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後編

※12月2日感想欄にてご指摘があったので説明追加しました。

「そろそろお姉様はガンドレン帝国に着いたかしら」

「そうですね。魔獣に乗って行かれたので、一週間も経ちましたし、到着の連絡があってもいい頃ですね」

「うふふ、報告が楽しみだわ」


 朝、レリティは自室で侍女に髪をセットされながらおしゃべりをしていた。


 姉は役立たずのくせにレリティの婚約者に色目を使った。

 それまで姉の境遇に同情して優しくしていたというのに。

 決して許せなかったから、今回の任務は愚かな姉に相応しい罰だと思っていた。


「キャア!」

「逃げたぞ!」


 急に外で騒ぎが起きたようだ。手が空いている侍女の一人が窓から様子を覗く。


「まぁ、大変! 水の魔獣(ウォミー)が暴れていますわ!」


 魚のような姿で水のように透き通った小型の魔獣が、スイスイと泳ぐように勝手に庭を移動している。


 魔獣使いの指示に従わずに持ち場を離れて勝手に行動しているようだ。

 あの魔獣は、水を生み出す能力を持っている。


「またなの? おかしいことが続くわね」


 ここ最近、魔獣の使役でトラブルが起きている。

 以前の魔獣たちは完璧に近いほど制御されていたが、階位が高い魔獣ほど契約者である使用人の指示を無視することが増えているようだ。


(お姉様がいなくなったのと同じタイミングで気味が悪いわ。でも、伝説の卵師である私がいるのだから、問題なんてあるはずないわ)


 姉の存在の有無で魔獣に影響があるわけないと、すぐに不安を打ち消していた。


「さぁ、久しぶりに卵師としての仕事をしましょう。卵を持ってきてもらえるかしら?」


 帝国の話で手がつかず、しばらく仕事どころではなかったのだ。


 姉の悲報を楽しみに再開することにした。

 


§



『遠路はるばる、よくぞ来てくれました。感謝いたします』


 アンナたち一行を出迎えてくれたのは、神殿長だ。

 白髪に白い髭の、高齢な男性だ。

 場所は王宮ではなく、神殿本部。

 彼の後ろには、神殿の関係者なのか、制服のように揃いの衣服を着た者たちが控えていた。


 言葉が異なるので、カロンテ国が用意した通訳者を介してやり取りをしていた。


「なぜガンドレン帝国は、招待した来賓を王宮ではなく、神殿に滞在させるのだ。失礼であろう!」


 アンナの護衛と移送を担当していた騎士ガルフが、喧嘩腰で文句を言う。


「お黙りなさい、あなたの発言は許してないわ」


 アンナがすかさず彼を叱責すると、射殺されそうなほどの形相で睨みつけられる。


「無礼な振る舞いは控えなさい」


 アンナは呆れながら騎士を注意する。

 偽物である伝説の卵師の護衛を自ら申し出る騎士は一人もいなかった。

 無理やり選出された騎士四人のうち一人がこのガルフだ。彼は侯爵家で雇われている者で、命令で嫌々任務をこなすだけでなく、屋敷で役立たずと評判のアンナを見下し軽んじていた。


「アンナ・パルレシアと申します。神殿長の歓迎、大変感謝いたします。ところで、我々の滞在場所が神殿なのはなぜですか? 私の国では王の来賓は王宮でもてなすのが礼儀とされております」


