今世の推しは、天使な弟です!1
「おねぇしゃま、できまちた!」
「はい、お疲れ様!どれどれ〜?……うん、完璧!さっすがグエン!賢い!」
お皿に配られたクッキーを見てにっこりと笑い、えへへ〜と嬉しそうな弟をぎゅうっと抱き締める。
ああ、癒やされる。
ぐりぐりとそのかわいらしい頭に頬を寄せるときゃはは!とくすぐったそうにグエンが笑った。
生まれ変わった今世の私の名は、ディアナ・ブルーム。
ディアナといえば、月の女神。
前世の名前と繋がりがあるからか、結構すぐに慣れた。
ディアナは鮮やかな金髪と深い海の蒼い瞳を持つ、ちょっとキツめの美人だ。
目を覚ました後すぐ鏡を見て、その美貌とスタイルの良さに驚いたものだ。
月の記憶が戻る前、ディアナはどうやら流行り病にかかって高熱で倒れていたらしい。
まる三日寝込んで、やっと熱が引いたところで目を覚ましたら今の私になっていた、ということだ。
今までのディアナの記憶も馴染んできて、融合っていうのかしら?とにかく、ディアナの持っていた知識や能力、技術と月が持っていたそれらが合わさって今の私になった。
私達が暮らしているのは、リーフェンシュタール王国の王都にあるブルーム侯爵邸。
目が覚めた時にベッドの側にいた夫婦が私の両親、ブルーム侯爵と侯爵夫人である。
「おねぇしゃま?どうかちました?」
そして私の腕の中にいるこの子が、グエンダル・ブルーム、四歳。
サラサラの煌めく金髪に明るめの青い瞳。
グエンと愛称で呼んでいる私の弟は、笑うととってもかわいくて、まさに天使!
目が覚めてからすぐ、今世の推しはこの子に決めた!と即決した。
あれから早いもので一ヶ月。
すっかり私はグエンと仲良くなった。
「ううん、なんでもないのよ。さ、上手に分けてくれたクッキー、頂きましょう?」
やったぁ!とはしゃぐグエン、かわいい。
どの世界も子どもはおやつが好きなものよね。
グエンによって丸、四角、星型のクッキーを同じ数だけ分けられた皿をそれぞれの前に置き、椅子に掛ける。
「ミラ、お茶を淹れてくれる?」
「はい、お嬢様。お坊ちゃまにはミルクをたくさん入れますからね」
「うん!みら、ありがとう!」
上品なロングスカートの服を着ているミラは、私よりも三つ年上の私専属侍女。
知的な美人さんで、身の回りの世話を色々とこなしてくれる、とても頼りになる存在だ。
ミラの淹れてくれたお茶は絶品、そして侯爵家の料理人が作ってくれるお菓子も絶品。
毎日のお昼のおやつタイムは、優雅で贅沢なひと時となっている。
ちなみにさすが高位貴族のお抱え料理人、お菓子だけでなく料理ももちろん絶品である。
朝・昼・夜と三度の食事では、これまた贅沢な思いをさせてもらっている。
美味しいだけでなく、ゆったりと食事がとれるというのも、大変ありがたいものだ。
前世では、普通なら休憩時間であるお昼ご飯の時間は、保育士にとっては戦場。
好き嫌いする子、ポロポロ床にこぼす子、箸が上手く持てない子。
配膳して、食べさせて、後片付けさせて、歯磨きさせて、掃除して。
その合間にかき込むように食べる給食の汁物は、毎日冷たい。
おやつの時間だって油断はできない。
お茶ならまだ良い、牛乳をこぼして周りの子にまで被害の及ぶ大惨事になった日には……「嘘でしょーっ!?」と叫びたくなるのを何度我慢したことか。
服を汚せば着替えさせなくてはいけないし、牛乳はさっと拭くだけでは臭いも残る。
何度も水道と零した場所を往復しなければいけない。
パートのおばちゃんが面倒くさがって横着した時は大変だったなぁ……。
しかも夏場だったからさ……次の日の臭いの残った保育室、地獄だった。
あ、なんか走馬灯のように思い出して頭が痛くなってきた……。
「おねぇしゃま?たべないの?」
はっと気付けば、グエンがクッキーを頬張りながらこてんと首を傾げていた。
か、かわいい……!
「ううん、食べるわよ。美味しいわね、グエン」
はぐはぐと咀嚼しながらにこにこ顔をするグエンに、私も微笑みを返す。
ああ、年の離れた弟、最高!
心の中でかわいいを連呼しながら、前世の苦労を頭の隅に追いやり、グエンとの午後のまったりおやつ時間を楽しむのであった。
「はぁ……今日も楽しかった」
「それはようございました」
夜、自室に戻って今日の推しの笑顔を思い出しながら就寝の準備をしていると、ミラがそう応えてくれる。
私の髪を梳くミラの声は、しかし温度が低い。
ちらりと鏡越しにその顔を窺うが、全く考えが読めない。
だがなんとなく言いたいことは分かる。
「あなたが私を警戒する気持ちも分かるけれど……。そろそろ信じてくれても良いんじゃない?私が、変わったって」
ディアナの記憶がしっかり戻っている私には、ミラのこの態度の理由にはある程度心当たりがある。
「……なんのことでしょうか。警戒だなんて、お嬢様の勘違いではありませんか?」
一ミリも表情を変えず動揺を見せない鉄仮面の侍女に、くそう……と内心で舌を巻く。
そう、ミラは私を警戒している。
記憶を取り戻したあの日を堺に、私がガラリと変わってしまったから。
私とグエン、随分と年が離れていると思わないだろうか?
そう、私とグエンは母親が違う。
政略結婚で父と結ばれた私の生みの母が病死した後、後妻として恋愛結婚で嫁いできたのがグエンの母、つまり今の侯爵夫人だ。
五年前に再婚、つまりディアナは当時多感な十二歳。
不倫ではなく、私の母親が亡くなってからふたりが出会って恋人になったのでまだマシだが、そりゃあ色々と思うことがあったわけで。
それから心のすれ違いが続き、ディアナは気まぐれで我儘放題、癇癪持ちの問題児となってしまったのだった。
でもそこは腐っても優秀な侯爵家の令嬢、自分で言うのもなんだが、能力は高いし美人だしスタイルも良いから、家柄の良い婚約者がいる。
それにしても婚約者が流行り病に罹ってなんとか命をとりとめたっていうのに、この一ヶ月、彼は一度も姿を現していない。
そう、お察しの通り、互いに恋愛感情などない、形ばかりの婚約者なのである。
前世では就職してからは彼氏がいたことのない、結婚のけの字も気配のなかった私だが、どうやら今世でも恋愛に関しては全く期待ができないようだ。
「お嬢様?お支度が済みました」
「あ、ありがとう。じゃあもう下がっても良いわよ。おやすみなさい、ミラ」
危ない危ない、すっかり意識がミラから逸れてしまっていたわ。
「……はい、失礼致します」
ぺこりと頭を下げて、ミラが私の部屋から出て行った。
今は若干の間があった気がするが、大体いつもこんな感じでそっけない。
「私になる前のディアナは、グエンのこと無視してたしなぁ……」
そりゃあいきなりかわいがるようになったら、なにか企んでいるのではないかと疑うのは当然だろう。
なんたってグエンは侯爵家の跡取り息子、大事な存在だもの。
私を警戒するのは、侯爵家に仕える者として正しい判断だ。
はあ、本当にディアナなのだろうかと疑われるのもキツイけれど、これはこれでなかなか辛い。
「もう少し仲良くなれると良いんだけどなぁ」
ベッドに横たわり、大きなため息をついた。