079 暇つぶし
「あー、何だ。 暇も続くと飽きてくるなぁ」
だらしなくソファーにごろりと寝転んだディック様に執事さんが嫌な顔をする。
「おかしいですね。仕事は山積みです。ほら、ナンブルタル領の調査報告も、四つ足調査の精算の報告もクライス様がまとめたところまでで止まっておりますが……。春の祭りの計画も運営方針もまだでございますし、畑の苗付けや牧場、工房の拡充、税の試算などは早急の課題でございます。どれから手をつけられますか?」
眉を顰めて舌打ちをしたディック様は、あくびをひとつすると、大きな手でニヤニヤとオレの頬を包み込んだ。
「なぁ、コウタ。 ずっと家ん中じゃ身体がなまっちまうよな? ちっと暴れたくならねぇか?」
「なる! オレ、外に行って暴れたい!」
いつだって子供は外に出たいものだ!ディック様とお出かけなんて最高!行くに決まってる!
「コウタ様を口実になさって……。まぁお気持ちは察しますがこの雪の中、どうしようと?」
執事さんは紅茶のカップをいそいそと片付けながらため息をついている。
「ひひひ、いい考えがあるんだよ。なぁ、ジロウちゃん」
暖炉の前で鼻をすんすんと鳴らしながら寝ていたジロウは嫌そうに片目を開けてディック様を見るとまた知らぬふりで寝てしまった。オレは外に出たいから、ジロウの毛をわしゃわしゃと撫でまわし、耳元で優しく言うんだ。
「ねぇ、ジロウ。冒険だよ! ディック様が行くって言うんだもの! きっと楽しいよ」
ジロウは仕方がないとでも言う様にうんと伸びをして起き上がると、鼻先を器用に使ってオレを転がし、その背に乗せてくれた。
「おう、分かっているじゃねぇか。 俺も乗せてくれよ? ちょっと行った先に開けた平原がある。 そこなら広えから、そこそこ暴れられっぞ」
ニマニマと嬉しそうなディック様だったけど、平原はここよりずっと雪深いし、そこで暴れると周囲の山で雪崩を誘発してしまうから言語道断だと執事さんに叱られてしまった。
「チッ、いい考えだと思ったのに……」
唇を尖らせて不満気なディック様。オレはクスクスと笑って膝に飛びつく。
「ねぇ、そんなに遠くに行かなくても、オレは裏庭でも嬉しいよ! 積もった雪を溶かせば広いよ! オレに剣を教えてよ」
「おっ、そうか。 よし、お前、雪を溶かしていいぞ。出来っだろう? ついでにちょっと乾燥させりゃ鍛練できるな。 よし、やってこい」
正式に許可を貰ったオレはジロウとソラと一緒に裏庭に来た。裏庭は人が通る場所だけ雪が踏み固められて整備されているけど、道を作るために退かされた雪がグンと高く積み上げられて、ちょっとした絶壁だ。オレとジロウが遊んだ跡だけ山が崩れかけている。オレのブランコも、申し訳程度に造られた花壇も雪に埋もれてどこにあるか分からない。だだっ広い白銀の世界は光を受けた場所だけ固く締まって凍りついている。
「よーし。思いきっり!」
今日はディック様が良いって言ったんだ。堂々と魔法が使えるよ。オレは両手を広げて魔力を送り、張り切って雪を溶かし始めた。ソラもジロウも遠慮しなくて大丈夫。一緒にどんどん溶かそう!
ジロウの漆黒の毛がふわりと逆立つと、勢いよく温かな突風が渦を巻いて広がり始めた。キラキラとお日様の光を浴びた様な白いオーラが溢れている。
オレの金の魔力も周囲の人からはこんな風に見えるのだろうか? ふふふと眼を合わせて笑い合うとソラが間に割り込んできた。
ソラの魔力はふわりと溢れるオレ達とは真逆で、グオンと身体を膨らませ、一気に周囲に放出させる。
オレの長靴はレイクリザードの革にスノウラビットのふわふわの毛を内側に貼った防水も防寒もしっかり対策されている極上のものだ。ビシャビシャと溶けた雪が水面を作っても染みてこない。
でも流石にソラの抜群の火魔法で溶かされた屋根の上の雪には何の効果もない。
ドドドー! ザブン!