 アンナの言葉を通訳が神殿長に伝える。


『そもそも今回の招待は神殿からの申し出です。さらに未婚の女性が陛下の住まいに滞在すると、我が国では妃になる予定だとみなされます』

「まぁ、そうだったのですね。こちらの認識不足があり、大変失礼しました。これからお世話になります」


 不満そうだった騎士たちも、神殿長の説明で納得したらしく、素直に中に案内されていく。


 ところが、また問題が発生して騎士ガルフが騒ぎ出した。


「男子禁制だと!? 護衛が側に仕えられないのは困る!」


 神殿の居住区は男女で分けられていた。

 来賓が女性なら、女性区に部屋を用意され、男子の出入りは禁止されていた。


『ですが規則ですので、護衛の方といえども立ち入りはご遠慮くださいませ。パルレシア様には、側仕えの女性はいないのですか?』

「はい、おりません」


 侍女になってくれる者はいなかった。

 アンナが自殺したら、真っ先に疑われて罪に問われるのは、身の回りの世話をする侍女だからだ。


 だからアンナは侍女は不要だと陛下に申し出ていた。


『それならば、身の回りの世話をする者をこちらで手配しましょう』

「それはありがたいです。よろしくお願いします」


 神殿長の厚意を素直に受け取ると、騎士ガルフが反論してきた。

 彼らはアンナを監視しなければならないからだ。


「……よく考えなさい。これは逆についているわ。この状況で私の身に何か起きれば、あなたたちは全く疑われず、神殿の責任になるわ」


 騎士ガルフにこっそり耳打ちすれば、やっと納得したらしい。

 神殿の規則にすんなり了承してくれた。


『陛下にご挨拶できるのは、二日後になります。その間、神殿でゆっくり旅の疲れを癒してください』


 それから部屋に案内され、風呂で汚れを落とす。

 神殿の女性に淹れてもらったお茶をのんびり飲んで寛いでいると、訪問者があった。


 侍女には今は下がってもらったので、アンナは自分で来訪者を出迎える。


 扉を開けた先には、ベニハがいた。

 女装した姿で。


 今回の通訳は、彼が担当していた。

 誰もアンナに同行したがらなかったから、あっさり許可されたのだ。


 帝国の衣服は、左右の襟を胸の前で合わせて帯で締める仕立てだ。

 神殿で見かけた男たちはみんな下衣を履いていた。

 女は足首まで長い衣を身につけ、色や柄も性別で異なっている。だから、ベニハが女性用の衣類を身につけていると、すぐに分かった。


「よく来たわね。ここって、男子禁制じゃなかったの? しかも、よく衣装を手に入れられたわね」

「愛の力デス」

「密偵のツテかしら?」


 アンナの指摘にベニハは笑って誤魔化していた。

 この帝国の人は、ベニハと同じように色素が黒ばかりだ。

 しかも、言葉に不自由していないので、出身が帝国だとバレバレだ。


「移動中、お嬢様といちゃいちゃできなくて大変デシタ」

「元々、してないわよ」

「せっかくお嬢様が俺と駆け落ちしてくれたのに」

「駆け落ちではないわよ」


 ベニハが会話しながら、じわじわと距離を縮めてくるので、後退りする。

 気づいたら、背中が壁にぶつかっていた。


 すると、ベニハの両手が壁に手をつき、アンナの両脇を塞ぐ。

 あっという間に逃げ道を失っていた。


「お嬢様は俺と一緒で嬉しくないんデスか?」


 彼が間近で見下ろしてくる。

 長い前髪は相変わらずだ。でも、隙間から彼の綺麗な瞳が見えて、鼓動がいつもより速まった気がした。

 美しいけど、何を企んでいるのか分からない。


「……もちろん嬉しいわ。今回、味方でいてくれるのでしょう?」


 今回、彼が同行を希望したとき、確認したのだ。


 アンナの計画を邪魔するつもりなら、許可しないと。


「えぇ、今までも、これからも、俺はお嬢様の味方デスよ」

「なら、いいわ」


 密偵の言葉を信じて良いのか分からないが、今は納得するしかなかった。


「デハ、ご褒美くだサイ。今回も頑張りマシタ」

「いいけど、何をあげればいいの?」


 尋ねた途端、彼にぎゅっと抱きしめられる。


「お嬢様、いい匂いデス」


 クンクンと動物のように鼻で身体の匂いを嗅がれていた。彼の鼻先が耳たぶを掠めるので、体温が急激に上がった気がした。


「嗅ぐのは止めなさい」


 ぐいっと顔を押し退ける。


 それ以上のことは何かされる気配がなかったので、とりあえずされるがままでいた。


「今日は叱らないんデスか?」

「これが褒美なのでしょう?」


 そう答えると、彼はご機嫌そうにくすりと笑う。


 本当なら彼の言うとおり無礼だと咎めなくてはならない。でも、温かい彼の身体が、なぜかとても心地よかったから、今だけは許していた。



 §



(なぜ、卵の声が聞こえないの!? こんなこと、今まで一度もなかったのに!)


