わがまま姫様の憧れ1
騎士団での演習参加からひと月。
アイリス様の元へと向かうために王宮の廊下を歩いていると、周囲からひそひそと噂されている気配がするようになった。
「おい、ブルーム侯爵令嬢だぞ」
「以前は癇癪令嬢って有名だったけど、父親に似て冷徹なんだって?騎士がボヤいてるの聞いたぞ。我儘姫様もその厳しさで抑え込んだのか?」
「綺麗な顔してるけど、おっかないよな」
…………聞えてるんですけど。
ここで視線を向けようものなら、睨まれたと勘違いして逃げて行くのがテンプレだ。
そして更に噂が悪化する、と。
聞こえないふりをしながら無心で歩くのが最善だと、私はこのひと月で学んだのだ。
騎士団での演習だって、もしかして良い出会いがあるかもっていう期待もほんの少しあったのに、ものの見事に打ち砕かれた。
実はマルちゃんのこと、ちょっと良いかも?って思ったりもしたけれど……。
完全に彼の私を見る目は、上官を見るそれになってしまっていた。
人生ままならないものよね……。
とぼとぼと廊下を歩きながら心の中で涙する。
アイリス様の私室にたどり着き、いつものように部屋付きの護衛騎士に挨拶をし中に入れてもらうと、アイリス様が笑顔で出迎えてくれた。
「ディアナ!ご機嫌よう、待っていたわ!」
ああ……心が洗われていくわ……。
やっぱり今世の癒やしは子ども達だわねと、とりあえず恋愛は思考の隅に追いやる。
「こんにちは、アイリス様。今日も良いお天気ですね」
良いのだ、私は今仕事に生きているのだから。
アイリス様が立派な王女様となれるようお手伝いする、それが私の第一の目標。
恋愛なんて二の次三の次だ。
気持ちを切り替えてアイリス様に挨拶をし、今日は散歩をした後に外で本を読むことにした。
初めて使用人達の仕事を見に外に出た日以来、アイリス様は散歩が好きになった。
王宮には色々な人が働いていて、色々な仕事があるのだと学んでいる。
そして使用人達に質問することも多くなり、最初は戸惑っていた彼らとも挨拶を交わすくらいには親しくなった。
また、よく歩くためか、アイリス様は少し痩せた。
元々王妃様に似た顔立ちだし、このままいけば絶世の美少女へと変貌を遂げるだろう。
散歩をしたり魔法を学んだり、最近は歴史や算術、文字の勉強も頑張っているらしく、やることが増えたらお菓子を食べることも減ったみたい。
もちろん息抜きにとお茶とお菓子を楽しむ時間はとっており、無理なく勉強しているのだと、アイリス様本人からも聞いた。
「童話くらいなら、ひとりで読めるようになったわよ。今度一緒に王宮の図書室に行かない?」
「まあ、よろしいのですか?はい、ぜひご一緒させて下さい」
色々と噂する人もいるが、私の人となりを知っている人達は優しく接してくれている。
分かってくれる人がいるのだからそれで良いかと、アイリス様の手を繋ぎながら微笑むのだった。
そんなある日、私は殿下の執務室に呼び出された。
また私の査定かしらと身構えつつ、促されて応接セットのソファへと座る。
もちろんルッツ様も側に控えており、ミラも扉の近くに立っている。
人払いをするわけでもなく、いつものメンバーと雰囲気なので、もし査定でなかったとしてもそう悪い話ではないのだろう。
初めはそう思っていた。
しかし、ソファに座って殿下と顔を合わせると、その表情が硬いことに気付いた。
なにか問題があったのかしら。
心当たりはない、けれどとりあえず話を聞いてみないことには何も始まらない。
黙って殿下の様子を窺いつつ、侍女に淹れてもらったお茶をひと口飲んだところで、ようやく殿下が口を開いた。
「アイリスが賢いことが判明した」
「はい?」
真剣な表情をして、なにを言うのかと思えば……。
大した話じゃなさそうだと、一気に緊張の糸が切れる。
「君と出会って以来、アイリスは少しずつ王族としての教育を受けるようになったんだ」
本人からも、なんなら殿下からも聞いた情報だわね。
「最初は、無理はすまい、ゆっくり進めていけば良いと私も教師達も思っていたんだ」
うん、それも知ってるし、私にも意見を聞いてきたよね?
「習いたての頃はほとんど字も読めず書けなかったし、本にも興味を示さなかった。特に算術なんて、今まで見向きもしなかったんだ」
これまで送られてきた教師を何人も辞めさせてきたって言ってたもんね。
……まあ、以前のディアナも似たようなものだったけれど。
「そんなアイリスが!このふた月ほどの間で、文字を覚え、算術も理解し始めてきたんだ!!」
「おおー」
興奮する殿下との温度差はあるものの、私は一応ぱちぱちと拍手をした。
「……驚かないのか?」
「いえ、理解力があることには薄々気付いていましたし。それに文字や算術のことも。魔法もそうですけど、子どもなんて吸収が早いのですから、興味と意欲さえ持てば、急激に成長するものですよ?」
別にそこまで驚くようなことではない。
子どもの吸収力なんて、カラッカラのスポンジみたいなものだもの。
「理解力は別ですけど。あれは潜在的に持っていらっしゃるものかもしれませんね。アイリス様、まだ六歳なのに私達が少し難しいことを言っても、なんとなく分かっていらっしゃることが多いなぁって思ってたんですよね」
さすがに虹の原理の話にはついてこれていなかったが、王女として今努力できることは後悔しないようにやった方が良いという話をした時には、きちんと内容を理解している様子だった。
女の子はおしゃべりが達者なものだが、それを鑑みても言語の成長が人より早い気もしたし。
まあその理解力と言語能力ゆえに傷付いてきたこともあるかもしれないけれど。
幼いから分からないだろうって、目の前で貶されたり、とかね。
前世の不適切保育のニュースでもよくあったよね、そんな話。
あれは本当に風評被害を受けたわ……。
しみじみとあの頃を思い出していると、殿下はぽかんと口を開けながら私を見ていた。
「……驚いた。思っていた以上に君は冷静だな」
「そうでもありませんよ。子どもってそういうものだって知っているだけです。もちろん、アイリス様の努力の賜物でもありますけどね。子どもの成長を伸ばすためには、やはり意欲を持ってもらうのが一番ですね。あとは憧れの存在がいると、目標ができて頑張れますよね」
「憧れ、か」
そう、アイリス様が殿下の魔法を見て憧れを持ったみたいに。
自分の魔力量があまり多くないと聞いて不安になってしまったみたいだが、今は大好きなお兄様目指して頑張っているみたいだし。
かわいいなぁとアイリス様の姿を思い浮かべてにやにやしていると、ちなみに、と殿下が改まって私に声をかけてきた。
「今まさに、アイリスはある人物に憧れているようなのだが」
「まあ、そうなのですか?それは良いことですね!」
それでの急成長なのかと、ぽやぽやしながら報告を聞く。
誰かしらと気にならなくもないが、殿下から聞かずとも、そのうち本人の口から聞けるかもしれないし、別に無理に聞き出さなくても良い。
そう思って良かったですねとだけ返していると、なぜか殿下がにやりとほくそ笑んだ。




