006 メイド頭 メリル
私はメイド頭のメリル。奥様と共にこの館にきて以来、今ではメイドの教育、調度品の配置、来客の接待や食料確保に用心棒と屋敷のありとあらゆる事を執事の右腕となって取り仕切っております。
「子どもだ。温かくして寝かせてやれ。訳ありだ……。」
ある日、ディック様からぐしょりと濡れた毛布を受け取ります。
「まぁ!」
冷静沈着な私も思わず口元を抑えて手を止めました。
何と美しい!
こんな漆黒で艶のあるお髪は見たことがありません。ふくふくとした優しいお顔立ちに豪奢な鎧。柔らかな肌はほのかに煌めいて神々しくもあり、小さなお指が何とも頼りな気で胸がキュンと引き裂かれそうでした。私でさえこうなのですから、他のメイド達も沸き立つのも致し方ございません。
ディック様が「訳あり」とおっしゃったので、おそらくここで面倒を見るおつもりなのでしょう。この美しき御子を……。
緩む唇をキッと引き締め、指示を出そうと顔を上げる時には、メイド達はささと集まりテキパキと仕事の段取りをつけながら私の言葉を待ちます。さすがです。私の日々の教育が行き届いているのだと、努力が報われた瞬間でした。
「メリル様、クライス様のお小さい時のお衣装を見繕いました。お着替えを私目に。」
「ベットの準備は整いましたわ。まずは横になっていただくべきです。私が……。」
「いいえ、海水を浴びておいででしょうから、温かいお湯とタオルで拭いて差し上げます」
「まずはお身体の様子を確認すべきですわ。そっと起こして差し上げて、温かいミルクを飲んでいただく方が……」
「私には兄弟がいましたからお世話になれています」
「ちょっと、あなたにいたのはお兄さんでしょ」
「手がかかるって意味なら一緒なのよ」
「まぁ酷い! 手がかかるなんて! こんな醜いメイドにお世話をさせたら汚れますわ! 清らかな私目に」
「ちょっと、あなたの仕事まだ終わってないでしょ! 清らかっていうなら私の方が……」
「はぁ? あんたのどこが清らかなの?」
……前言撤回。
彼女達は本来の各自の仕事を投げ出し、我先にと、この美しき御子の世話をしたいと名乗り出ます。普段ならば一喝で我に返る彼女達ですが、今回は引きません。誰も彼も一目お側にと縋るように触手を伸ばします。私は数多のメイドの手から御子様をお守りし、やっとのことで穏やかな寝息を確認することとなりました。
翌朝、コウタ様はぼんやりとした瞳で洋服を着替え、小さな指で私の手をぎゅっと握ると、ディック様の元へ向かわれました。
「そんなに固くなられなくても大丈夫ですよ。ディック様はお優しい方ですから」
少しでも安心していただこうと声をおかけします。すると、とても可愛らしいお声で私のことを「お姉さん」とお呼びくださいました。
「お姉さんは、お手伝いさんなの? だったらあのおじさんは王様? 偉い人?」
お小さいのに、コウタ様はご自身のお立場を捉えておいでです。身分が上の方を王様だと思われたのでしょう。なんて聡明でお可愛らしい! クスクスと漏れる声をあえて隠さず、明るく返答をいたします。
「私はメイドです。お手伝いさんの仲間ですが、ちょっと違いますね。それから、旦那様は王様ではありませんよ。ディック・エンデアベルト辺境伯です。この辺りでは1番偉い人ですが、あまり貴族らしくない方ですから、ご心配されなくて大丈夫ですよ。うふふ」
だらりと笑顔が崩れるのを自覚し、慌てて顔に力を入れます。
奥様が王都に行かれてしまった館は、むさ苦しい男達ばかりで閑散としておりました。いえ、ディック様もきちんとなさればそれなりにお美しく、ダンディな色気をお持ちなのですが、メイドの世話を好まれませんので……。
可愛いもの、美しいものに飢えたメイドが我先にとお世話をしたがる気持ちが分かります。メイドを束ねる立場というのは面倒臭いことが大半を占めますが、今日ほどその特権が生かせて良かったと思う日はなく、ニマニマと口元が緩みます。(当然ですが表情には一切出しません)
コウタ様は真っ直ぐに前をお向きになり、小さな歩幅でしっかりとお歩きになります。握った指先と美しい漆黒の瞳から強い緊張を感じますが、キリリとした表情に思わずうっとりと心を持っていかれます。
いつまでもコウタ様のお世話をしたいのですが、私はメイド頭です。はぁ、午後からの所用がなければよいものを。誰にコウタ様をお任せしようかと頭を捻ります。
ふと気がつくと、今日はやたらとメイドが私の前を通り過ぎます。
「今日はお洗濯が早く終わりそうですわ。お掃除も。あぁ、今日は何をしようかしら……? コウタ様のお相手ができますが……」
「坊っちゃま達のお召し物の整理をしようかしら? コウタ様に気に入ったお洋服を選んでいただくと効率が良いのだけれど……。」
「今日は近場のお買い物ですから、コウタ様がご一緒でも大丈夫なのですが……。お小さい子はお散歩も大切ですもの」
どのメイドも隙あらばとコウタ様のお世話を狙っています。あんなギラギラとした目のメイドに、まだお心細い御子様のお世話をさせる訳にはいきません。
さっきからチラリチラリとこちらを見ているのは、夜番のメイドでしょうか?えぇ、えぇ、夜はあなたにお願いしますから、早く休んでくださいませ。あぁ、あまりに元気だと、コウタ様のお部屋を頻繁に訪れ、お休みの妨げになってしまいますね……。
こうなったら、コウタ様のお世話係をディック様に決めて頂こうかしら。私では、メイド達から反感を買いそうです。そうなるとやりにくいですからね……。
奥様がお戻りになれば、メイド達も諦めがつくでしょう。それまでの辛抱です。
とりあえず、今日は一番若く、このコウタ様争奪戦に参加させて貰えないと落ち着いているサンに任せましょう。理由は、歳が一番若いからとでも言っておきますかね。彼女なら、何かあれば私に助けを求めるでしょうし……。明日からは年齢順に担当させれば文句も出ないことでしょう。
うっすらと涙の跡を残しながら、眠る御子。小さく小さくしゃくりあげる吐息にうっとりと艶めきながら、メリルは抱きしめた幼子をそっとベッドに寝かせた。そして音もなく扉を閉めると、大急ぎでサンを呼びに走るのだった。