頭から水を被ったオレ達だけど、結構な魔力を使っているから身体も周囲もポカポカしている。ついでにいえば、魔力を纏った雪水だってポカポカお風呂の湯の様になっている。だから水を被ったって寒くないよ。きゃぁきゃぁと声を出して上に下にと溢れ出す水飛沫に興奮だ。
「ん? コウタ達、大丈夫か?」
「あぁ、大丈夫だ。 アイツら裏庭の雪を溶かして遊んでるんだ。 あと少しで雪解けに入るから問題ないだろう? お前達も裏で鍛練ができりゃ兵士達からの苦情も減るってもんだ」
サロンでのアイファ兄さん達の心配も知らず、ザブリザブリと溶ける雪にオレ達は夢中で魔力を送る。
「ジロウ、あっちの雪も溶かそう」
「ソラ、今だよ!屋根の上の雪を溶かして! シャワー」
ザブサブと水溜りを作りながらどんどん雪を溶かしていく。雪に隠された木々達が枯れた枝に膨らませた新芽を披露し、縮こまった草達が各々に葉を広げ始める。
すごいね。あんなに冷たい雪の下でも木々達はちゃんと春の支度をしているよ。
白一色だった庭に茶や緑の色彩がゆらゆらと揺れる。ほんの少し光が差した場所が輝き霞のような湯気と相まっている。
ふご……ボコボコ。
まだ溶けてない雪が壁になり、オレ達が溶かした水が溜まって湖の様になってきた。うっかり足を取られたオレは、たっぷり水を含んだ外套に引っ張られ水の底に沈む。陽の光が水に揺れ、遠くの白銀が後光のように広がって虹を作る。綺麗だ……。でも……息が持たない。
ごふっと吐き出した息の玉を見て、ジロウがオレを救い出してくれた。ふう、苦しかった。でも綺麗だった。楽しかった。ガシガシとジロウを撫で、空に手を伸ばすと、ソラが安心した様にオレの手のひらをつつく。
『もう、コウタったら。本当に油断できない。雪で溺れるなんて聞いたことないわ』
ピピピとソラにたしなめられ、ゆらめく水面を見つめる。
「ねぇ、ちょっとやり過ぎちゃった?」
首を傾げて尋ねてみると、元気なジロウがワオンと跳ねる。
『まだ雪は残ってるから大丈夫じゃない? それよりこの水どうする? こんなにあったんじゃ乾かせないよ』
『じゃあ、蒸発させましょう。コウタ、熱くなるから、シールドを張るわよ』
じわりピカッと光ったシールドに館の扉がバンと開いた。
「おい、うわぁ! なんだこりゃ?!」
館に向かって流れ込む水に驚いたディック様。南の森に向かってザンと剣を抜く。
ガガガガガ!
ドガガガーーーーー!
ザンーーーーーー!
裏庭に一本の道が切り開かれ、遠くの森の木々が少し遅れてバタバタと一塊になって倒れた。そして溢れた水がディック様が作った道に沿って一気に流れ出す。
水と一緒に流れでそうになったオレはディック様がガシと掴み上げ、ジロウとソラは館の屋根に避難した。
建物に流れ込んだ水はジュウと暖炉の炎を消し、灰色の煙が扉から煙突から立ち上る。白い蒸気と煙にむせたサーシャ様やメイドさん達がゴホゴホと飛び出してきた。
びしょ濡れのオレとディック様に執事さんの冷気が襲う。
「ええ、ええ。最高の暇潰しになりましょう。後始末まできちんとやり遂げなさってくださいませ」
執事さんにニッコリ笑顔で微笑まれたディック様は、ギロリとオレを睨んだ。ええ?! オレのせい?! だって魔法を使えって言ったのはディック様……。
とりあえず、熱を出されちゃたまらないとオレとディック様は風呂に追い立てられ、ジロウが温風で濡れた部屋を乾かすことになったんだ。もちろんジロウの魔法だからさ、ガッチャンゴッチン、渦を巻く魔力で家具や道具が飛ばされ壊れ、館の中はしっちゃかめっちゃかの大惨事になったのは言うまでもない。
今日も読んでくださってありがとうございました。
コウタも随分自由度が上がり、のびのびとやらかし始めましたね。
リアルでは冬に向かっていますが、コウタ達は春に向かっていきます。この季節差。申し訳ないです。
では、今日の1日が皆様にとって温かで居心地のよい1日となりますように。