 レリティは自室で焦っていた。

 侍女が運んできた卵は、階位の高い魔獣のものだ。

 柄と色で、おおよその種別を判別していた。


 魔獣は例外なく全て卵から生まれるが、死んだら死骸から魂核こんかくが抜け出し、それはやがて立派な卵に成長すると言われている。

 だから、突然卵が現れることがあったり、道端に落ちていたりする場合がある。

 人間のように親から同じ種類の魔獣が生まれるわけではなかった。


 レリティは、それまで触れた卵の声を全て聞いて契約し、孵化させてきた。

 ところが、現在触れている卵から、何も声が聞こえなかった。


(どうして!? 一体、何が起こったの!?)


 レリティは初めての出来事に焦り、血の気を失う。


「お嬢様、どうされましたか?」


 侍女が様子のおかしいレリティに声をかける。

 いつもならレリティの手に契約印が出て、卵を孵化させる指示が出るはずだった。


「うるさいわね! 黙っていて!」


 内心激しく動揺していたレリティは、思わず感情的になり、叫んでいた。


「も、申し訳ございません!」


 まさか怒鳴られると思ってもみなかった侍女は、慌てて平身低頭で謝っていた。


「……ちょっと保管庫まで行くわ」


 レリティは卵が置かれている部屋へなりふり構わず慌てて向かう。侍女たちも急ぎ足で主人について行く。



 §




 翌日、アンナは神殿内を案内された。

 神殿内には、魔獣たちの像が沢山置かれていた。

 この神殿では、魔獣を祀っているからだ。

 中央奥の一番大きな祭壇には、大きい魔獣の像が飾られていた。その魔獣をアンナは初めて見た。真っ白な猫のようだが、長い尻尾が複数ある。


『我々人間は神獣様たちの下僕だと考えております。日々、神獣様に助けていただいているのです』

「我が国では、魔獣の扱いは帝国とは異なります。魔獣は国力と考え、国や貴族の管理下にあります。魔獣を従える者が国では重宝されるのです」


 神殿の関係者は、話を聞いて驚いていた。


『では、神獣王も道具のように扱っていると!?』

「どれが神獣王なのか存じませんが、卵から孵った魔獣は全て同じ扱いです」

『なんと、なんて畏れ多い……』


 文化の違いでかなり引かれていた。


『実は、今回カロンテ国で伝説の卵師と呼ばれたパルレシア様に見てもらいたい卵があったんです』


 騎士たちがその言葉に大きく反応する。


 アンナが卵と全く契約できないとバレたら困るからだ。


「このお方は、卵と契約するために来たわけではない!」


 騎士ガルフは、都合の悪い事態が起きないように先方に釘を刺していた。


「まぁ、見るだけなら構いませんわ。どんな卵なんですか?」

『実は、長年孵化できないため、何が中にいるのか未確認の神獣なのです』

「我が国では、魔獣は階位ごとに分類されておりますが、最も高位の魔獣を孵化させる者でも無理だったのですか?」

『そのとおりです。神獣の下僕にも階位があります。自分の階位よりも、上の階位の神獣の下僕にはなれません。上位の神獣が選ばれし下僕と契約する前に、下位の神獣が契約することもできません。誰も孵化させられないなら、現在確認された最高位の神獣よりもその卵は高位と推測されます』

「確かに、そうですね」


 高位の魔獣の卵から契約を試すのは、そのためだ。

 やはり、国は違っても、魔獣の特性は同じだ。


(現在確認されている魔獣より、さらに高位のものがいるなんて、思いもしなかった。そんな記録は我が国にはなかったから)


