ヒロインの陰謀7
* * *
「ブルーム侯爵令嬢が攫われた!?」
「はい。ですから、本日アイリス様の話し相手として参上することができない、と。極秘にしてほしいと、ブルーム侯爵から通達がありました」
ルッツからその知らせを聞いたクラウスは、手にしていた書類をぐしゃりと握った。
潰された書類を見てルッツは僅かに眉を動かしたが、それについてはなにも触れず、自身の主を落ち着かせるすべを考えていた。
「クロイツェル公爵令息か……!」
「恐らくは。学園の幼等部に侵入者が現れ、奴らは子ども達を人質に取り、ディアナ嬢を攫ったようです」
「学園の警備はなにをしていたんだ!?」
「空間移動魔法の遣い手だったとか。侵入を防ぐことは難しいでしょうね」
ダン!とクラウスが執務机を叩く。
そして勢いよく立ち上がると、扉へと向かって歩いて行く。
「どちらへ?」
「決まっているだろう。助けに行く」
「落ち着いて下さい!どこに連れ去られたのかも分からないのに」
ルッツがそう窘めると、クラウスはピタリと足を止めた。
「では、黙って待っていろと言うのか!?貴族令嬢の連れ去りなど、普通に考えたらとんでもないことだ!彼女が狙われていたことを考えると、なにをされるか……っ!」
ルッツも分かっている。
アルフォンスはディアナを第二夫人にと要求してきた。
それを突っぱねられたアルフォンスがディアナを攫い、なにをするか……。
それは想像に難くない。
「既成事実さえ作ってしまえば拒否することなどできないと思ったのだろう。全く、浅はかで、――――反吐が出る」
普段のクラウスからは想像のつかない、底冷えのする声。
自然、その魔力が漏れ出てて、執務室内の温度が急降下する。
「同感です、殿下」
ルッツがそう答えた時、不意に扉が開き、そこからブルーム侯爵・ヨハネスが現れた。
「此度は娘のことでお心を乱してしまったようで、大変申し訳ありません」
室内の空気を読み、ヨハネスはまずクラウスに向けてそう謝罪し、綺麗に礼を執った。
一見冷静に見えるヨハネスだが、その手が怒りと不安に震えていることにクラウスは気付いていた。
「いや、侯爵のせいではない。その様子、令嬢を助けに行くおつもりか?」
「無論です」
その目にもまた、激しい怒りが見える。
「……季節の割に、随分と温度の低い部屋ですな。あまり騒ぎになってはディアナの名に傷がつく。ですから私は単身で乗り込むつもりです。……それで殿下、あなた様はどうするおつもりですか?」
どうすると聞かれたクラウスの答えは、ひとつ。
「私も、共に行く。足手まといにはならん」
そのきっぱりとした答えに、ヨハネスは満足そうに頷いた。
「足手まといなどと。騎士団の参謀役としてだけでなく、魔法騎士としても戦場でご活躍されていたあなたにそんなことを言う輩はおりませんよ」
さあ急ぎましょうと踵を返すヨハネスに、慌ててルッツが問いかける。
「お、お待ち下さい!どこに攫われたのかも分からないのに、無闇矢鱈に……」
アッカーマン殿、とヨハネスは顔だけで振り返った。
「我が娘をその辺の貴族令嬢と一緒にしてもらっては困る。騎士団長である私の血を引き、母親からの気丈さを受け継いだ娘だ。――――ちゃんと手掛かりを残して行った」
ヨハネスの言葉に、クラウスとルッツは目を見開く。
その一拍のち、クラウスは笑ってルッツに指示を出した。
「おまえは私の代わりにその書類の束をなんとかしておけ。それとアイリスへのフォローも頼む。――――すぐに戻る」
ディアナと共に。
そう言うとふたりは執務室を後にした。
ひとり残されたルッツは、やれやれとため息をつく。
「仕事を押し付けられてしまいましたね。全く……どさくさに紛れて名前で呼んでいましたが、ご本人の前では呼べないくせに……」
ぶつぶつと文句を言いながら、ルッツはクラウスが握り潰した書類の皺を伸ばす。
(あのように感情を剥き出しにするのは珍しい。まして、女性を相手に)
今までも幾度となくディアナのことで感情を揺らすクラウスの姿はあった。
しかし、クラウスはいつもなんとかその心を抑えようとしていた。
けれど、今回は違う。
「以前は冗談のつもりで言いましたが……。ディアナ嬢、本気で王家に嫁ぐ気はありませんかねぇ……」
今回のことについて報告を受けた内容を思い出し、ルッツはそんなことを呟く。
幼等部の子ども達を人質に取られた中で、ディアナはまず気付かれないように助けを呼んだ。
ディアナが魔法で作った羽虫、あれは伝達魔法の一種で、まず一番近くにいるであろう幼等部の教師達に向けて飛ばしていた。
その他にも、父親であるヨハネス、そして側にいた侍女のミラ。
彼らにも同じように彼女の言葉を託した羽虫を遣わせていた。
(そしてあのブルーム侯爵の口ぶりからすると、居場所を知らせるなんらかの対応までしていたようですね)
非常事態が起こった時にも冷静になれる精神力、そして短時間で今できる最善がなにかを瞬時に考えることができる判断力と対応力。
そしてなにより、自分より下の立場の者を身を挺してでも守ろうとする懐の深さ。
「それも、彼女が傷ひとつつかずに無事に戻って来れなくては、泡沫の夢となってしまいますが」
殿下、あなたに懸かっていますよ。
それだけでなく、彼女を好ましく思う友人の一人としても、ルッツはディアナの無事を祈るのであった。




