知るとは、学ぶこと5
予想外のことだったのだろう、いつもなら「なにするのよ!?」と腕の中から這い出しそうなものだが、アイリス様はしばらく私の腕の中にいた。
表情は見えないが、ぽかんとしているかもしれない。
ルッツ様もそれは同じだったようで、視界の端で細い目を見開いて固まっている。
「さすがアイリス様です!」
そんなふたりをお構いなしに、私はその後もアイリス様を褒めて撫でた。
「―――っ!?ちょ、ちょっとディアナ!?と、とりあえず放しなさいよ」
「えぇ?もう終わりですか?もう少し私の腕の中で褒められて嬉しそうにしていても良いんですよ?」
残念そうにしながらも腕を解くと、アイリス様は顔を染めて口をぱくぱくさせていた。
アイリス様、褒められ慣れてなさそうだもんなぁ。
真っ赤になっちゃって、かーわいい!
うふふと頬を緩めていると、ルッツ様がごほんと咳払いをした。
「ディアナ嬢?」
「ああ、ごめんなさい。あまりにかわいらしくて、つい」
私がかわいいと言うと、またアイリス様の顔は赤みを増した。
「あ、あのねぇ!一応私、王女よ!?」
「はい、王女殿下としてとても素晴らしい感覚をお持ちだと思いましたもので」
え……?とふたりが目を丸くした。
それににっこりと笑顔を返し、どうお伝えしようかしらと考えながら口を開く。
「弱いものは切り捨てるのではなく、守りたいと思った、ということですよね?頑張っているものを支えたい、応援したいと」
違いますか?と首を傾けると、アイリス様は躊躇いながらもこくんと頷いた。
「それは、上に立つ立場の者にとても必要な感覚・感性だと思います。自分達が良ければそれで良い、弱いものを淘汰しようという考えの持ち主が国の上に立てば、どうなるでしょうか?」
「「それは……」」
アイリス様とルッツ様の声が重なる。
「アイリス様はこのリーフェンシュタール王国の王女殿下です。そのアイリス様が、そういう考えの方ではなかったということが、私はとても嬉しいです」
もう一度頭を撫でると、アイリス様は恥ずかしそうに俯いた。
「民の中には体の弱いものも、貧しい暮らしをしているものも、家族を亡くしたものもいるでしょう。それでも、彼らはこの国の民です。切り捨てるのではなく、どう守るか、どう支えるか。そして、彼らが自立できるようになるために、どう支援するか。そういうことを考える、それこそが王族の、そして私達貴族の仕事です」
アイリス様のふわりとした髪を撫でて肩へと流す。
とても良く似合っている上質なドレスも、口にしているお茶やお菓子も。
全て、民からの支えがあってのものだ。
「それに民は応えてくれるのです。どれだけ民が応えてくれるかは、私達の働きにかかっていますからね」
贅沢三昧していてもそれなりに返してくれるなんて、そう甘くはありませんよ?とわざと少しだけ低い声を出す。
「……庭師が摘花するのは、庭の見映えを良くするため。他にも小さな実を切ってしまう摘果というものもありますが、それも美味しい果実を作るためです」
「……ちゃんと理由があってのことだと、分かっているわ」
アイリス様は賢い。
疑問を口にできなかったのは、意味があることだからと納得しようとしたため、という理由も少なからずあるだろう。
「植物と人は違います。けれど、植物を慈しむ心も大切ですよね。では、切ってしまった花をなにかに使えないでしょうか?別のもので活かしてあげる道だって、あるのです」
魔力が少ないからっていじけなくても良い。
それならそれで、別のなにかで補って、自分の力が活きる道を探せば良い。
「道……」
「はい。道はひとつじゃありませんもの。虹だって、そうだったでしょう?」
自然発生するものもあれば、幻影魔法で作るものもあるし、科学的な方法で作ることもできる。
花にだって、ただ綺麗に咲き誇るだけの道しかないわけではない。
「人にだって、得意不得意はありますし。足りないものを補って支え合う。それが大切なのではないでしょうか?」
「ささえあう……」
「はい。アイリス様はまだ幼いですから、与えられたり、守られたりすることが多いかもしれません。けれど、あなたという存在に支えられている方もいるのですよ。私も、アイリス様と一緒に過ごすことで癒やされておりますし!」
また撫でようと頭に手を伸ばすと、恥ずかしがるアイリス様にぺしっとはたかれてしまった。
「あら、残念。……それと、大きくなった時に、誰かを守ったり支えたりすることができるように努力することも、私達にとっては必要なことですね」
テラスの窓から、夕暮れに染まり始めた空を見つめる。
「大人になってから、“もっと努力しておけば……”と思っても、時間は巻き戻せません。また、知識や技術を身に付けるためにはそれなりの時間が必要です。人生の中で一度もそう思わない人は稀だと思いますが、せめて必要だと分かっていることくらいは、やっておきたいじゃないですか?」
難しいから、できないから、やりたくないから。
だから逃げて良いのかと思いながらも頭を下げた、前世の私。
「どうか。自分がやりたいこと、やるべきことにひとつ気付いたアイリス様は。民のために、また未来の自分のために、努力することを忘れないで下さい。なにをしたら良いのか分からなければ、お兄様やこのルッツ様、信頼できる方にお伺いすれば良いのです。焦らなくても、不安にならなくても大丈夫、アイリス様には時間がたくさんあるのですから」
そっとその小さな手を取る。
この手が私と同じくらいになる頃、アイリス様はどんな王女様になっているだろう。
「知るということは、学びです。今日一緒に散歩をして初めて知ったこと、見たことは、きっとあなたの糧になる。今日感じたこと、考えたことを忘れないで下さいね。疲れた時は一緒にお茶を飲んで休みましょう。愚痴があれば私が聞きます。ですから、これからも一緒に色々なことを見て、知って、学んで。たくさん考えて、道を選びましょう?」
側にいますからと、両手で包み込んだ手をきゅっと握る。
少し難しい話をしてしまったから、全て理解してくれたとは思わない。
けれど、心のどこかに私の言葉が残ってくれていたら。
「……分かった。私、頑張る」
私の両手の上に、もう片方の手をそっと乗せて、アイリス様はそう答えてくれた。




