保育士なんて割に合わない1
不愉快に思われる表現があるかもしれません。
ご容赦下さい。
私は、藤澤 月。
キラキラネーム全盛期に生まれた二十四歳。
職業、保育士。
「―――以前から、るな先生のことは大丈夫なのかしらって思っていたんです。だって、ねえ?お名前からしてちょっと……」
片手を頬に添えて眉間に皺を寄せるのは、園に通う保護者のひとり。
なによ、名前なんて仕事に関係ないじゃない。
「うちの大事なヨシ君に、そんなこと言うなんて」
大事な?
自分が休みの日でも保育時間ギリギリの18時にしか迎えにこない、ご両親共に仕事の方のみ保育可能な日にも、嘘をついて素知らぬ顔で預けに来る、あなたがそんなこと言います?
「ヨシ君はやりたくないって言っているのに」
やりたくないって言われたら、なにもさせないの?
初めてのことや苦手なことに尻込みするのは、当たり前じゃない。
そんなんで、どうやって新しいことに挑戦していくの?
どうやって苦手なことにも立ち向かう強さを養うのよ。
――――まして、ろくに躾もしない、愛情もかけていない母親が言う台詞?
「私も困るんですよねぇ。朝『行きたくない!』って渋られちゃうと、めんど……いえ、大変で」
今、面倒だからって言いかけたよね?
渋られると面倒だから、嫌がることはさせるなってこと?
それって、子どもの成長のことよりも自分の都合を重視してるってことじゃない。
「ほら、かわいそうに、私の影に隠れちゃって。ほら、ヨシ君。るな先生に言ってあげたからね?」
かわいそう?
すごいね、難しかったけど最後まで頑張ったねって、褒めてあげれば良いんじゃないの?
ぎゅって抱き締めて、今度の運動会楽しみにしてるねって言ってあげるものじゃないの?
「そんなヨシ君に無理矢理跳び箱をやらせるなんて。ほら、青アザがこんなに。――――不適切保育、ってやつですよね?これ」
ヨシ君のお母さんから飛び出した言葉に、私は思わず声を上げた。
「無理矢理だなんて、私はそんな……」
「申し訳ありませんでした。私の監督不行き届きです」
私が最後まで言う前に、隣に立つ園長先生が頭を下げた。
るな先生は間違ったことしてないよって励ましてくれた、園長先生。
子どもたちのためにいつもありがとうって、そう言ってくれたのに。
「ヨシ君の心のケアは時間をかけつつ、少しずつ行いたいと思います。お母様には大変ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「ええ、そうして頂戴。さすが園長先生はしっかりなさっていて心強いわぁ。るな先生、もううちのヨシ君に余計なことしないで下さいね!」
申し訳ありませんと再度深く頭を下げる園長先生に、私も唇を噛んでそれに倣う。
こんな、こんなことってある?
運動会の練習で、跳び箱ができないからやりたくないって言ったヨシ君。
運動会でできない所をママに見られたら怒られるって泣いていた。
一緒にやろう、練習しなきゃいつまでもできないよ、できるようになって、ママを驚かせようよ!と励まして、そりゃヨシ君も最初は渋々だったけど。
でも少しずつ前に進むようになってきて、上手になってきているのが分かるのか、「もういっかい!」って、何度も何度も練習してくれた。
時々足が跳び箱に引っかかってしまって、青アザができてしまったけど、まさかこんな風に言われるなんて。
涙が溢れそうになるのをぐっと抑えて、顔を上げ、車に乗り込んだヨシ君親子を見送る。
「――――るな先生、ごめんなさいね。最後まで頑張ってくれて、ありがとう」
「……っ!園長先生、すみません。私のせいで……」
車が見えなくなってからかけられた園長先生の言葉に、堪えていた涙が溢れてきた。
「私は良いのよ。こういう時のための園長だもの。……今は難しい時代よね。私も、あなたのヨシ君をなんとかしてあげたいって気持ちが伝わらなくて、悔しいわ」
私の気持ちを分かってくれる園長先生に頭を下げさせてしまったことが申し訳なくて、また涙が零れる。
難しい時代、それは分かっている。
最近の報道により、世間の保育士に向けられる目は厳しい。
研修でも、子ども達はもちろんのこと、自分の身も守る保育を考えていかなくてはならないと言われるくらいだ。
でも、じゃあ親が満足にできない躾や教育は誰がするの?
トイレトレーニングやお箸の持ち方も園任せな人が多い状況。
共働き家庭が増えて、親子のゆったりとした時間が十分に持てない家庭もある。
ゲームやスマホ、私達が子どもだった頃よりもさらに娯楽が増えて、自分のやりたいことを優先する親だって多い。
それらを否定するつもりはない。
男女関係なく仕事を頑張ることは素晴らしいことだし、趣味や特技を広げることで充実した生活を送ることができるから、素敵なことだと思う。
けれど、私達の目には、その裏で子ども達が犠牲になっているように映るのだ。
愛情不足、そんなことを軽々しく言ってはいけないけれど。
子ども達の様子を見ていると、時々ふっと、そんな言葉が頭をよぎってしまうのだ。
もちろん必死に生きている保護者の方も、子どものために少しでもと思って子育てしている方もたくさんいる。
子どものために犠牲になれ、とは言わない。
でも、これで良いのだろうかとも思う。
子育て世帯に優しい社会じゃないのも、要因のひとつなんだろうけれど……。
「理不尽だって、思うわよね。ごめんなさい、私が上手くあなたを守ってあげられなくて」
眉を下げる園長先生に、ふるふると首を振る。
私はこの仕事に誇りを持って精一杯取り組んでいる。
それでもこんなことが起きると、やっぱり心が折れてしまう。
「明日、休んでも良いわよ?遅くまで疲れたでしょう?」
時計の針は夜の九時を指している。
ヨシ君、ご飯も食べてなさそうだったし、お腹空いてるよね。
それに眠いよね、ごめんね。
「……いえ。ただでさえ人手不足なのに、私まで休んだらシフト管理してる主任に迷惑かけてしまいますから。明日も、ちゃんと出勤します」
それに、ヨシ君にも謝らないと。
もしかしたら本当に練習が辛くて仕方がなかったのかもしれないし。
「……そう、強いわね。ありがとう、お疲れ様」
園長先生の温かい言葉が胸に沁みる。
かなり辛いけれど、こんなことに負けたくないから。
強がりだったけれど、なんとかして笑顔を作ってありがとうございましたとお礼を言い、退勤した。
この節での内容は、あくまでも月の考えとして書かせて頂いています。
不愉快に思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、一個人の考えだと受け入れて頂けたらと思います。