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003 挨拶

 


 翌朝、朝食の紅茶を啜っていると、幼子がメイドに連れられて食堂にきた。


 腫れぼったい目は、眠り切れていない疲労感を醸していたが、彼はしっかりと前を向き唇に力を入れていた。その固い仕草から緊張が伝わってきた。

 さらさらの黒髪、少し焼けた肌に薔薇色の艶やかな頬、俺を映す大きな漆黒の瞳は、幼子ではなく、小さな皇子の風格を漂わせ、美しさすら感じさせた。


「おう、もう起きて大丈夫か?しんどいならベットまで食事を運んでやるが……」

 俺が声をかけると、小さな少年は緊張の面持ちのまま、俺の前に傅いた。


「危ないところを助けていただき、ありがとうございます。コウタと申します。貴族様と知らず、数々の無礼をお許しください」

「い、いや……。何も無礼なぞ。 お、お前、幾つだ? 三歳じゃ、ああ、いい。 だが、何だ、その挨拶は……」

 俺は驚いて思わずコウタを抱き上げる。


 宙に浮いた手足がぶらりと揺れ、ふにゃふにゃと柔らかくあまりにも頼りない。 しかし、ぐにゃぐにゃの体とは相反して表情を崩さない凛とした佇まいに、狼狽えていた俺は落ち着きを取り戻し、そっと抱き下ろす。



「俺はディック・エンデアベルト辺境伯だ。このあたりの領主をしている。確かに貴族だが、子どもが危なかったら助けるのは当然だ。俺はお前の母親に任せろと言ったし、母親は託すと言った。だから畏まる必要はない。楽にしろ。」


「ありがとうございます」

 こくりと頷いたコウタは、幼子の顔に戻り、席に着いた。



 こんな田舎だ。大した食事ではないが、何か食える物はあるだろう。するとコウタは、落ち着いた所作でスープを口にし、固いパンを小さくちぎる。水を注ぐメイドに軽く眼を合わせ、ナイフとフォークをそつなく操り、薄いハムを口に運ぶ。その一つ一つの動きは洗練されていて、貴族のマナーと言っても十二分に通用する。


「見たところ、随分としっかりしているが、お前さんも何処かの貴族なのか?」

 コウタの食事が終わったのを見計らって声をかける。


「いいえ……多分、違います。 父様も母様も冒険者だから……。でも、挨拶や作法は……、きちんとできれば人と繋がれるからって、繰り返し教えてもらいました」

「そうか、そうだな。 しっかり挨拶をされて嫌な気持ちになる奴はいねえからな」

 そっと頭を撫でてやると、コウタは少し驚いたように目を開き、うふふと笑って見せた。


「コウタ、少し辛いかもしれないが、何があったか言えるか? 国は……、出身は? どこかわかるか?」


 コウタは俺の目を真っ直ぐに見つめると、ふいと目を伏せて話し始める。


「国は……分からないけど、高い山の上に住んでいました。ラストヘヴンっていう場所。でも、運命の日だったから逃げたの。 みんなで。 馬とか、牛とか、ヤギとか……。 動物もみんな一緒に隠れたの。

 父様達は戦いに行ったの。母様も。村の人も、アックスのおじさんも、熊爺も……。みんな、みんな、戦いに行ったの。兵士さんとか……。王様も……。」


 テーブルクロスにポトリと水滴が落ちた。


「そうか……。戦いに行ったのか。戦いは……、その……、終わったのか?」


「分からない。……でも、外に出て、誰か居てくれたら大丈夫だって言ってた。 オレ、今、外だから……。 誰も……だけど、母様がいたなら……多分終わった」


「……迎えは来れそうか? 母親以外に……。誰かいないのか?」


「…………分からないけど、来ない。母様がいたんだったら、もう来ない。……だ、だれも、……うっ、こ、来れない。み、みんな、た、助から、ないって、知って、知ってた。 オレ、だけ、オレだ……け……」


「もういい。 悪かった。 もういいぞ。よく話せた」


 嗚咽を抑えながら精一杯話すコウタをぎゅっと抱き寄せる。震える小さな肩と熱い息が俺の身体をじんと唸らせ、やるせなさに自身の無能さを呪う。


「いいぞ、泣け。 思い切り泣けばいい。 こんな時は思い切り泣くもんだ」

 冷静さを装って、ゆっくり優しく頭を撫でると、コウタは火がついたように泣き声をあげた。


 しゃくり上げ、繰り返す嗚咽、少しずつ掠れる声。気がつくとコウタは俺の手の中で、グズグズと鼻を鳴らしながら小さな寝息を立てていた。閉じた瞼に涙の跡が痛ましい。



「うふふ、こんなに力を入れて……。 悲しみもですが、不安もお強かったのですね……。 安心していただけると良いのですが……」

 メイドが小さな握り拳をそっと開くと、小さなピンクの手のひらにくっきりと爪の後が残っていた。メイドは俺からコウタを貰い受けると嬉しそうに寝かしつけに行った。


 後に残された俺と執事は、溜息をつき、新しく始まる生活に想いを巡らせる。





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