*小さな恋のはなし*
本編最終話の後のお話です。
『あの、私、ルッツ様に差し入れを持って行こうと思うのですが』
ディアナのそんなひと言に、私はぱっと顔を上げて、こう答えた。
『それなら、私が持って行くわ』と。
* * *
クラウスの公開告白の後の昼食会は、なんだかんだで皆とても楽しんでいた。
クラウスに隣に座られたディアナは、しょっちゅう顔を赤くして騒いでいたが。
そんな落ち着かない様子のディアナが、ひとり寂しく押し付けられた執務をしているというルッツに、差し入れに行きたいと言い出した。
きっとクラウスのアピールから逃げたいのだろう、その場の誰もがそう思っていた。
アイリスもまた、ディアナが恥ずかしさのあまり逃げ出したいのだと分かっていた。
だからディアナには悪いと思ったが、その名前を聞いて手を上げずにはいられなかったのだ。
実際、ディアナは『え、ええっ!?いえ、その、わ、分かりました。お譲りします……』と言いながらも、ものすごい顔をしていた。
……せっかくの美人が台無しだと思うくらいに。
それとは反対に、クラウスはものすごく良い笑顔をしていた。
きっと、兄の恋路を応援する気の利く妹だとでも思ったのだろう。
そんなこんなでルッツへの差し入れ係の権利をもぎ取ったアイリスは、侍女とともに廊下を歩いていた。
侍女の持つトレーには、サンドイッチとそれに合う紅茶。
サンドイッチの具も、紅茶も、ルッツの好みに合わせてアイリスが手配させていた。
(私が来ても、喜ばないかもしれないけれど)
ルッツへの態度があまり良くないことを、アイリスは自覚していた。
元々ツンデレ気質のあるアイリスだが、好意を持つ相手に気持ちとは裏腹の言動を取ってしまう傾向にある。
兄であるクラウスに対してもそうだ。
数年離れて再会した時に、どう接して良いのか分からなかった。
(そう思うと不思議ね。ディアナに対しては、結構素直になれている気がするわ)
それは元保育士であるディアナが、上手く自分を下げたり大袈裟に振る舞ったりして、アイリスの言葉を引き出しているからだった。
そしてそれをアイリス以外の大人達はきちんと分かっており、その手腕に感心していた。
(素直に、か)
女子のほとんどは、幼い頃に一度は年上の男性というものに憧れを持ったことがあるのではないだろうか。
アイリスもまた、その例に洩れずルッツに対して仄かに憧れに似た気持ちを抱いていた。
敬愛する兄の幼馴染であり、右腕的存在。
あのポーカーフェイスで警戒心の強いクラウスが家族以外で心を許す、数少ない存在。
……近頃はその中にひとり追加されたが。
とにかくそんなルッツのことを、少し前までのアイリスは羨んでいた。
兄といつも一緒にいられる人。
あの兄が、彼とだけは軽口を言い合える。
自分を置いて戦争へと旅立った時も、彼を伴っていた。
そんなルッツのことが、羨ましくて仕方がなかった。
けれどそれが少しずつ好意に変わったのは、ここ最近のこと。
ディアナを交えルッツと会う機会が増え、その人となりを知ることになったから。
飄々とした掴みどころのなさが胡散臭く思うこともあった。
アイリスがつっけんどんな態度を取っても気にせずベラベラと話しかけてくる、変な人だと思ったことも。
しかし、茶化すような言動の多い彼が時折見せる真剣な表情や、クラウスとアイリスのやり取りを微笑ましそうに見つめる優しい視線に、アイリスの心は揺れ動いていた。
(ディアナに知るということは学びだと教えてもらった時も、私のことを微笑ましそうに見てた。……あんな表情するんだって思ったっけ)
まるでその成長を喜ぶような、クラウスが自分に向けてくる眼差しと似たものを、アイリスはルッツの視線から感じていた。
(お兄様みたい、っていうのとはちょっと違う、気がする、けど……)
ぴたりと足を止める。
考えがまとまらないまま、クラウスの執務室へと到着してしまった。
控えめにノックして扉を開いてもらえば、ものすごい顔をしてガリガリと机にかじりつくルッツの姿が見えた。
「お、お疲れ様ね……」
「え?おや、王女殿下」
アイリスの声に顔を上げたルッツは、ギリリと歯ぎしりをした。
「全くどこかの王子殿下のせいで……。なぜ俺がこんな目に……」
恨み言を吐くルッツの目は、血走っている。
((あ、これめっちゃ怒ってるやつだわ))
アイリスと侍女は心の中で同じことを思った。
(でも……今日はお兄様やディアナが一緒の時と同じ、“俺”って言ってた。珍しく気を抜いているのね)
アイリスの前では紳士ぶっていることが多いルッツの、素っぽい姿。
それを見ることができたのが、なんとなく嬉しい。
「あの鬼畜王子……ふん、どうせディアナ嬢との仲もさほど進展していないでしょうね。だいたい大切なことを言わずに後回しにするからこんなことに……」
ぶつぶつと毒を吐くルッツに、アイリスは苦笑いをした。
「ええと、エッカーマン秘書官?」
「ああ、王女殿下を目の前に大変失礼を。申し訳ありませんでした。おや、侍女殿がお持ちのものは……」
頭を下げた後、アイリスの方へと視線を上げたルッツは、サンドイッチとティーセットに気付いた。
「……お兄様のせいでひとり寂しく仕事をしているって聞いたからね、差し入れよ」
(素直に!憎まれ口は叩かない!)