 期待で胸の鼓動が速くなる。


 ところが、後ろで騎士たちが顔を見合わせてヒソヒソと帝国を馬鹿にしていた。


「我が国では、全ての卵を孵せるお方がいるけどな」

「ここには、碌な卵師がいなかったらしい」


 カロンテ国の最高位の卵は、妹レリティの手によって孵されていたので、彼らはそれを自国の誇りに思っていた。


『では、卵殿たまごでんにご案内します』


 卵を保管している建造物は別棟で、平屋の低層だが、細かい装飾に技巧を凝らし、魔獣を神と奉じるだけあって大変絢爛豪華なものだ。


 保管庫に置くだけのカロンテ国とは大違いだ。


 建物の中は厳重で、通路の途中に扉がいくつもあり、そのたびに神殿長が鍵を開錠していく。


『ここに卵はあります』


 賑やかな話し声が、扉越しに聞こえていた。

 ところが、扉を開いた直後、水を打ったように静まり返る。


 中には人間は一人もおらず、卵だけが沢山いた。壁に設置された棚に整頓されて並べられている。

 特に目を引く中央奥の祭壇と思われる場所には、一個の卵が安置されている。


 ところが、アンナが足を踏み入れた瞬間、卵たちはみんなブルブルと小刻みに震え出す。

 以前に故郷で起きた現象と同じだ。


『なんと! こんな卵の動きは初めて見ました! しかも、いつもは騒がしい卵たちが静かになっている! みんなパルレシア様を特別視されているようです。さすがはカロンテ国で伝説の卵師と称えられたお方ですね!』


 神殿長が興奮気味にアンナを讃える。

 その喜ぶ彼の様子が昔の両親の姿と重なり、胸の奥が小さく痛んだ。

 気を取り直して祭壇に置かれた卵に近づく。


 何も柄のない、灰色の卵だ。こんなに地味なのは、他に例がない。


「……この卵は初めて見ましたわ。我が国の蔵書にも書かれていなかったです」

『神殿に残された記録では、恐らくこの卵は神獣王のものと思われるのです。神獣王の下僕は特別なので御使いと呼ばれているのですが、いつまでも該当者が現れないので、藁にもすがる思いで、伝説の卵師のあなた様に来ていただいたのです。何か声は聞こえますか?』


「ええ、すごく恨みがましい声で話しています」

『なんと! 本当でございますか!? 他にはなんと!?』

「いい加減なことを言っていると、痛い目を見るぞと脅してきました」

『パルレシア様、大丈夫なのですか……?』

「生麦生米生卵と言えと命令してきました。本当に私が声を聞いているとようやく信じ始めたようです」


 すると、後ろで騎士たちがヒソヒソと話し始める。


「本当に卵と話しているみたいだな」

「演技が上手いだけだろう」

「屋敷では嘘つきで有名だからな」


 相手に言葉が通じないことを良いことに言いたい放題だ。


『おお、やはりパルレシア様は御使いなのかもしれません……! 是非、卵に触れていただきたいです』


 卵からも触れて欲しいと言われている。

 アンナも試したくて仕方ない。まさに待望の瞬間だ。言われるがままに卵に手を伸ばしていた。


「駄目だと言っただろう!」


 騎士ガルフがアンナの腕を背後から掴み、制止してきた。


 すると、不満そうに卵が大きく揺れ出した。


『まことに残念です。孵化の依頼を出すかどうか、我が国でも論議したいと思います』

「ええ、申し訳ございませんが、国を通して正式にご依頼くださいませ」


 卵と契約して孵化できても、魔獣を使役できる者が他国の者だと、所有権で問題が起きる。

 確かに今すぐは無理だった。


(あなたもずっと卵師と出会えなかったのね)


 もしかしたら、この魔獣の卵がアンナの運命の相手なのだろうか。


 試してみたい気持ちはもちろんあるが、冷静になってみれば怖さもあった。


 いつも卵に拒否されるので、今回も同じだったら、わずかな望みすら潰えることになる。


 一通り神殿内を案内されて、滞在先の部屋で休むことになる。

 男女で居住区が分かれる直前、騎士ガルフに腕を掴まれて制止させられた。


「分かっているな? 今夜必ず実行するんだぞ」

「ええ、分かっていますわ」


 念押しされたので、面倒にならないように返事をする。


 アンナはいよいよ明日ガンドレン帝国の皇帝と面会する。



 §




 レリティは愕然としていた。

 色んな卵に触れて声が聞こえるか確認したが、唯一聞こえたのは階位が低い魔獣の卵だったからだ。


 それも聞こえ方も異なっていた。

 今まではしっかりと言葉や単語が聞こえたのに、今は意味不明なものが多い。


「きゅーきゅーきゅーりー」


 ほぼ鳴き声に近い。

 やっと契約できる魔獣と出会えたが、意思疎通の難度が上がったので、簡単に孵化させられないだろう。


(もしかして、屋敷で魔獣の制御がおかしくなったのも、私だけではなく、みんなの使役レベルが下がったせい?)


