保育士なんて割に合わない2
引き続き、不愉快に思われる表現があるかもしれません。
ご容赦下さい。
「なにが不適切保育よ!なんでもそう言って脅せば良いと思って!あんた達がやらないからこっちがやってるんじゃないのよ!ばかやろーーー!!!」
一時間後、憂鬱な気分のまま帰る気になれなかった私は、電車を途中で降りて、駅の側にあった人気のない橋の上に来ていた。
コンビニで買ったお酒を飲んで、周りに誰もいないことを確認して、すうっと息を吸って吐き出したら、もう止まらなくなってしまった。
「なにが“大事な”よ!そう思うんだったら休みの日くらい早く迎えに来なさいよ!毎日十時間以上も園で集団生活してたら疲れるに決まってるし、親が恋しくなるのも当たり前よ!おたよりもろくに読まない、提出物は遅れて当たり前、お願いしていた持ち物もちゃんと持って来ない!その上子どもの話は聞かない、満足に抱っこもしてあげない、頑張っている子どもに対して励ましの言葉もない。あんたの方がよっぽど不適切保育してるじゃないのよ!」
息継ぎもそこそこに思いつく限りの不満をぶちまけ、はーっはーっと息を切らす。
言い過ぎなのは自覚している。
誰も聞いていないから吐ける暴言だ。
暴言である自覚だってある。
保育士はプロ?
プロだからできるはずだ?
だからなによ、私達だって人間だ。
辛い時は辛いし、悲しい時は悲しい。
母親も父親も、一緒じゃないの?
“親になったんだから”
“母親ならできるはず”
そんな風に言われるのは、辛いんじゃないの?
“お母さんはいつも頑張っていますよ”
“そんな時もありますよね”
そう言われて、心が軽くなる時もあるでしょう?
保育士だってそんな時がある。
もちろん子どもの命にかかわるようなミスは許されない。
けれど。
「保育に“正解”はないのに……」
いつだって悩んで、みんなで相談して、考えて。
それでも上手くいかないことだって、たくさんある。
そんな中でも、私達は必死にやっているつもりだ。
子どもの達のために、より良い環境とはなにかを日頃から模索している。
それでもあんな風に言われると、心は折れてしまう。
私達には、失敗は許されないの?
十人十色の保護者全員を満足させることを求められてしまうの?
「もうやだ、こんな割に合わない仕事……」
ぽろりと涙が頬を伝う。
さっきは負けないと強がったはずなのに、また弱い心が出てきてしまった。
はあっと深いため息をついて手すりにより掛かる。
今だけ。
明日にはきっと笑えるから、今だけは弱音も暴言も吐かせてほしい。
「……そろそろ、帰らなくちゃ」
明日も早い、ちゃんと寝ないと明日の保育に差し障る。
嫌なことがあろうが心が折れようが、明日も子ども達は登園してくる。
このご時世、どこの園も人手不足、カツカツの人員配置で運営しているのだ。
私ひとり欠けたところで代わりはいくらでもいる、と言えたならどれだけ楽だろう。
ひとり欠けたら、それだけ預かることができる子どもが減り、子ども達の安全が脅かされ、他の先生に負担がかかる。
私達責任ある保育士には、子どもから逃げるなんて選択肢はないのだ。
毎日毎日神経をすり減らしながら、それでも子ども達の笑顔のために出勤している。
「……でもその前に。推しに癒やされてから寝よう」
そう声に出し、半ば無理矢理思考を浮上させる。
最近ハマった乙女ゲーム。
攻略対象のひとり、ムキムキの騎士団長が私の推しだ。
イケメンなのはもちろんのこと、頼りになりそうだし、誠実な人柄も良い。
女ばかりの職場で男性に頼ることなどないからだろうか、こんな風に守られてみたいと、恥ずかしながら毎日メロメロになっている。
画面の向こうから向けられる笑顔と甘い声に、ベッドの上で悶えたことも数知れず。
「眠いけど、少しだけ推しに会いたいし。なにより明日の活力になる!」
なんといっても体力勝負の保育現場、仕事のことを考えると本当は早く寝た方が良いのだが……と目を閉じて自分の瞼に触れる。
熱を持っていて、熱い。
帰ったら冷やさないといけないなと目を開くと、くらりと目眩がした。
やばい、泣きすぎた上に、お酒を飲んだから?
ぐっと手すりを握って体重を支えると、パキッと変な音がした。
え?と手すりの方を見ると、なんとヒビが入っている。
「ええっ!?ちょ、ちょっと待って……」
慌てて離れようとしたが、躓いてしまった。
そして体が傾いたのは、手すりの方で……。
私の体重でバキッと音を立てた手すりは、そのまま川の方に倒れてしまって。
どうやら腐っていたらしいと思い至りながら、手すりと一緒に私の体も。
「ちょ、ちょっと……!嘘でしょーーーー!?」
暗闇の中、私の声だけが響く。
ああ、今日って満月だったのね。
ゆっくりと落ちていく中で私が思ったのは、そんなこと。
そうして私は、川に投げ出されてしまったのだった。