胸中でそう自分に言い聞かせながら、アイリスは侍女にトレーを置かせた。
その皿に乗せられたサンドイッチの具を見て、ルッツは目を見開いた。
「……私の好きな具材です。偶然かもしれませんが、とても嬉しいです。おや、紅茶もサンドイッチに良く合いそうなものですねぇ」
そして厳しかった表情を、ふっと緩めた。
「……そう?それならば良かったわ」
その言葉と表情が、嬉しいけれど気恥ずかしくて。
アイリスはふいっとそっぽを向く。
そんなアイリスの姿に、ルッツは気付かれないように笑う。
「ありがとうございました、王女殿下。美味しく頂きますよ」
「……ええ」
そう答えるのが精一杯だったアイリスは、くるりと方向を変え、扉を開く。
このままこの場に居続けるのは心地が悪い、さっさと退散しようというわけだ。
「おや、もうお戻りで?」
「……仕事の邪魔になったら悪いもの。失礼するわ」
それは残念と言うルッツに、アイリスは頬を染めながら顔を顰める。
「じゃあね!」
バタン!と扉を閉める音が響く中、部屋に残されたルッツはくすくすと笑う。
「全く……。随分とかわいらしく成長されたものですね」
アイリスの気持ちなどこれっぽっちも知らないルッツは、ただただ微笑ましく思うだけだ。
だが、しかし。
(アイリス様……。ブラコンから卒業して、年上に憧れを抱く時期ですのね)
(アイリス様のあの様子は恐らく……。まあまあ、これは面白くなってきましたわ。第三王子殿下が烈火の如く怒りそうですわねぇ)
執務室付きの侍女とアイリス付きの侍女のみが、その真実にいち早く気付いたのだった。
* * *
「ね、私、変じゃなかったかしら?」
自室へと戻る途中、廊下で侍女にぽつりと聞いてみる
「……いいえ?エッカーマン秘書官もとてもお喜びでしたね」
なぜだか少しだけ間があったけれど、侍女はにっこりと微笑んでくれた。
素直でかわいらしいお姫様になるのは、自分にはなかなか難しいけれど。
努力して、できるだけのことを身につけて、たくさんのことを知って、自分を磨いて。
そうすれば、いつか。
自室の扉を開くと、先程と変わらずクラウスに迫られ頬を染めるディアナの姿が目に飛び込んできた。
「お、おかえりなさいアイリス様!はい、こちらです!こちらにどうぞ!私と殿下の間が空いております!」
「そうかい?君と私との間には、もうあまり余裕がないみたいだけれど?」
そんなことありません詰めれば大丈夫!と早口でディアナが突っぱねる。
そんなふたりの姿に、ぷっと笑いが零れる。
「ふふ、遠慮しておくわ。お兄様に叱られるのは真っ平ごめんだもの」
そう断れば、ディアナがまたものすごい顔を向けてきた。
けれど、その奥にある感情はきっと嫌悪じゃなくて、むしろ……。
「いつか私も、そんな風に誰かに愛される日が来るかしら」
「うん?なにか言ったかい、アイリス?」
首を傾げるお兄様に、いいえと応える。
今はまだ、芽吹いたばかりの小さなものだけれど。
いつか想いが花開く時が来るかしらと、そっと胸に手をあてて微笑むのだった――――。
今年最後の投稿になります。
ここまで読んで下さった皆様に感謝です!
よいお年をお迎え下さいませ(*^^*)