「どうして、こんなことに?」


 いつもと違うのは、姉がいなくなったことだ。


 ふと思い出す。姉が卵の声を聞こえると言ったときのことを。


(もしかして姉と内容が違ったのは、もしかして今みたいに聞こえ方が違ったせいなの?)


 レリティが卵の声を「寒い」と聞き取ったとき、姉が「布団に入って寝たい」と言ったので、姉が嘘つきになったのだ。


 でも、そんなことは、今はどうでも良かった。


「きっとお姉様が何かしたのよ。魔獣に嫌われていたお姉様が! 早くお姉様を殺さなくちゃ。そうしないと、この異変は治らないわ! そこのあなた、至急ガルフと連絡を取りなさい!」


 連絡鳥を使えば、遠方にいる者と交信できる。

 よくよく考えれば、レリティの婚約者に色目を使った姑息な姉が、毒薬を大人しく飲むとは思えない。

 まだ何も連絡がないのが、その証拠だ。

 ガルフに確実にとどめを刺してもらわなくては安心できなくなっていた。



 §



 翌日、アンナは神殿からは用意してもらった馬車で移動し、王宮に到着した。


 昨晩、騎士ガルフから女子部屋にいたアンナに面会の申し出があったが、どうせひどい任務の件なので理由をつけて断り、今に至っている。


 護衛の騎士は、自分たちの魔獣で移動しているので、同席せずに済んでいた。


 馬車に乗る前に騎士たちから睨まれていたが、帝国の神殿関係者の前では騒動を起こせないので、何も文句を言われずに済んでいる。


 王宮での移動の際にも、帝国の人間が側にいるので、騎士たちはアンナに何もできない。


 遂に謁見の間に通されて、いよいよ皇帝陛下との対面だ。

 衛兵たちが陛下を守るように背後と両脇に何人も並び、小型の魔獣たちも何匹も待機している。

 厳重な警備だ。


「皇帝陛下に拝謁を賜り、感謝いたします。カロンテ国侯爵パルレシアの娘アンナと申します。お会いできて光栄に存じます」


 先頭にアンナが立ち、背後に騎士たちは控えている。

 通訳のベニハはアンナの隣だ。


 顔を上げて良いと許可を得たので、陛下のご尊顔を拝見する。

 玉座に座る陛下が、アンナを面白そうに注視している。

 アンナより一回りほど年上の、なかなかの美男子だ。


『会えて余も嬉しいぞ。パルレシア嬢は、カロンテ国では伝説の卵師と呼ばれているとか。今まで魔獣をこれまでどのくらい孵してきたのだ?』

「恐れながら陛下。私が伝説の卵師と呼ばれたのは過去の話で、魔獣はこれまで一度も孵したことがございません」


 後ろで騎士たちが息を呑む声が聞こえた。


『ほう、全ての卵を孵したという話は嘘だったと申すのか?』

「いいえ、それは」


 妹のレイティの功績です、と説明しようとしたら、後ろにいた騎士にいきなり押さえ込まれて口を塞がれた。


「恐れながら申し上げます。実はパルレシア嬢には、目立ちたがりの悪い癖がございまして、現在も陛下の気を引きたいがために嘘をつこうとしておりました。大変申し訳ございません」

