今世の推しは、天使な弟です!2
「今日もありがとうございました」
「あっ、は、はい。今日もとても良くできておりました。また、来週参ります。では……」
算術の講義を終え私がお礼をすると、教師は戸惑いながら応えてくれたものの、そのままそそくさと部屋から出て行ってしまった。
むう……この教師もなかなか手強い。
ミラほどではないが、未だに私の変化を不審に思っているようだ。
侯爵家の令嬢である私は、それはもうありとあらゆる勉強をさせられている。
歴史や言語、算術に魔法学、ダンスにマナーに護身術。
……少しやり過ぎではないかと思うくらい。
異世界なので当たり前のように歴史や言語はチンプンカンプン!魔法!?なにそれ!?かと思いきや、今までのディアナの記憶が残っているため、どれもこれも良く分かる。
算術なんかは前世ほど発展していないらしく、小学生レベルの問題しか出ないので、正直楽勝だ。
そりゃ忘れていたものも多いけれど、きちんと講義を聞いていれば分かるものばかりで、ちょっと拍子抜け。
魔法学に関しては、元々素質があるらしく、魔力量も多いしセンスもあったため、座学・実技共に問題ない。
それに、いかにもファンタジーっていう感じですごく楽しい。
ちなみにダンスにマナーに護身術も以下同文。
女神様が言っていた通り、チートだわ、私。
まあ令嬢教育で苦労しないのは良かったかな……とポジティブに考えることにした。
なにもかも一から始めるのはかなりキツイもの。
でも、ディアナはそんな優秀な頭脳も、なんでもできる器用さも隠していた。
簡単に言えば、“できないフリ”をしていたのだ。
なぜってそれは……うん、まあそうよね。
父親に、こちらを見てもらいたかったから。
なんでもできていたら、同じく優秀だった母親と同じように放っておかれると思ったのだ。
『私がいなくても君なら大丈夫だろう。任せる』
そう言って、父は母のことをあまり気にかけなかった。
だから母が亡くなった後、ディアナは不出来なフリをした。
父に、“大丈夫か?”って、声をかけてもらいたかったから。
「……小さい子どもみたい。園にもいたっけ、愛情不足で荒れてる子」
素直に甘えることができないその子に、できるだけの愛情をと職員みんなで話し合ったことを思い出す。
なんでもかんでも彼のいうことを聞くことはできないけれど、頑張った時は頭を撫でて褒めて、“大好きだよ、かわいいね”とぎゅっと抱き締める。
ディアナには、そんな風に彼女のことを考えて接してくれる人はいなかった。
使用人達も必要以上にディアナに近付くことはなかったし、教師達もすぐに癇癪を起こすディアナに講義を行うことを渋った。
「“愛されたい”って、ただそれだけだったのにね」
まあディアナも、それなら優秀なところを見せて褒めてもらおう!という方法にシフトすれば良かったのだが。
色々と拗れて素直になれず、チートに蓋をしたままだったわけだ。
それが突然、記憶を取り戻した一ヶ月前から講義も真面目に聞くし、テストの結果も良い、実技も言うことナシ!になれば、まあそりゃあ教師達も驚くよね。
長年それで頭を抱えていたのだ、急に変わってもなにか裏があるのではと思ってしまう気持ちは良く分かる。
良く分かるのだが……。
「グエン以外に心を許して話せる人がいないって、不便だわ……」
むしろグエンがいてくれて助かった。
家の中でぼっちは辛いもの。
「まあ気長にやっていくしかないわね。自業自得だもの」
環境のせいとはいえ、ディアナにも悪いところがあったのだ、仕方がない。
ちゃんと改心したのだと少しずつ分かってもらえることを信じるしかないだろう。
「そういえば、もうすぐ夏期休暇が終わって来週から学園が再開するのよね。正直、億劫だわ……」
浮上しかけた気持ちがまた沈む。
げんなりとした気持ちで自室に掛けられた学園の制服を見る。
十七歳のディアナは、貴族の令息令嬢達が通う学園の高等部に在籍している。
学園とは、まあ前世の学校みたいなものだ。
しかし、我儘放題の癇癪持ち令嬢には心からの友人と呼べる者はいない。
屋敷にいれば心のオアシス、グエンがいるが、学園には癒やしがいない。
推しもいない。
形ばかりの婚約者はいるけど、別に会いたくもない。
「……大丈夫かしら、私」
今更ながら、来週からの学園生活に不安を覚えるのであった。
その日一日悶々としていたが、仕方がない。
そう気持ちを切り替えた私は、今日の講義を終え気分転換に庭園に出ていた。
そこはさすがの侯爵家、建物だけでなく庭も広い。
色とりどりの花が咲き乱れ、手入れも良くされている。
私が通ると庭師たちがびくびくしながら様子を窺ってくるのだが……多分、私がせっかく手入れした木や花を荒らさないだろうかと冷や冷やしながら見ているのだろう。
以前、お義母様が好きだって言ってた薔薇の植え込みをぐちゃぐちゃにしたこともあったものね。
さすがにそんなことしないわよと思いながら、申し訳ない気持ちになる。
「これじゃあちっとも気分転換にならないわね……あら?」
散歩しているだけだが迷惑になるなら戻ろうかと思った時、少し離れたところから子どもの声がするのが聞こえてきた。
ブルーム家に幼い子どもはひとり、グエンだけだ。
では誰のものだろう、耳をすませてみれば、複数の声がする。
なんとなく園の子ども達のことを思い出して、ふらりと声のする方へ足を進める。
植えられた花なんてない、ただの広場のような場所。
曲がり角を曲がれば、そこには。
「え?なんでこんなに……」
つい声を上げた私の方を、十数人の子ども達が振り向いた。
下はグエンと同じくらいから、上は十歳くらいの子達。
「?おねぇちゃん、だれ?」
その中のひとりの女の子が私のことをまん丸の目で見つめて、そう尋ねてきた。