あつ夏サイクル
太陽はさんさん。心なしの風も、ドライヤーのように暑苦しい。アスファルトの道路からは蜃気楼のようなモヤが立ち上る。夏だ。夏がやって来ました。
8年前に買った自転車は、ところどころ錆びて、ギイギイと悲鳴をあげながら走る。音の割には、わりとゆっくりと。てらてら走っていると、少しずつ脳がゆるみ始める。もう、鼻歌なんて歌ってしまう。でたらめの即興のメロディー。少し演歌風。二人組の高校生が知らぬ間に後ろに付け、抜き去っていく。聞かれていたと思うと、恥ずかしくなり、もにょる。でも、しばらくすると、また音をとり始める。えっちらこっちら。昔の劣悪な鉱山労働者が炭坑節を歌う気分がわかる気がする。
ペットボトルのウーロン茶はもう空っぽだ。ああ。こういう時に限って、日本には腐るほどある自販機がなかったりする。田舎だから緑はある。ところどころ隣に森林畑がある通りは、心なしか風がすっとして気持ちいい。
ああ、北海道に行きたい。北海道で馬の牧場を巡りながら、カニを食べたい。あれ? カニの旬は冬か。いっそのことハワイにまで行って、ビーチで昼寝していたい。まぁ、無理だからこそ妄想する、貧乏くさい現実逃避だけど。
でっかい音量のラジオをつけながら、オープンカーのおっさんが通る。サングラスなんてつけているが、こんな暑い中、何を考えているのだ。よれよれと今にも死にそうな自転車こぎのじいさんが、牛の速度で走っている。そのまま救急車に担ぎ込まれたら大変だ。
いっぱい車が通る中、ほとんど人が立ち止まらない、照明もままならない薄暗い店に降り立つ。「肉の清原本店」と、でっかい看板。だが、隣町の唯一の支店は五年前に既に閉店している。
自動ドアではない、引き戸。それをガラガラと開けると、「あっついねー」という肉屋の親父の一言。
「あっつい、あっついです」
「ほんとあつい」
「こうあつくちゃ、商売やってられませんよね」
「あついからね」
暑いしか言ってない。
肉屋と言いつつ、野菜も扱い、小さなコンビニくらいの品ぞろえはある。それを物色しながら、普通は涼むはずなのに、ぜんぜん店内が冷えてないことに気づく。光熱費も節約し始めたか。この店がこの夏を生きのびれるのか少し不安になる。猫のエサが売っているので、手に取る。それでお肉のショーケースを覗く。
「あの、前来た時に買った」
「うん?」
「あの仙台牛、割り引きして頂いてありがとです」
三千円のを千円に値引きしてもらったのだ。たぶん商売繁盛というよりも、売れてない店だから出来る種類の値引きなのだろう。
「ああ」
「あれは脂が乗りに乗っていて」
「ああ」
「自分が十代だったら最高に美味しいんだろうな」
「おう」
「なんというか脂がきつすぎて。途中から胸やけがして。もう年ですね」
おかげで昔からの松阪牛幻想も、霜降り至高伝説も、眉唾ものだったと気付いた。お肉はやはり「ザ・肉」というものの方が好ましい。
「なんなら、この豚肉なんてどう?」
相当失礼なことを言ったような気もしたが、肉屋の親父はあっけらかんとしている。なかなかに手慣れた商売人だ。
「あっ? 生姜焼き用の?」
薄い豚のロース肉がある。国産にしては思ったよりも安いような。きっと安いのだろう。
「さっぱり食べられるよ」
「じゃあ、これで」
「はいよ。それじゃ、200グラム? 300グラム?」
「それくらいで」
「あい」
頼んだ後に、野菜コーナーに回り、ショウガがないか確かめる。ない。でも探している内に、ふと悪魔のような思い付きが僕をよぎった。よし、そうしてしまおう。豚肉と、猫のエサのチャオチュールと、炭酸飲料のラムネと、缶ジュース二本。千円札でお釣りが来たのだから幸せだ。ラムネは店主が言うには、賞味期限が切れてるから無料で良いよ、とのことだった。改めて確認すると賞味期限は去年の数字が並んでいる。流石におっと思ったが、ラムネは腐らないだろうと、ありがたくいただいた。
家に帰ると猫がだるそうに仰向けになっていた。腹を天井に見せている。餌のちゃおちゅーるを見せると跳び起きてむしゃつく。片手に持ったちゃおちゅーるにかじりつく。もう10歳を超えた、人間で言えば70歳を超えた老猫だ。今年の夏も乗り越えますように、と少しだけ祈る気持ちでちゃおちゅーるを袋から指で押し出した。
台所に行き、窓を閉め、冷房を効かせる。設定温度は25度だったが、それを20度まで下げる。鍋に水を入れ、火をつける。冷蔵庫から白菜とネギと豆腐と味噌とキムチを取り出す。白菜とネギと豆腐をざっくばらんに切り、買ってきた豚肉を一口大に包丁できりきりし、鍋に投入する。そのまま沸騰するのを待たずに、味噌を入れ、次いで大量のキムチを入れる。ふと思い立ち、今年の冬を越した餅を二つ入れる。
豚キムチ鍋だ。
冷房が身体に馴染んでくる。汗が冷えて、冷たいくらいだ。その中にもくもくと立ち昇るキムチ鍋。ラムネのビー玉をぽんとビンに押し込み、いただきますをする。
それなりに幸せだ。