「んーんんー!」


 上に覆い被さっている騎士ガルフは、かなり重くてビクともしない。


「これ以上はお目汚しになるので、私が代わりにお答えします」

「んー!」


 騎士に耳元で、「あとで覚えていろよ」と小さく呟かれる。


 ところが、彼の悲鳴と共に急にアンナの身が軽くなり、束縛から解放されていた。


 慌てて周囲を見れば、騎士は横に吹っ飛び、広間のかなり遠くの壁にぶつかっている。


「お嬢様を押し倒していいのは、俺だけデス」


 なんとベニハがガルフを蹴飛ばしたらしく、彼は一本足で立っていた。

 すごい脚力だ。


「さぁ、お嬢様。陛下にご用件をドウゾ」


 ベニハに促されて、アンナは素早く口を開く。


「陛下、お願いがあります! どうかこの国に亡命させてください! 私は伝説の卵師ではなく偽物です! このままでは、国に命じられたこの騎士たちに殺されます!」


 ベニハが速攻で訳してくれる。


 最初から、これが目的だった。

 母国を見限ることが。

 最悪、自分も処罰される覚悟をしていた。


 この帝国は、支配者層には厳しい対応を取るが、侵略後に自国民となる者たちには寛容だと聞いている。

 万が一、両国で戦争が勃発しても、国民にはどちらが人の道を外れたのか自分たちで判断して欲しかった。


「お前たち、よくも裏切ったな!」


 残りの騎士三人が護身用の短剣を抜き、アンナに襲いかかってくる。

 なりふり構っていられなくなったのだろうか。

 正直、皇帝陛下の御前なので、アンナはそこまで彼らが暴走するとは思っていなかった。

 レリティの命令を知らなかったアンナはただ驚いていた。


 騎士三人が持つ刃物が、素早くアンナに迫る。


(刺される!)


