それに尽きるのだった。


(この四日間を振り返って──何をやって、何をやってないか) 

 

 と。

 加藤は考えるのだった。

 加藤は、悩むのだった。


 いや、やってないことなんていっぱいある。

 しかし、『先輩』との関係を強固なものにする結末に繋がらなければ意味がないのだ。

 だから、行動は選ぶ必要があって、これはその中でいいものは何かという話であって、しいていうなら『先輩』に直に肌に触れてもらうのはやってないか、と、加藤は頭の中だけで試行錯誤した。

 と。

 そのとき。


 ふと、奇妙な予感がした。


(────ん?)


 と、加藤は自分の予感を、一瞬、見逃しそうになった。

 しかしそれも無理からぬことで、ここにもし他の思考が加藤の頭の中を割って入ってきていたら、それだけで霧消するような、それは、そんな微かな予感だった。

 なにか。

 なにを──加藤は感じ取ったか。


「…………」


 そこで加藤は、無言で、時計を見た。

 午前七時半。 

 多分、隣の家で『先輩』はそろそろ起きて、支度を始めていることだろう。

 だから、それは関係なかった。

 まだ加藤は家を出る必要はないのが分かっただけで、それは多分、予感とは関係のなかった。

 で。

 じゃあ──あの予感は、なんだったのだろうか。


(──ん。もしかして)


 と。

 一つだけ──加藤の中で、これかもしれないというものがあった。

 別に、超人的な予感を感じるような、そんな能力はないけれど──しかし、日常が変化するナニかというのなら、加藤の周りにはこれくらいしかなかった。

 加藤はその紙片を手に取り、そこに書かれてある数字を読む。

 それで。

 加藤は反射的に、スマホを起動していた。

 ブラウザを起動。

 その紙片について、調べる。


 宝くじが当たっていた。

 しかも、一等だった。


「…………」


 七億。

 非課税。

 サラリーマンの生涯収入が、よくてニから三億。

 

(これは──)


 しかし。

 宝くじの当たりを確認して。

 予感に誘われるように、加藤は宝くじの一等を認識して。

 しかし、加藤の頭にとっては、その辺りの細かい金額はどうでもよかった。

 その当たりの金額はどうでもよかった。


 ただ、お金がたくさん手に入るというその一点についてのみ、加藤は考えていた。

 加藤の頭に、浮かんだのは。

 加藤の頭に、真っ先に浮かんだのは。 


 『先輩』の権利を買う、だった。


 金があれば、それができる。

 実際に、宝くじが当たったら『先輩』にやってほしいことを、何個か会話で加藤は言っていた──つまりは、今の加藤ならば、あれを現実のものにできるということ。


「…………ふ」


 久しぶりに、抑えらえれない笑いが漏れ出たような気がした。

 加藤若葉。

 ダウナー。クール。

 彼女は──今日も、『先輩』に会いに行くのだった。

 ひとまず今日は、宝くじが当たったことを報告しようじゃないか。


 加藤は子供がスキップでもするみたいに体を軽やかに動かして、そんな長躯と胸でそんなことをすれば違和感がありまくりだったのだけれど、しかし部屋の中ゆえに誰にも見られてないという舞台裏による安心を持って、恋する少女のように想い人のことを考えながら、しかしそこに不安も併せ持ちながら、けれどその不安を解消するための切り札が意図せずして転がり込んできたことに運命を感じ、小学生のように中学生のように高校生のように、学校に登校する足が浮足立ち、いつでも彼の手を握ってもいいように手も保湿し、彼を見る目がバレない程度に泳ぎ、キスを求める唇が少しだけ尖り、下着は古着屋で彼に選んでもらったものを着用して、移動教室でも自然に彼の姿を探し、もしすれ違うようなことがあっても自分の一番いい瞬間を見せるために手鏡は常備し、表情に乏しい自分の顔とにらめっこして、カバンを持って部屋を出て、今日の会話の流れと入りを考えながら。


 彼女は、『先輩』に恋していた。

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