059 御子様の伝承
ピ、ピピピピ、ピピ、ピピ。
泣き叫ぶコウタを宥めるように、小さな羽根をばたつかせて懸命に話しかけるソラ。頷きながらしゃくりあげる声を徐々に小さくしながらコウタは落ち着いていく。ああ、僕たちは何て無力なんだろう。
神父の懐から伸ばされた小さな手を胸に抱きしめ、やるせない気持ちを噛み締める。
僕の知らない君の世界。
泣けるなら、身体一杯泣けばいい。たとえ心が空っぽになったとしても、兄ちゃんが温かな思い出で満たしてあげるから。たとえスプーン一雫ずつだったとしても。いつかその胸いっぱいになるように。
「あなた様はコウタ様の出自をご存知なのですか?」
メリルの言葉に、僕もコウタも顔を上げる。神父は目を伏せてゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、残念ながら。ただ古から伝わる伝承があります。これは我が一族に受け継がれる魔法書で、御子様についての予言書みたいなものでして……」
神父は魔法書をめくり、時々水晶に呪文を唱えながら話し始めた。
世界が厄災に見舞われる直前、女神様が御子様をお連れになって現れた。
厄災は女神様の力を持ってしても、回避することはできず、厄災後は数百年に渡り、気象、魔素、地形など世界の全てが不安定になり、生きとし生けるもの全てが絶滅の危機に瀕する。
女神様も暫くお力を失い、乱れた世界をお直しすることができなくなる。故に、か弱き人族がその世界を生き抜くことは難しいであろう。
しかし、世界が僅かでも希望の道を歩み始めることが出来るのであれば、人々の未来を照らす一筋の光を担う煌めく魂の御子様がお目見えする。
御子様の美しき魂は、人々に生命力を与え、弱き存在の動物や幻獣達に力を取り戻させ、生きる喜びに満ち溢れた豊かな世界を創造するだろう。
我が一族は、予言者として、世界の知恵を担う者として御子様のお力となり、御子様が成し得ることを記録し、後の世にお伝えするのが使命である。
神父は水晶が映した人物は、千年も前にこの予言を残した始祖様だろうと言った。
おそらくコウタは始祖様の気配が強く残った土地の出自だと思われる。そこで幼き日々を過ごし、我々のもとに辿り着いたのではないか。
「コウちゃんが……。その御子様だと?」
母の小さな呟きに、神父は大きく頷いた。
「オレ、御子様じゃないもん! 始祖様なんて知らない。あの人は山のおばあだ。ついこの前まで、オレと一緒に薬草を採ってたおばあ。オレの魂を見たおばあ。オレは器がでっかいだけ! 世界なんて造らない!」
涙の跡が残るあどけない顔でプンと頬を膨らますコウタ。
千年も前の伝承の御子様?
女神様が遣わした本当の天使?
それとも生まれ変わりなのか?
神父は古びた本のページをパラパラとめくり、手を止めると古代文字で書かれた一節を読み始めた。
御子様の特徴は、美しき魂を象徴するかのような姿。
白き魂を護るような漆黒に包まれ、誰をも虜にする輝かしい見目。そのお身体から溢れる煌めきが奇跡を起こし、人や動物、幻獣達に生きる喜び、溢れる力を与える。
御子様のお力を高めるのは清らかで魔力溢れる水。深き愛情、強い絆で満たされた水。美しき世界に美しく流れる水こそが御子様を清め、そのお力を引き出す。
だからこそ、決して穢してはならない。
御子様が穢れれば世界が穢れる。魔獣が溢れ、戦いが起き、世界は破滅の道を歩む。
御子様は力を尽くすために美しく清らかな水を求め、その身に取り込む。美しき水の元に御子様を探し求めよ。
泣き止んだコウタに安堵する気持ち、御子様の伝承に混乱する思考、そして胡散臭げな神父と見覚えのある赤い魔法書。
はは、情けない。
たったこれだけの話が飲み込めないなんて。
柔らかな頬の感触を僕の頬で確かめ、ゆっくりと呼吸する。冷静になれ……と。
「では、コウタは魔力ではなく、溢れる煌めきで奇跡を起こしているとでも?」
「分かりません。ただ言えることは少なくとも容姿と水をお求めになるお姿からは御子様だと考えられます」
「いやだ! 違う! オレ、御子様にされるのは嫌だ。オレが穢れたら世界が破滅するなんていやだ! 世界なんか造らない。オレはコウタだ! ただ精一杯生きるだけのただのコウタだ!」
コウタの反論に大人達はたじろぐ。
そうだ。君はただのコウタでいい。世界のためになんて生きなくていい。僕の可愛い弟として、ただのコウタとしてそこにいればいい。僕は何を迷ったのだろう。コウタと二人、キッと神父を睨みつける。
神父はふふと笑い、再び水晶と向き合った。
「言ったでしょう? 私は力をお貸しする立場です。ご心配なさらず。」
静かに語った神父は、僕に目を合わせて続けた。
「守るべきは権力や悪意から、とでも申しましょうか。今のところ大きな敵は見当たりません。清らかな魔力は……、美しき魂の由来でしょう」
「……、よかった。とりあえず、狙われている、ということはないようね」
母の言葉に僕も安堵する。
追っ手の心配はないんだ……。
だが、どうした?