 そう覚悟した瞬間、アンナの身体は急に後ろに引っ張られ、入れ替わるようにベニハが前に立ち塞がる。


 彼は素早い動きで二人の騎士を押さえ込んだが、もう一人の騎士が彼の腹に剣を突き刺していた。


「ベニハ!」


 アンナの悲鳴の直後、周囲にいた衛兵たちが駆けつけ、騎士たちを集団で捕縛する。

 あっという間に騒ぎが収まったが、ベニハが怪我をしてしまった。

 彼の身体が崩れ落ち、仰向けで床に倒れ込む。


「ベニハ!」


 アンナは慌てて彼に駆け寄り、彼の状態を確認する。腹部には、剣が突き刺さったままだ。


「お嬢様、どうか最後の願いを聞いてくだサイ」

「そんな不吉なことを言わないで! 絶対助かるから!」

「最後に、私に口付けを……どうか」


 彼が息も絶え絶えに虚な目で訴えてくる。


「ベニハ……」


 彼が死ぬかもしれない。

 彼を失うかもしれないと思ったとき、凄まじい苦しみが襲ってきた。


「ダメ、私を置いて死んでは!」


 屋敷で家族に冷たい仕打ちをされても、耐えられたのは彼がいたからだ。

 込み上げた涙が頬を伝う。


「……お嬢様」


 ベニハの目が静かに閉じられた。


「ベニハ!」


 彼の名前を呼んでも、反応がない。


「そんな……!」


 ベニハが死んだ。そう思って衝撃を受けたときだ。


 静まり返った広間で、遠くから子供のような声が小さく響いた。


「あの男、死んでないよね」

「魔獣が守っているよね」

「そうよね」


 声がしたほうを振り返り見れば、広間にいた子ザルのような魔獣たちがヒソヒソと身を寄せ合って話している。

 アンナの視線に気づくと、ビクッと肩を震わせて慌てて口をつぐんだ。


「ベニハは死んでないって聞いたんだけど、それって本当? 確認しても構わないわよね」


 そう言いながらベニハの服を問答無用でめくってみると、軟体動物のような形の定まらない魔獣が彼の腹に張り付き、剣の切っ先から身体を守っていた。


「ばれちゃった?」


 ベニハがチラリと目を開け、悪戯がバレた子供みたいな無邪気な顔でこちらを見上げている。


「ありえない!」

「ぐはっ!」


 ベニハの腹にアンナは思わず拳で突っ込みを入れていた。



 §



 それからアンナの亡命は無事に陛下に認められた。


 神殿に身を置き、ここでは神獣と崇められる魔獣の世話を行いつつ、この国での魔獣の知識や言葉を勉強している。


 カロンテ国の帝国に対する非礼とアンナに対する悪行は、意図的に周辺国に広められた。良識を疑う行為だと、かなりの信頼を失くしたらしい。


 特に騎士たちが陛下の前で抜刀したのは、かなりの問題行動だった。

 帝国側は「我が国への攻撃だ」と主張し、カロンテ国は「裏切り者の処刑のためだ」と反論。


 宣戦布告とみなされても当然で危険な状況だったが、アンナの帝国への帰化容認と、多額な示談金を条件にカロンテ国に騎士たちの身柄を引き渡した。


 カロンテ国では魔獣の制御が乱れ始め、国民の混乱も招いたことから、国王に対する国民や貴族の忠誠心がかなり低下したようだとベニハ経由で教えてもらった。


「でも、どうしてカロンテ国では魔獣の使役がおかしくなったのかしら?」


 講義が終わったあと、指導役のベニハにアンナは質問していた。


 神殿の小さな一室で、アンナとベニハは向かい合うように机を挟んで椅子に座っていた。


 ベニハは今では無地の黒い神官服を身につけている。

 元々彼は神殿に属する人で、すっかり帝国の国民に戻っていた。

 アンナも早く馴染むために帝国の衣服を取り入れている。


「たぶん、お嬢様がいなくなったからだと思いマスよ。神獣王の御使いなら、ありえマス。加護のおかげで、周りの神獣の力を強くするんデス」

「加護なんてあるの?」

「そうデス。御使いが強く願うほど守られると記録が残ってマシタ」


 そう言われて思い出した。


(そういえば私、幼い頃に願ったわ。私ばかり両親が構うから、妹もみんなが認めるような卵師になりますようにって)


 でもアンナは死ねと言われて、ベニハの前で故郷を見限る決意を口にしていた。


(それを魔獣が耳にして、故郷の魔獣たちがおかしくなったの?)


「そうなのね。本当に私が御使いなら、いいんだけど……」


 実はまだ卵に触れて契約していない。

 どうやら大々的に国をあげて神殿の儀式で行う予定となっていた。


「期待されて駄目だったことなんて沢山あったから、怖いわ」


 思わず、弱音がポロリと溢れてしまった。


 すると、机の上に置いてあったアンナの手をベニハに握られた。


「卵本体だって認めてマス。大丈夫デス」


 アンナよりも温かい手が、優しく包み込んでくれる。


「何度か卵に会ったとき、ピカピカと光って、分かりやすいほどお嬢様に反応していマシたよ」

「そうね……」


 彼の励ましで、少し前向きに考えられるようになっていた。


「ベニハの密偵としての任務は、御使いと思われる私を帝国に連れてくることだったのね」


 そう直球で尋ねると、彼は金色の目を細めて微笑んだ。


 今の彼は目立つ瞳を隠していなかった。

 長い前髪は後ろに流され、後ろで一つに束ねられていた。

 端正な顔立ちが、顕になり、額には魔獣の契約印がある。


「卵師として資質があるのに、帝国でも確認されている最高位の卵を孵化させられないなら、御使いに最も該当する人物だと思いマシタ。それにお嬢様だけデス。神獣の態度に変化があったのは。これも神獣にとって特別な方だと推測されマシタ」

「魔獣が私にだけ話しかけなかったことが、特別な反応なの?」

「これは俺の推測デスが、魔獣は階位がハッキリしておりマス。人間でも身分が上の者と分かっている者には気軽に話しかけマセン。なので、同じ反応だと思われマシタ。お嬢様が助けを望めば、魔獣が反応したはずデス」


(あのとき謁見の間で魔獣が反応したのは、私がベニハの死を嘆いていたから?)


 確かにアンナは故郷では、両親の愛を求めて大人しく酷い仕打ちに耐えていただけだった。


 ようやく腑に落ちた。


「どうりで何度も駆け落ちを勧めてくるわけね」

「……でも俺は、お嬢様と一緒なら、別に帝国に戻らなくても良かったんデスけどね。あの家ではお嬢様は幸せになれまセンから、駆け落ちを勧めてマシタ」


 それはまるで、アンナのためなら、故郷を捨てても構わないと言っているようだった。


「もし私が御使いではなくても、一緒にいてくれるの?」

「えぇ、モチロン」


 迷いない回答を聞いて、アンナは彼を信じることにした。


 そもそも謁見の間で死んだフリをした理由が、「最後のお願いなら、もしかしたらお嬢様が口付けしてくれると思ったんデス」という非常に情けないものだったから。


(何を企んでいるのか分からないと思ったら、私が理由だったなんて)


