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17 新しい恋の始まり



 暫くの間、風に揺れる木の葉の音しか聞こえなかった。


 時間が止まったみたいに誰も何も言わなくて、動いたら負けのゲームをしてるようにお互いに制止していた。忍耐力にはあまり自信がないので困る。


 ダコタは心配になってチラッと相手を盗み見た。

 アルバートもまた、こちらを見ていた。



「………っくしゅ!」


 心地良い風も九月下旬ともなれば涼しい。


 身体を震わせてくしゃみをしたダコタを見て、アルバートは少しだけ迷いを見せた後で「中に入りますか?」と尋ねた。このまま風邪を引いては大変なので頷く。


 案内された敷地の中で、綺麗に手入れされた庭を横切りながら、初めてアルバートの家を訪れた日のことを思い返していた。おそらくあんなに汚い家に入ったのは初めてで、あれほどまで真剣に他人の部屋を掃除したのも人生初のことだった。


 片付ければ片付けるほど、よく分からないものが出て来て、家の持ち主ですら認識していない謎の干からびた生き物が出て来た時は絶叫したっけ。今となっては良い思い出だ。


 辺境ではどうやら上手く生活をしているようで、アルバートが住む家とは思えないぐらいに整えられている。きっと使用人の人たちが頑張っているのだろう。



「紅茶と珈琲、どちらが良いですか?」


「先生と同じもので」


「………じゃあ、紅茶を二つ」


 母ほどの年齢の優しそうなメイドは恭しく頭を下げると、そのまま部屋を出て行ってしまった。


 突撃して来たのは自分だけど、いざこうして部屋の中で二人っきりになると緊張する。花言葉を知った時から一つの可能性が胸の中にあった。


 されど、自分から確かめるのは恥ずかしい。

 ここに来て妙な気恥ずかしさが生まれていた。



「せ、先生は……辺境伯様だったんですね」


「あぁ、はい。父がもともと当主としてこの辺りを治めていたんですが、最近になって体調を崩しまして。僕もちょうど教職に飽きていたので戻って来た次第です」


「もう先生にはならないんですか……?」


「そうですね」


「でも…!アルバート先生の魔法薬学の授業は、私はわりと好きでした。穏やかな気持ちになって、私……」


「ヒューストンさんは一番後ろで寝てましたよね」


 んぐっと言葉に詰まる。

 そうだった。この頭に溶け込むような声は凝り固まった脳を程よく解して、まるで安眠剤のような効果を発揮していたのだ。知っていたなんて、何も言い返せない。


 言葉が出て来ずオロオロと視線を泳がせる私を見て、アルバートは口元を緩めた。彼がコンプレックスだと言う綺麗な顔に笑顔が浮かぶ。



「私……先生の笑った顔が好きです」


「え?」


「先生が隠したがってる素顔、勿体ないと思います。だってこんなに素敵で、見た人を幸せにするのに…!」


「………ヒューストンさん」


「はい?」


「恥ずかしいです、」


 アルバートはそう言って片手で顔を覆う。

 大きな手の下でわずかに頬が赤らんでいるのが見えた。


「この顔のせいで色々と嫌な思いをしました。学生の頃に初めて付き合った恋人は他の女子から虐められることになりましたし、友人の彼女が友人を振って僕に告白して来たこともありました」


「まぁ……」


「皆揃って言うんです、顔が好みだって。敢えて見た目に頓着しないようにしたら誰も寄って来なくなりました。つまりは、それだけの存在だったわけです」


「じゃあ、私だけに見せてくれませんか?」


「………は?」


 ダコタはスカートを握り締めてアルバートを見上げる。


 自分が言っていることを冷静に考えると心臓が口から吐き出されそうになるので、極力考えないようにした。深緑色の目を見ながら、頭は沸騰しそうなほど緊張していた。



「私の、自意識過剰でなければ、」


「…………」


「私たちは……もっと近い関係になれると思うんです」


 あまりにもアルバートがジッと見つめるので、ダコタはもう堪え切れなくなって下を向いた。


 もしかして全てが全て、自分の思い違いなのではないかという恐ろしい不安が胸の内に広がる。辺境までわざわざ会いに来たことも出過ぎた真似のように思えて来た。


「すみません、あの…勘違いかも……」


 消え入るような声は途中で途切れた。

 じんわりと目尻に涙が滲む。


 机を挟んで座っていたアルバートが立ち上がる気配がした。足元に落としたままの視線の先に、黒い革靴が映る。顔はしばらく上げられそうにない。



「これでも、勘違いだと思いますか?」


「えっ……?」


 膝の上で握っていた拳が持ち上げられて、ゆっくりと指が解かれる。されるがままの手は、アルバートの平たい胸に置かれた。白いシャツ越しに心臓の鼓動を感じた。


「緊張しているのは君だけじゃない」


「でも…先生は大人ですよね?」


「僕はこういうことは不慣れなんです。ヒューストンさんの方がもしかしたら良い先生になれるかもしれません」


 手を離して困ったように眉を寄せるアルバートを見て、ダコタは思わず笑ってしまう。


 その時ちょうど、メイドが紅茶を運んで来たので、二人は慌てて並んでソファに着席した。メイドはフォーメーションの変わった客人と主人を訝しむこともなく、再びあたたかな微笑みを見せて部屋を去る。



「アルバート先生、」


「何ですか?」


「私、明日もお休みなんです。月曜まではこの辺りで過ごそうと思っていました。このお屋敷は広そうですね?」


「僕は淫行教師にはなりたくありません」


「え?淫行する予定なんですか?」


「………違います」


 失言に気付いたようにアルバートは顔を赤らめる。

 その様子を可愛らしいとダコタは思った。



「ねぇ、先生。私はまだ子供ですか?」


 そっと膝の上に手を置いてみる。


 目に掛かった黒髪がわずかに揺れて、アルバートの碧色の瞳がダコタを捉えた。迷うように彷徨った後、ぎこちなく伸びて来た腕が背中に回る。


「子供だと思いたいんですが……難しそうです」


「ふふっ、よかったです」


「やっぱり教員を辞めて正解でした」


 ダコタを腕の中に閉じ込めて、アルバートはほっとしたように息を吐く。耳から流れ込む穏やかな声を聞きながら、ダコタは新しい恋の始まりを感じた。




End.



◆ご挨拶


ご愛読ありがとうございました。

短編練習キャンペーン二作目です。


リナリアは春から夏に掛けて咲くお花のようですが、今回は狂い咲きということで何卒……


次は長編かもしれませんが、暖かくなってきたのでそろそろまた活きの良いクズが書きたいです。でもその前にモンスター義母とマザコン夫が居る嫁ぎ先から逃げ出すヒロインの短編を載せておりますので、ご縁があればよろしくお願いいたします。


誤字報告や評価ありがとうございます。

励みになって嬉しいです。


ではでは。


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― 新着の感想 ―
[一言] ふぅ、可愛らしい、いいお話を読めたわ、という心地よい読後感を、『活きの良いクズを書きたい』というお言葉が全てをかっさらっていきました(笑)
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