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086 対価


ーーーーザザン!


 猛犬だと揶揄った男が湖に飛び込む。俺は我に返った。そうだ! 呆けてる場合じゃねぇ! すぐさま俺も追従する。


だが…………!???


 ガキンと透明な光に行く手を阻まれた。

「ーーチッ! シールドか? 結界か? こんなもんーーーー」

「ま、待て! アイファ! ぶち破ればアイツまで……」


 力の入った太い腕を掴んで制する。煮えたぎった怒りが伝わってくる。俺も同じだ! だが、堪えろ!!

 ハアハアと上がる息。ググッと閉じた瞼と拳。ザブザブと揺らぐ水面が透明な壁で遮られていた。俺の胸ぐらを掴んだアイファは突き放すと同時に渾身の叫び声を上げた。そして一瞬だけ小さかった頃の目に戻り、力なく湖に浮遊して岸に戻って行った。俺も後ろ髪を引かれる思いで、やるせなさを噛み締めてゆっくりと水から上がる。


 ずぶ濡れてかじかむ俺達のために村人達が次々と毛布を持参して包んでくれた。湖の周りに篝火が焚かれ、小さなテントで温められた酒が目の前に置かれた。俺達が震える手で酒を喉に押し込んだ頃、薙いだ湖は薄い煙がかかったように静かに刹那に佇んでいた。



「ーー淡いピンクの光。おそらくソラ殿のシールドかと。大丈夫だと信じましょう」

「ーーーーああ。あいつは……めちゃくちゃな奴だからな……」

「銀の風が渦を巻いて発光していたように見えたんだ。きっとジロウもコウタと一緒だ」



 湖面を見つめて踞る一家を私兵達が囲み、俺の代わりに村人に指示を出していく。一人、また一人。誰もが俺達を気遣い、そっと帰宅していく。シブーストが肩を大きく震わせて泣きじゃくっていたが、それすらも慰めてやれぬほど俺達は疲弊していた。


ーーー大丈夫だ。きっと。

 アイツは普通じゃねぇ。ソラもジロウもいないってことは、アイツと一緒にいるってことだ。


 薄曇りの空と湖面が混じり合い、うっすらと透明の壁が目視できるようになったのは、随分と日が傾いてきたからだろう。俺達を襲った水柱は白い霧となり辺りを曇らせ……。音を消したモルケル村はいつしか闇に包まれていた。



ーーーートプン、トプン。


 どれほどの時間が経ったのだろうか。

 岸辺に打ちつける水の音だけが響く。その静寂を破ったのは、シブーストの父親だった。

 

「あ、あの……、こんなときに申し訳ありません」

 俺は毛布を深く被り直し、表情を気取られないように向き合う。

 シブーストの兄、ペアンが籠を差し出した。中には色取り取りのエッグ石。コウタが描いた石も混ざる。

「子ども達で話しあったんだ。今年のエッグ石は白龍様に捧げようって。みんなの願い事は諦めるから……、諦めるから……。」

「…………、そうか。」


 コウタが傑作だと自慢して見せたラビを描いた石。沢山の幻獣と遊べるように願った石を一つ取る。ああ、情けない。俺の太い指は確かに震えていた。クッと歯を噛み締めてペアンを見、そっと石をかごに戻した。涙を堪えながら大きく息を吸った奴は、震える声を張り上げて言った。


「だから、だから……。コウタを返してくださいって、頼んでいいですか?」


 グフッ。

 背後で嗚咽を飲み込む音が聞こえる。俺は立ち上がって空を見上げた。星一つ見えない曇った空からちらちらと季節外れの雪が舞い落ちてくる。


「ああ、そうしてくれるか?魔物が出るかもしれん。気をつけて、頼んでくれ」


 クライスがペアンの手を握り、声もなく何度も頷き、引きずられるように湖畔にと歩いていく。どこからか大人達に連れられた子供達が歩み寄り、二人の後を追従する。私兵と砦の有志一行は剣を取って安全を確保しに向かう。



 ぽちゃん、ぽちゃん。


 祈りを捧げながらエッグ石をそっと沈める音と子供達の弱々しい鳴き声が漏れ聞こえてきた。未来ある子供達の願いが対価だ。アイツはコウタを無事に返してくれるのだろうか? 恐れと不安で揺らぐ白い息を隠しながら、俺は再び湖と向き合った。 子供の頃、親父に聞かされた昔話を思い出しながら。



 

 

 弱小貴族だった祖父は幼き時から冒険者としての才を開花させ、他国からの猛攻を幾度も防いだ。輝かしい数々の武勲に、狼藉者を嫌った王だったが、流石に褒美を与えないわけにもいかず、またその力を恐れ、王都から遠く離れたこの辺境を与えることにした。若かりし祖父が辺境伯となった由来だ。

 だが、最果てと言われたこの土地を治めるのは簡単なことではない。土地は荒れ果て、開拓もままならない。信じてついてきた部下と貧困に喘ぎながら土地を守ってきた民を、祖父が冒険者としての稼ぎで養っていた。