 そう思い出すだけで、可笑しくて吹き出しそうになる。


 神獣王の存在をなぜ早く教えてくれなかったとは思わない。

 彼の立場を考えれば、重要な情報を言えないのは当然だ。

 それに、昔の自分だったら、あの両親に好かれようとした挙句、利用し尽くされただろう。

 それを愛情だと誤解して気付かないままで。

 両親を見限った今では、それが幸せとは到底思えなかった。


「じゃあ約束よ。……でも、今後は夜な夜な他の女性と会わないでね」


 そう指摘すれば、彼は目を丸くして驚いていた。


「他の女なんていまセン」

「あなた、時々すごく香水くさかったのよ。どうして匂いが移ったのよ」

「帝国に報告のため他の密偵と会うのに夜の店が疑われにくいから利用していたのデスが、まさか察しの良いお嬢様まで騙されていたとは思いまセンでした」

「香水は偽装だったの?」

「ハイ」


 自分の勘違いにアンナは急に恥ずかしくなり、変なことで彼の愛情を疑って申し訳なかった。


「お嬢様だけデス。私の唯一は」

「……うん、私もベニハが好き」


 彼の想いが嬉しい。

 笑みを浮かべてベニハを見つめると、彼の表情は歓喜に満ち溢れた。


「俺たち、ついに両思いになったんデスね。嬉しいデス」

「うん」

「お嬢様に無礼だと冷たく咎められるのも、刺々しい美しい薔薇をいつか手折りたいと劣情がくすぐられてすごく良かったんデスが、」

「え?」

「いきなり素直に甘えてデレてくる二面性も癖になりマス。そのままお嬢様を押し倒して身体を弄び、何度も鳴かせたいと想像するだけで胸だけではなく下半身も熱くなりマス。最高デス」

「ななな、何を言っているの。そういうことは、ちゃんと夫婦になってからでしょう」

「……今すぐダメですか?」

「ダメよ! しっかりして!」


 ベニハがヤバイ。

 彼の瞳から、激しい欲望がダダ漏れている。

 アンナの手をがっしりと握って、逃がさないと言わんばかりだ。


 六年間、ずっと駆け落ちを誘っていた男の執念の凄まじさを失念していた。


 ベニハの気持ちに気づかなかった自分の鈍さが、今は恨めしい。


 なんとかしなければと、咄嗟に話題を変えることにした。


「私たち、まずは恋人ではなくお友達から始めましょう。だって、ベニハは私のことをお嬢様と、まだ呼んでいるでしょう? 主人と下男ではなく、新しい関係から慣れないと」

「……トモダチ」


 説得が効いたのかベニハから激しい熱が消えてしょんぼりとしていたが、「アンナ様」と呼ぶ練習を始めると、再び元気を取り戻して席を立ち、アンナににじり寄り始める。


「アンナ様、どこまでなら許してもらえマスか?」

「手をワキワキ動かしながら言う台詞ではないでしょ!」


 反射的に立ち上がり、逃げ腰になりつつも、アンナはベニハの抱擁は受け入れる。


「いい匂いデス」

「嗅がないで! もう」


 そう文句を言いながらも、アンナの口元には笑みが浮かんでいた。



 §



 後にアンナは神殿の儀式で無事に卵と契約し、御使いとして自国だけではなく周辺国にまで名声は周知されることとなる。


 その結果、アンナを裏切り者として殺害未遂事件を起こしたカロンテ国はますます窮地に陥った。

 貴族たちの激しい責任追求により、陛下は全てパルレシア侯爵家に責任を押し付けようとし、侯爵家も激しく反論。

 そのせいで、両方の酷い実情が知れ渡り、直系王族とパルレシア侯爵家は揃って失脚する羽目となる。

 カロンテ国は傍系の王族が王位を継ぎ、国内の安定に努めた。



〈完〉



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 卵や魔獣達は何故アンナと契約をしなかったの? アンナが契約を希望しているのに黙ったままだったり、家族に虐待されているのに庇ったり怒ったりしないのも何故なのかな? 帝国の魔獣は死んだふり…
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