王子様はそれを知りたい1
「感謝する、ブルーム侯爵令嬢。アイリスがあんなに目を輝かせるところを、初めて見た」
「あ〜……いえ、特別なことをしたわけでもありませんし……」
あはははは〜と乾いた笑いを零す。
なぜこうなった。
たしか私は今日、アイリス様と半日を一緒に過ごし、夕方に帰る予定だったはず。
「いや、見事だった。私や他の者に対しては喧嘩腰なことが多いのに、君と接している時のアイリスは、わりと素直だ。魔法を勉強したいという言葉も聞けたしな」
本当に感謝している、と微笑む殿下を前に、私はまた貼り付けたような笑顔で良かったですね〜とだけ返す。
今私がいるのは、アイリス様の私室ではない。
そしてブルーム侯爵家でもない。
ではどこかって?
それは……。
「帰る前に呼び止めてしまって、すまない。どうしても君とふたりで話をしたくて、執務室に連れ込んでしまった」
そう言って私を見つめてくる殿下は、私の向かいのソファに座っている。
そう、なんとここは殿下の執務室。
『ふたりで話したい』と言ってはいるが、もちろんふたりきりではない。
ミラもいるし、秘書官らしき男性もいる。
けれどこの状況、私にとってはものすごく居心地が悪い。
ただでさえ初仕事で疲れているのに、この(たぶん)腹黒な王子様の相手までしなくちゃいけないなんて!!
普通の貴族令嬢なら、目をハートにしてウキウキする場面なのかもしれないが……。
ちらりと殿下の顔を覗く。
うん、美形だ。
でもキュンとはしないや。
ある意味胸はドキドキしているが、なにを言われるのだろうという不安感でしかない。
「そんなに警戒しないでくれるかい?私は君を取って食ったりしないよ?」
「はは……警戒だなんて、まさかそんな」
ひくりと口の端が引きつったのが分かる。
助けを求めたいが、以前のようにクロイツェル公爵はここにはいない。
いち私付きの侍女であるミラには、到底無理な話だろう。
ならば秘書官の方……と視線をやる。
……おや?
「ブルーム侯爵令嬢?どこを見ているんだい?私を前にして余所見をするなんて、傷付くなぁ」
「す、すすすすすみません!はい、なんのお話ですっけ!?」
またもや黒いオーラを飛ばしてくる殿下に、私は背筋を伸ばして向き直った。
「君、本当に面白いね。……では本題だけれど、先程の虹の話。なぜ君はそんなことを知っているんだい?」
すっと殿下から笑顔が消え、真剣な眼差しに変わる。
「え?あ、ええと、それは……」
しまった。
霧状の水で虹を作る、それは科学の発達した前世の記憶を持つ私にとってはなんでもない知識だが、魔法の進歩したこの世界では、未知のものである。
今更だが、あまり気軽に披露して良いものではなかったかもしれない。
なんと説明したものかと言い淀むと、殿下はふうっと息をついた。
「……そう簡単には言えない、か。まあ仕方がないね」
そう言って眉を顰めながらも引いてくれた。
「けれどひとつだけ忠告しておく。その類まれな知識、あまり無防備に晒すのは止めた方が良い」
真剣な表情の殿下に、どきりとする。
「今回は良い、あの場にいた者は信用に足るものばかりだったからね。けれど、無闇矢鱈に大勢の前で披露するのは良くない。君が危険な目に遭わないとも限らないから」
たしかに、未知の知識を持つ私を利用しようと考える輩が出てこないとはいえない。
アイリス様のためにと思いやったことだったが、考え無しの行動だったことに気付く。
「……すみません、私が軽率でした。でも……」
「でも?」
つい、“でも”と批判するようなことを言ってしまったが、殿下は静かに続きを促してくれた。
一度ぐっと飲み込んだ言葉を、徐ろに口を開いて告げる。
「保育……子どもの教育をする時って、その時々の状況とか環境、子どもの気持ちに合わせて色々変わるんです。かける言葉も、与える素材や道具も、提案する内容も。この子には、こんなことが必要だと思うものを私は考えているつもりです」
予定通りにいかないなんて、子どもを相手にしていたらよくあること。
最初考えていたこととは随分違う方向に行ったけれど、これで良かったのかなと思えたら、それで良い。
「私は今日半日アイリス様と一緒に過ごしてみて、虹ってこんな風にも作れるんだよって伝えたことが、いけないことだとは思いません。アイリス様の気持ちに寄り添うために必要なことだったと思っています」
実はお兄様のことが大好きで、憧れを持っていて。
お兄様のように魔法を使えるようになりたいと思っていたアイリス様。
今までは自信が持てず素直になれなかったけれど、本当は。
「“魔法が上手になりたい”と、自分からその願いを口にすることは、アイリス様にとっては、すごく勇気のいることだったはずです。虹を作ることができた、その成功体験がアイリス様の背中を押したのだと、私は思うから」
そんなのただの自己満足だと言われるかもしれない。
実際、ヨシ君のお母さんには、そんなの求めていない!と言われてしまったけれど。
「だから、今日のことは、アイリス様が一歩踏み出すために必要なことだったと、そう思っています」
魔法を学んでみたいと言った時の、アイリス様のキラキラとした瞳。
それは、好きなことを見つけた時の目だった。
「……でも、軽率だったのは認めます。これからは気を付けます。……できるだけ」
最後にぼそりと呟いて頭を下げる。
王子様相手に色々言い過ぎた自覚はある。
先手必勝で謝ったのだ、あとはもうどうにでもなれ。
そんな気持ちで頭を下げたまま目をぎゅっと瞑る。
「ふっ」
すると、頭上から微かに笑う気配がした。




