071 のん気
それは不意の出来事だった。
何もない空間から小さな光が弾け出すと頭上からコウタが落ちてきた。
ドサリ。
咄嗟に受け止める。
突然のことに唖然とするが、俺達はコウタの姿を見て慌てた。
「おい、回復薬だ! ポーションをもってこい」
「ダメよ! ダメダメ! 回復薬は駄目」
「何があった? 誰にやられた? しっかりしろ」
「おやめください。揺らしてはいけません。そっとベットにお連れして」
「いや、湯だ。湯とタオルをもってこい」
白い頬に幾つもの切り傷ができ、全身が砂まみれだ。よれたズボンは幾つもの穴が空き泥がこびりついている。煤けたシャツにも血が滲み、真冬の最中に柔らかな新芽と色彩豊かな花びらが絡みつき、どこでどうしていたものかと首を捻る。
「う……ん。なあに? オレ、眠いんだけど」
狼狽する大人達を尻目にのん気に欠伸をし、コシコシと目を擦る。そっと覗いた漆黒の瞳が俺を捉えるとニッパァと破顔して倒れた。
ーーーーすう、すう。
穏やかな規則性のある呼吸に一同は安堵する。風呂は後でいいか。温かなタオルで軽く顔を拭き整えると俺はコウタを抱きしめてソファーに沈んだ。大人達もよろよろと力が抜け、床に座り込んだ。
呼吸に合わせて上下する腹が柔らかく温かい。やっと俺の手の中に戻って来たかと目頭が熱くなる。時折薔薇色の頬を緩ませフニャリと緩んだ唇から涎が垂れたかと思えば器用に吸い込み、むにゃむにゃと口を動かす。無防備な寝顔を独り占めしている優越感で俺はふふと目を閉じる。
大きな伸びをして目覚めたのは昼を少し回ってからだった。ややと群がる奴らから解放される為、二人で風呂に逃げ込む。怪我の具合も確かめたいしな。
ケホケホと自身の埃で咳き込んだコウタは嬉しそうに湯船に駆け出す。よかった。身体に傷は見当たらない。頬の傷にそっとシャボンをのせると痛いと言って顔を顰めた。
「お前なぁ。俺たちがどんだけ心配したか分かってんのか?」
ついこぼれた愚痴にコトンと首を傾げ、あぁと言って金の光を振り撒く。白く輝いた頬がいつもの柔らかいすべすべに戻り、ニッカと歯を見せる。
「もう大丈夫でしょう? オレ、魔法が上手くなったと思わない?」
悪びれぬ言葉に眉を顰め、容赦なくゴシゴシと力を入れて擦ってやる。
「わぁ、痛いってば。つ、強すぎるってば! 皮がむけちゃうよ。コンコン、グシュッ。わぷっ」
仕上げに湯船に沈めてから引き上げるとぷくんと頬が膨らんだ。もう離さねぇぞ? 腹の上に寝転がせれば、緩んだ肢体を伸ばしてふうと息をつく。いつもの光景に長く息を吐くと天井を見上げてコウタの温もりに安堵する。
チャプチャプとした湯の音に意識を傾ければ、昨夜の心もとさが吹き飛んでいく。……が、今日は長湯は無理だな。
急足でコウタを外に放り出せば、数多の手が伸び、あっという間に脱衣所からサロンに運ばれていく。悪く思うなよ?俺はゆっくりさせてもらうぜ。
火照った身体にエールを注ぎ込み、遅い昼食の席に着く。コウタは煌びやかに飾り付けられ、サーシャの膝の上で不貞腐れている。くくく、ざまあみろだ。今日は皆が満足するまでおもちゃになってもらうぞ。
「……で、今までどこに行っていたか話してもらおうか」
ふぅふぅと冷ましたスープを口に含むコウタをじっと見つめる。
「あなた、後でいいじゃない。まずは沢山食べさせないと」
「いや、僕も聞きたい。一刻も早く。コウタ、ちゃんと話せるだろう?」