コウタの緊張は解けない。むしろ警戒が高まっている?
「……、山のおばあ。おばあのこと、どこで調べた?」
「……、御子様。何をおっしゃいます?あれは千年も前の始祖様です」
素知らぬ顔で受け流す神父にコウタが喰らいついた。
「 神父様の記憶? それともオレの記憶? わざとオレに見せた……。魂を揺さぶろうとしたの?」
穏やかなコウタが強い意志と聞きなれない物言いをする。僕はコウタを抱く手に力を込めた。
「あんた誰……、誰だ? 昨日の神父様じゃない。優しい温かい水。お前じゃ出せない。オレを使って何をしたい?」
見たこともない気配。
熱い。
漆黒の瞳が燃えるような怒りを浮かべ、全身から浮かぶ白い煙のようなオーラが部屋いっぱいにたちのぼり、ぐらりと視界が歪んだ。小さな身体が一回り、二回りと大きく膨らんでいくようだ。
カタカタと小さな振動が伝わってくる。コウタの魔力か?
「コウタ……?」
「コウ、タ様……?」
「コウちゃん?」
グラグラと大きくなる揺れに、天井からパラパラと石材が落ちてくる。
まずい! 崩れる! 地震か?
ーーーードドド、ガガガ、バキッ!ガラガラガラ!!!!
「コウタ!」
「サーシャ様、こちらへ!」
「クライス! コウちゃん!!」
大きな反響音と同時に足元が揺らぎ、床が割れ、天井が落ちてくる。
古い遺跡で使われていたような大きな石材がガラガラと薄い膜にぶち当たっては粉々に崩れていく。
ーーーーシールドか?
見上げるとソラが大きな翼を広げ、周囲に薄いピンクの膜を張っている。
コウタはーーーー?
水晶を抱きしめ、崩れる建物の中心でキッと空を睨んだ小さな天使は、漆黒の翼をはためかせた禍々しい生き物と対峙していた。
「どこで気づいた?」
漆黒の長い髪を靡かせ、半分緑に染まった顔がニヤリと笑った。
「魂の由来……。水晶に……、お前の姿が映った。それはおばあの水晶。底に傷がある。」
そう呟いたコウタに禍々しい生き物はニッと口角を上げて笑った。
「オレがつけた傷。オレの魔力がつけた傷。その水晶はお前の魔力を跳ね返している。いくら呪文を唱えても、お前じゃ扱えない!」
「面白い……。シリウスの仕業か? だが、気配はないな……。ククク、ハハハ……」
ーーーーーーュン!! カッ!!
ヒュン!
ザッカ! ドュ! パキパキパキパキ!
雷を纏わせた剣で黒い悪魔を斬る。
クッ、速い!
かろうじて当たった黒き尾に剣が跳ね返される。奴はシールドを蹴り壊し、空を舞う。
ソラは崩れる岩々から僕達を守るために再びシールドを張った。
上空で嫌な羽音を響かせた男は紫色の切れ長の眼で笑い、真紅の瞳で僕達を捉えている。
「長き眠りだった。自由はいいなぁ。坊よ! ハハハ……。 不自由な中で、やっと動けるようになった。ほんの少し様子を見るつもりで探ったが……、素晴らしい! 貴様が封印を解いてくれるとは。面白い者に出会えた」
高笑いをしつつ、両の手を握って力を見比べる魔物。恐ろしく、そして強く嫌な気配はどんどん強まっている。
「だが、ちいと力が足らんか? ふむ、しばし力を蓄えよう。坊! シリウスとサチの子か? 子孫か? ククク、面白い。 力が戻ったその時は……お前と遊んでやっても良いぞ」
ーーーーカッ
白く、黒く、赤い閃光に視界が奪われる。
瞬く間に空の彼方に消えた悪魔に、僕達は呆然と立ち尽くした。
足元には底が見えない大きな闇が広がっていて、僕たちはソラのシールドで空に浮かべられていた。
崩れた周囲の岩々の中に、壊れた女神像。僕達に願いを乞うように倒れ、その下に薄汚れた神父服が僅かに覗いていた。
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