表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

あつ夏サイクル

作者: えんがわ

 太陽はさんさん。心なしの風も、ドライヤーのように暑苦しい。アスファルトの道路からは蜃気楼のようなモヤが立ち上る。夏だ。夏がやって来ました。

 8年前に買った自転車は、ところどころ錆びて、ギイギイと悲鳴をあげながら走る。音の割には、わりとゆっくりと。てらてら走っていると、少しずつ脳がゆるみ始める。もう、鼻歌なんて歌ってしまう。でたらめの即興のメロディー。少し演歌風。二人組の高校生が知らぬ間に後ろに付け、抜き去っていく。聞かれていたと思うと、恥ずかしくなり、もにょる。でも、しばらくすると、また音をとり始める。えっちらこっちら。昔の劣悪な鉱山労働者が炭坑節を歌う気分がわかる気がする。

 ペットボトルのウーロン茶はもう空っぽだ。ああ。こういう時に限って、日本には腐るほどある自販機がなかったりする。田舎だから緑はある。ところどころ隣に森林畑がある通りは、心なしか風がすっとして気持ちいい。

 ああ、北海道に行きたい。北海道で馬の牧場を巡りながら、カニを食べたい。あれ? カニの旬は冬か。いっそのことハワイにまで行って、ビーチで昼寝していたい。まぁ、無理だからこそ妄想する、貧乏くさい現実逃避だけど。

 でっかい音量のラジオをつけながら、オープンカーのおっさんが通る。サングラスなんてつけているが、こんな暑い中、何を考えているのだ。よれよれと今にも死にそうな自転車こぎのじいさんが、牛の速度で走っている。そのまま救急車に担ぎ込まれたら大変だ。


 いっぱい車が通る中、ほとんど人が立ち止まらない、照明もままならない薄暗い店に降り立つ。「肉の清原本店」と、でっかい看板。だが、隣町の唯一の支店は五年前に既に閉店している。

 自動ドアではない、引き戸。それをガラガラと開けると、「あっついねー」という肉屋の親父の一言。

「あっつい、あっついです」

「ほんとあつい」

「こうあつくちゃ、商売やってられませんよね」

「あついからね」

 暑いしか言ってない。

 肉屋と言いつつ、野菜も扱い、小さなコンビニくらいの品ぞろえはある。それを物色しながら、普通は涼むはずなのに、ぜんぜん店内が冷えてないことに気づく。光熱費も節約し始めたか。この店がこの夏を生きのびれるのか少し不安になる。猫のエサが売っているので、手に取る。それでお肉のショーケースを覗く。

「あの、前来た時に買った」

「うん?」

「あの仙台牛、割り引きして頂いてありがとです」

 三千円のを千円に値引きしてもらったのだ。たぶん商売繁盛というよりも、売れてない店だから出来る種類の値引きなのだろう。

「ああ」

「あれは脂が乗りに乗っていて」

「ああ」

「自分が十代だったら最高に美味しいんだろうな」

「おう」

「なんというか脂がきつすぎて。途中から胸やけがして。もう年ですね」

 おかげで昔からの松阪牛幻想も、霜降り至高伝説も、眉唾ものだったと気付いた。お肉はやはり「ザ・肉」というものの方が好ましい。

「なんなら、この豚肉なんてどう?」

 相当失礼なことを言ったような気もしたが、肉屋の親父はあっけらかんとしている。なかなかに手慣れた商売人だ。

「あっ? 生姜焼き用の?」

 薄い豚のロース肉がある。国産にしては思ったよりも安いような。きっと安いのだろう。

「さっぱり食べられるよ」

「じゃあ、これで」

「はいよ。それじゃ、200グラム? 300グラム?」

「それくらいで」

「あい」

 頼んだ後に、野菜コーナーに回り、ショウガがないか確かめる。ない。でも探している内に、ふと悪魔のような思い付きが僕をよぎった。よし、そうしてしまおう。豚肉と、猫のエサのチャオチュールと、炭酸飲料のラムネと、缶ジュース二本。千円札でお釣りが来たのだから幸せだ。ラムネは店主が言うには、賞味期限が切れてるから無料で良いよ、とのことだった。改めて確認すると賞味期限は去年の数字が並んでいる。流石におっと思ったが、ラムネは腐らないだろうと、ありがたくいただいた。


 家に帰ると猫がだるそうに仰向けになっていた。腹を天井に見せている。餌のちゃおちゅーるを見せると跳び起きてむしゃつく。片手に持ったちゃおちゅーるにかじりつく。もう10歳を超えた、人間で言えば70歳を超えた老猫だ。今年の夏も乗り越えますように、と少しだけ祈る気持ちでちゃおちゅーるを袋から指で押し出した。

 台所に行き、窓を閉め、冷房を効かせる。設定温度は25度だったが、それを20度まで下げる。鍋に水を入れ、火をつける。冷蔵庫から白菜とネギと豆腐と味噌とキムチを取り出す。白菜とネギと豆腐をざっくばらんに切り、買ってきた豚肉を一口大に包丁できりきりし、鍋に投入する。そのまま沸騰するのを待たずに、味噌を入れ、次いで大量のキムチを入れる。ふと思い立ち、今年の冬を越した餅を二つ入れる。


 豚キムチ鍋だ。


 冷房が身体に馴染んでくる。汗が冷えて、冷たいくらいだ。その中にもくもくと立ち昇るキムチ鍋。ラムネのビー玉をぽんとビンに押し込み、いただきますをする。


 それなりに幸せだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