珍しく憤慨仕切りのクライスに笑みが溢れるがコウタは真剣な顔でこくんと頷いた。
「えっと、妖精の国」
「「「「よ、妖精ー?」」」」
俺たちが目を見開くのを横目に、薄いブルの肉を口に放り込んだコウタは、むぎゅむぎゅと口を動かして満足そうだ。
「妖精って、あの絵本の?」
「うん。友達になったの。でもうっかり寝ちゃったから遅くなっちゃった。ごめんね」
大ぶりのカボチャを口に押し込み、頬を押さえてうっとりとしているコウタにアイファが殺気立つ。
「何で寝てて傷だらけになってくんだよ。早く話せ!」
「えっとぅ、大きな岩がドンってなってたから。難しかったけど、頑張れたの」
「岩が落ちて来たのかい?」
ニコルが突っ込むとコウタは首を傾げてスープに目を落とす。駄目だな、コイツは。何にも分かっちゃいねぇ。のんきな奴だ。食事に夢中か……。
「ああ、もういい。まず食え! 話が進まん。とりあえず、今は危険じゃないんだな」
グビリとエールを飲み干すと、口一杯に肉を詰め込んだコウタがふふと笑って頷いた。
1日ぶりのまともな食事についつい頬が綻ぶ。コウタのトロリと緩んだ眼差しを引き止めるかのようにジロウがペロリと顔を舐めた。キャキャと甲高い声で笑うコウタに俺達は目を細める。だが、奴の腕を掴んだ兄達が怖い顔で制す。
「……で? 妖精ってどういうこと?」
いつもと勝手が違うクライスにコウタは言い淀む。
「絵本の妖精さんがいたの。助けてって言われたから……」
「絵本から妖精が出て来たってことなのかい?」
「違うの。でも絵本の妖精さんと同じなの」
「まあいい、クラ、こっちに寄越せ。……それで? 妖精がお前を襲ったのか?」
「違うよ。岩がドンってなってて、潰されそうだったから魔法で粉々にしたの」
どうやら岩に挟まれていた妖精をコウタが助けたってことだろう。岩を砕く際に傷を負ったのだと分かり、アイファの表情が軟化した。
コウタは妖精の国で精霊様に会ったと話した。
「あのね、ウンディ……フガッ」
クライスがコウタの口を塞ぐ。
「待って! 精霊様の名前だろう?軽々しく言っちゃ駄目だ。せっかくの加護が台無しになる。それどころか、呪われたらどうする?」
精霊様に会った人間は少ない。いや、古い昔話でしか知らない。そもそも精霊は人前に姿を現さないものだ。
だが、もし、精霊様に気に入られ、会うことが叶えばそれは加護をいただいたも同然。
魔力や魅力、体力など人としてのいずれかの力がグンと底上げされると言われている。それは精霊の名の契約とも呼ばれ、その名を守ることが加護を維持する条件だと言われている。
「へぇ、そうなんだ。精霊様、何にも言ってなかったよ。加護ってもらったのかなぁ? あっ、でも寝ちゃダメって言われたの。時間の流れが違うからって。でもオレ、うっかり寝ちゃったでしょう?だから帰るのが遅くなっちゃったんだ。ごめんなさい」
ほんの少ししゅんと下がった眉毛にクライスがふうと息を吐く。
「うん、無事でよかった。僕、コウタが帰ってこなかったらどうしようって本当に心配したんだ。ありがとう。戻って来てくれて」
一瞬キョトンとしたコウタは、やっと俺達の様子を悟ったのか、ポロリと涙を溢した。クライスは優しく漆黒の髪をかき混ぜ、その胸に抱き寄せた。
今度は妖精と精霊か……。何をどうしたらこんなに面倒が積み上がる? ソラとジロウと戯れ合うコウタに俺達は今日も頭を抱えるのだ。