 この湖はその時にはすでに存在し、豊かな水場として、唯一無二の財産として大切にされていた。


 あれは親父が七歳になった時だ。

 念願の冒険者登録を済ませた親父は、希望に燃えてはしゃぎすぎ、祖父との手合わせでうっかり湖に大穴をあけてしまった。正確には湖の向こうにあった岩山を湖ごと薙ぎ祓ってしまったのだ。

 その所業に上塗りをし、俺が放った剣の斬撃が湖から流れ出る一筋の川となり、森の奥まで伸びているのだが、それは余談。

 親父が開けた穴は元々豊富だった地下水で瞬く間に埋め尽くされ、今の大きく深い湖となった。そしていつしか神獣と呼ばれる白龍が住みついたと噂されるようになった。


 白龍の姿が確認されたのは、俺が生まれて間もなくのこと。

 当時は魔物の勢力が強くなっていた時で、魔物が村の近くまで来るようになっていた。親父も祖父も村人のために魔物狩りに追われていた。

 そんな時だ。一人の漁師が湖で魔物に襲われたのは……。

 ここは村の柵で囲われた魔物が少ない、いたとしても小物ばかりの湖のはずはずだった。当時、漁師は戦えない弱い者の仕事とされていた。漁師はまだ成人したばかりの未熟な奴で、朗らかで働き者で村の人気者だった。

 村人達の多くが若者の死を悼み、魔物を呪った。湖で篝火を焚き、魔物の撲滅と若者の鎮魂を祈った。


 さわさわと湖面が揺れたかと思うと、大きな白龍が姿を現した。祖父達は驚きつつも白龍が攻撃してこないことに安堵した。

 白龍はこの世界を守る神獣だったと言った。いや、念を送った。歳をとった神獣は代替わりをし、その記憶と役目を次代に引き継ぐ。だが白龍は長き寿命の哀しさに憂い、次代は立てないことを決めた。

 けれど、それは神獣の理を冒すことになる。白龍は神獣の仲間達から追われたが、神獣としての力が尽きたことで、やっと逃げ切ることができた。そして行き場をなくした龍は、最果ての地と呼ばれるエンデアベルトに辿り着き、湖の底深くで時が満ちるのを待つことにした。清らかで深い湖を自分の死に場所として選んだのだ。


 白龍は自分の終の住処とする対価として、残っている僅かな力を使い、この地に豊かな牧草を与えた。冬でも青々とする強き牧草を。


 それ以来エンデアベルトは酪農の地として歩み始めた。勤勉な民達に支えられ、村の暮らしは豊かになり、次第に大きく成長し始めた。

 村が栄え、大きくなると身勝手な奴らも増えてくる。事件は必然として起こった。


 急速な発展をするエンデアベルトを視察するという名目で、公爵家のバカ息子が友人を伴ってやってきた。奴らは傍若無人の振る舞いばかり。娘を見れば側に仕えさせ、男と見れば罵倒し傅かせた。後で知ったのだが、お忍びの王子殿下がいたらしい。奴らは身分を振り翳し、見栄を張り、この朴訥な村を荒らし回ったのだ。

 だが、そんな奴らに傅くはずもない領主一家。早々に追い出そうとした矢先、村の子供が湖に落とされた。

 子供は近くを通りがかった若者に助けられて一命を取り留めたが、たかが子供だと見殺しにしようとした奴らを祖父が叩きのめした。そして祖父は上位貴族及び王族に謀反を働いた罪で罰せられ、湖に沈められることになった。


 神獣は人の世に不可侵。


 けれども、すでに神獣を退いた白龍はこの所業に腹を立て、公爵家のバカ息子達を呪った。祖父の刑が執行される前に、男達は次々と高熱にうなされ、龍に襲われる悪夢に落とされた。

 同行していた神父が呪いに気づき、解呪を試みるもできなかった。元神獣の呪いだ。そう簡単には解けない。神父や公爵家はあろうことか罪をなすりつけた祖父に解呪の交渉を依頼した。失敗すればエンデアベルト一族の取り潰しをすると脅して。


 祖父はこの地の安寧を守ること、以後の領地は王家及び公爵家から不可侵とされること、という契約を結び、白龍と交渉すべく湖に入った。

 程なくバカ息子達の呪いが解かれ、奴らは逃げるようにこの地を去ったが祖父は戻ってこなかった。

 祖父は罰せられねばならなかったのか? その後明らかにされた事実に公爵家と王家は顔を青くし、深い謝意を表したが、親父は何も言わなかった。いや、ただ一言だけ漏らした。


『憎んでもどうにもならねぇことだったら、憎んじゃいけねぇ。人は大切な財産だ』



 エンデアベルト家が上位貴族の筆頭とされ、また王宮と遺恨があるとされるのは彼らに当時の後ろめたさがあるからである。

 

 降っては消える小さな雪粒に、ふわりと奴の光を感じ、俺たちが顔を上げたのは、深夜になった頃だった。




 今日も読んでいただきありがとうございます!


今年最後の祝日が終わって淋しいYokoちーです。年末までなんとか生き延びたいです。

寒くなりましたが、冬の日の薄けぶる朝の気配が好きです。皆様はいかがですか?


 今日の日が皆様にとって温かで幸せな一日となりますように。

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