小さな王子様1
――――王宮、クロイツェル公爵の執務室。
「ですから!俺にあいつは相応しくないんですよ!俺にはもっと、純粋で可憐な、心の清らかな女性の方が合っているはずです!」
もう幾度となく聞いた、息子、アルフォンスからの訴えに、クロイツェル公爵はため息をついた。
それは、“かわいい息子の頼みだ、仕方がないな”という親馬鹿な意味ではなく、“この馬鹿はなにを言っているんだ”という呆れの意味を含んでいた。
ずっと静観してきたが卒業まであと一年、さすがにそろそろ公爵家嫡男としての意識を持ってもらいたくて、少しずつ王宮での仕事を補佐してもらおうと呼び寄せたというのに、開口一番出た言葉がそれか。
百歩譲って、どうしても今日それを伝えたかったとしよう。
だが、伝えるタイミングというものがある。
ちらりとクロイツェル公爵は応接用のソファに座る人物を見た。
アルフォンスがその人物の正体に気付いているのかは分からない。
それとは逆に、来客者は冷ややかな眼差しでアルフォンスを眺めていた。
「我儘放題し過ぎで誰にも相手にされなくなって、あいつ、どうしていると思いますか!?なんと、幼等部なんかに入り浸ってるんですよ!ははっ、傑作ですよね。ガキ共とつるむことしかできない女に、次期公爵夫人なんて務まりませんよ!」
我が息子ながら、情けない。
クロイツェル公爵はもう一度ため息をついた。
公爵として、彼は様々なところに“耳”と“目”を持っている。
学園内での息子のことも、婚約者であるディアナのことも、クロイツェル公爵は常に監視下に置いていた。
「……おまえの言い分は分かった。だが今は忙しい。来客中だぞ、失礼だとは思わんか?」
「え?ああ、すみません。では頼みましたよ!ディアナ・ブルームなど、俺には相応しくないのですから!」
やはり来客の正体を知らなかったアルフォンスは、謝罪もそこそこに、横柄な態度のままそうクロイツェル公爵に言い放ち、退室して行った。
乱暴に閉められた扉の音が止み静寂に包まれた一拍のち、来客者はくすりと笑みを零した。
「あなた程の仕事のできる方も、子育ては別だったようですね」
「……お見苦しいところを見せてしまいました。本当に、人ひとりを育てるということは予想外のことも多く、仕事のように上手くはいかないものです」
「――――それは、私も良く分かります」
子どもなどいない二十歳そこそこのあなたになにが分かる、とはクロイツェル公爵は言わなかった。
今彼の頭の中に誰が思い描かれているか、予想がついていたから。
「――――姫様は?」
「相変わらずです。正直、お手上げで」
情けないですと苦笑する来客者に、クロイツェル公爵は恐れ多くも親近感を覚えた。
「しかし、彼は面白いことを言っていましたね。婚約者殿が、幼い子どもと仲良くしているとか?」
「ええ。私も初めて知った時には驚いたものです。ディアナ嬢は最近すっかり大人しくなられたようで、貴族令嬢としての意識が強くなられたのかもしれません。愚息にも見習わせたいところです」
話題が変わったかと思えば、やはりこの話に戻ってしまった。
クロイツェル公爵の心労もかなりのもののようだと、来客者は彼に同情した。
「そうそう、彼女は中々面白いことをやっているようですよ。例えば――――」
「それは……。なるほど、興味深いですね」
暗くなった空気を和ませようとクロイツェル公爵が語り始めた話を聞いて、来客者は口角を少しだけ上げた。
「少し、調べてみようか」
そう、呟きを落として。
* * *
「ねえ、どうしてもダメかしら?」
「ダメです」
「別に私ひとりいなくたって、どうとでもなるじゃない?ほら、体調が悪いことにすれば……」
「それ、お坊っちゃまの前でも同じことが言えますか?」
「〜〜っ!もう!ミラは意地悪だわ!!うっ……ぐふっ!」
ぎゅうっ!とコルセットを締められた私は悲鳴を上げた。
ディアナはものすごくスタイルが良いから、コルセットなんて別に必要ないと思うのだが、一センチ一ミリでも細く見せたいというのが貴族の淑女の常識である。
なぜこんなことをしているかというと、学園で開かれるパーティーのための、最終衣装チェック中なのだ。
ちなみにドレスは記憶が戻る前のディアナがオーダーしたものなので、少々派手目だ。
私なら絶対選ばない、薔薇みたいな真っ赤な大人っぽいドレス。
しかも首元や背中を黒のレースが覆う、色気たっぷりのデザインになっている。
思わず、これ着るの!?と口にしてしまい、デザイナーとミラの首を傾げさせてしまった。
自分で選んだくせになに言ってるの?と思われたことだろう。
お気に召しませんでしたか……?と怯え震え、涙目になるデザイナーに申し訳なさすぎて、大人しく着るしかなかった。
「とてもお似合いですよ」
ミラはそう褒めてくれたが、げんなりとした気分は変わらない。
そりゃディアナには似合うかもしれないけどさ、中身が元庶民には恥ずかしすぎる。
二週間後に行われる、高等部三年生のための卒業パーティー。
私が参加を渋っているのは、このドレスが恥ずかしすぎるということもそうだが、もうひとつ理由がある。
「アルフォンス様とは会場で待ち合わせということになっております。……なんでも、迎えに来れない理由があるとか、なんとか」
「ああ、別に気にしてないわ。迎えに来てもらってもどうせ馬車の中では無言大会になるだろうし、会場入りしたらすぐ別行動になるだろうから」
そう、アルフォンスにエスコートしてもらわなくてはいけないからだ。
今回の卒業パーティーは学園内最大の催し物。
幼等部から高等部までの生徒全員だけでなく、職員も全員参加、プラス来賓として王族からも誰かが参加することになっている。
格式高いパーティーとされ、婚約者同士が在学している場合は、必ずパートナーとして入場しなくてはいけないことになっている。
そう、普通は、男性側が女性を迎えに行き、共に会場入りするべきだ。
「今さら常識を説いても無駄よ。どうせあの例の子とよろしくやりたいのだろうから、放っておきましょう」
でも会場入りの時だけは顔を合わせないといけないからね……。
どうせ嫌味を言われたり鼻で笑われたりするのだろう。
パーティーに参加したところで会話を楽しむ友人がいるわけでもないし、正直パーティーに参加する意味が分からない。
「ねえ、ミラ。やっぱり……」
「お嬢様。卒業生を祝うパーティーへの参加は、貴族令嬢としての義務と言っても差し支えありません」
「はい。もう言いませんごめんなさい」
非常識な輩の仲間入りをしたいのですか?と暗に示すミラに、私はそれ以上なにも言えなくなってしまったのだった。




