わがまま姫様の憧れ3
* * *
「では今日はこれで。アイリス様にもよろしくお伝え下さい」
「ああ、気を付けて」
馬車でブルーム侯爵家へと帰るディアナを見送ると、クラウスはくるりと方向を変え、そのままある場所へと向かった。
「?殿下、どちらへ?」
「アイリスのところだ。ついて来なくていいぞ」
「またそんなことを言って、私に仕事を押し付けるつもりですか?長居せずに仕事に戻ってもらわないといけませんからね、同行させてもらいますよ」
監視役ですと言うルッツを連れて、クラウスは王宮の廊下を歩いて行く。
そうしながら、クラウスはディアナのことを考えていた。
この数ヶ月、ディアナに不審な点は全くと言っていいほど見当たらなかった。
クラウスも、さすがに最初からディアナに信頼を寄せていたわけではない。
クロイツェル公爵からの話を聞いて面白いと思ったのは事実だが、それと同時に警戒もしていた。
クロイツェル公爵子息とのことはどう考えても被害者だったが、物事に百パーセントの善悪はないと思っていたから。
火のないところに煙は立たぬ、根も葉もない噂というのは稀なことだと、クラウスは思っている。
だからディアナのことも、アイリスを任せることにはしたものの、疑いの目でもって信用しすぎないようにしようと決めていたのだ。
虹の話でアイリスの心を射止め、様々な遊びを通して学びを与えていくディアナに、クラウスも心和まされてきたが、それでも心のどこかで警戒心を忘れないようにと努めていた。
ブルーム侯爵邸を訪れた時も、そう。
ディアナへの興味の一方で、怪しい言動はないだろうかと探る気持ちも、多少はあった。
けれど、そんな警戒心をあざ笑うかのように、ディアナの侯爵邸でののびのびとした振る舞いは、心からの笑みなどそうそう浮かべないクラウスを声を上げて笑わせた。
ひと月前の騎士団での演習でも、ディアナの悪女役の舞台女優めいた言動に笑いを我慢できなかったクラウスを見て、騎士達がぎょっとしていた。
ディアナは気付かなかったが、クラウスの嘲笑や作り笑顔しか知らない騎士達にとって、あの日のクラウスの姿は見たことのないものだった。
使用人の子どもまで相手にするなんてと、貴族令嬢らしからぬと、そう眉を顰めるものもいるかもしれない。
けれどその振る舞いはたしかに子ども達の、そしてクラウスも含め周りの大人達の心をも掴んでいる。
あの卒業パーティーでの、幼等部の子ども達のディアナを守ろうとする姿もそうだ。
まるで、物語のお姫様を助ける王子様なんていらないというかのように、子ども達はディアナを庇い、ディアナも子ども達に心を震わせていた。
それにしてもとクラウスは思う。
ディアナが改心したことはもう信じている。
そして子ども達に向ける愛情が本物であることも。
けれど、ディアナは一体どこで子ども達の心を掴むような振る舞いを身につけたのか、そして子どもに関する知識を得たのか、それが引っかかっていた。
それともうひとつ。
『……ええ、まあ。そうです、ね』
病に倒れて後悔したから改心したのかというクラウスの問いに、ディアナは一瞬答えに詰まり、少し俯いた。
(あの時の表情はやり直すことができて良かったという安堵の表情ではなく、むしろ――――)
「――んか、殿下!どうされたのですか、王女殿下の部屋を通り過ぎてしまいましたよ!」
ルッツの声に、はっと我に返る。
自分のはるかうしろにアイリスの部屋の扉があることに気付き、クラウスは咳払いをした。
「少し、考え事をしていた」
そう言ってUターンするクラウスを、やれやれという表情でルッツが見る。
(全く……なにを考えていたのやら。どうせディアナ嬢のことでしょうけれど)
ここ数ヶ月の様子から、ルッツは正確にクラウスの感情の機微を察知していた。
しかしクラウスがそれほどまでにディアナのことを気にする理由が、ルッツにも分かる気がしていた。
さてこれからどうなることやらと思いながら、アイリスの部屋の扉をノックするクラウスの背中を見つめ、ルッツは苦笑する。
「アイリス、ちょっと良いか?」
どうぞという返答があってクラウスが扉を開けると、そこには魔法書を手にしてソファに座るアイリスの姿があった。
側には紅茶の入ったカップと、それからひと口サイズのクッキーが小皿に少し。
以前に比べて随分とほっそりしたアイリスのその姿に、クラウスの眼差しが柔らかくなる。
「……なにか言いたそうな顔ね」
「いや、勉強していたのか?偉いな」
穏やかな口調のクラウスに褒められ、アイリスの頬が僅かに染まる。
この兄妹のこんな姿が見られるようになるなんてと、ルッツは感慨深い気持ちになった。
「最近とても頑張っていると聞いた。教師達が褒めていたぞ」
「……別に。やってみたら面白くなっただけだから」
ふいっと視線を逸らすアイリスだったが、嬉しいのかそわそわとするのを隠すことはできていなかった。
そんな愛らしいアイリスの姿に、クラウスとルッツ、そして扉に控えていた侍女達は顔を綻ばせた。
数ヶ月前まで、アイリス付きの侍女は“ハズレ”だと言われてきた。
我儘放題で、すぐに癇癪を起こして周りのものにあたっていたアイリスの世話をするのは、なかなかに骨が折れるからだ。
事実、これまでに何人もの侍女がアイリスの振る舞いに辟易して侍女長に異動願いを出し、入れ代わり立ち代わり侍女が変わっていた。
けれど、そんなことも数ヶ月前からぴたりと止んだ。
もちろん、それはディアナがアイリスの話し相手として呼ばれた日からだ。
相変わらずぶっきらぼうな口調で素直じゃない言葉を使うアイリスだったが、照れ隠しゆえのものだと思うと、これはこれでかわいらしく思えるようになったから不思議だ。
『あれはですね、“ツンデレ”っていうんですよ!かわいいですよね!』
仲良くなった頃にそんな風に熱弁するディアナを思い出して、侍女達は笑いそうになった。
王女殿下を相手に“かわいい”だなんて、側付きの侍女としては少し馴れ馴れしくはないかと思うべきところだが、なぜだかディアナのことは憎めない。
王女殿下としてではなく、アイリス自身を見つめ、接してくれるディアナだからこそ、あのわがまま姫様の心を解きほぐせたのだろうと思えてならない。
そんなアイリスはもうすっかり情緒が安定し、我儘に振る舞うことも、癇癪を起こして大人達を困らせることもなくなった。
この部屋の中にいるもの全てが、その功労者であるディアナのことを好ましく思っていた。




