040 足跡
「あぁー、寒かった。暖炉、暖炉!」
冷え切った身体を温めようと、クライスが飛び込んでくる。暖炉の前で手を温め、コートを脱いでメリルに渡すとお決まりの文句だ。
「アイファ兄さん、コウタはどこ?」
俺はクイと顎でソファーの片隅を指す。
「はぁ〜、癒される。 よく寝てるね。 まつ毛長いなぁ。 あっ、あったかい。 でもあんまり触ると起きちゃうかなぁ?」
指でそっと頬をつつき、髪をサラサラ大胆に撫でて、微動だにしないコウタに再び頬を擦り付け、すっかり満足したクライスは、紅茶を淹れてもらいゆったりくつろぐ。
「ふぅ、寒かったな。 結構楽しめた。 よその村の祭りもいいもんだな」
酒のカップを持ったままご機嫌なキールが戻ってきた。
「ーーで、コウタはどうした?」
俺が顎でクイと指す。
「やっぱ、一際小さかったなぁ。 衣装は目立ってたけど」
頬をツンツン、髪をわしゃわしゃ容赦なくかき混ぜ、ひとしきり楽しんで席に着く。
「久しぶりの祭りはいいわねぇ。 コウちゃん、最高に可愛らしくて〜。 本当の精霊さんだったわ〜。 絵師でも呼んで記念に残しておこうかしら〜」
「サーシャ様、この時期はいつも王都だからね。ただいま戻りました〜」
すっかり出来上がった母上とニコルが戻ってきた。
「「ーーで、コウタは?」」
「あー、もう、二言目にはコウタ、コウタ! 俺はお守りじゃねぇ」
鬱陶しさに怒りをぶちまける。
祭りの後、精霊の祝福だ、到来だと盛り上がり、村の奴らから揉みくちゃにされた子供達を、安全な場所まで連れてきた俺の苦労を知れってもんだ。
しかもコウタの後を虹の光が追いかけてくるから、松明で隠したり誤魔化したりするのが大変だったんだ。
コイツらは呑気に祝杯をあげて楽しんできやがった。 クッソ〜、俺だって呑みたかったぜ!!
さほど大きくもないサロンは、帰宅した面々で賑やかになった。コウタは村中を練り歩いた疲れからか、皆に突かれても触られてもぐっすり眠っている。
「それにしても、あの光の玉って、コウタの仕業?」
ニコルの問いに、皆が真顔になる。
「コイツの後を追っかけて来たんだからそうじゃねぇ?」
「まぁ、そうだよね……。あれってライトの色バージョンかなぁ。綺麗だったね」
「クライス様、そんな魔法はありませんから……。こんなことができるのはコウタだけですよ」
「魔力漏れって、こんなに色々できちゃうものかしら? やっぱり一番の問題って、コウちゃんの魔力を何とかすることかしら……?」
皆でふぅと頷き合う。
このままでは、コウタが何かする度に不思議なことが起こる。噂になるのは目に見えている。
魔法は六歳になって学校で習うのが常識だ。稀に貴族の子で早めに五歳で魔力測定を行い、才能を見出された子が魔法を学ぶこともあるが、それでも五歳なのである。
三歳のコウタが魔法を使う。それは常識を覆すことで、国や権力者に目をつけられる格好の材料だ。
▪️▪️▪️▪️
冷たい夜を引き継いだ朝、俺は早くから叩き起こされ、村外れの湖の畔に来ている。
「どうだ?」
厳しい顔をした領主と薄い霜の上の足跡を調べる。
俺はゴクリと喉を鳴らし、眉をひそめた。
「ワイルドウルフなんかじゃねえな。ジャイロオックスか……、もうちょっとデカいやつだ。単体だが妙だ。何に用があったんだ? ここで引き返してやがる」
足跡の最終地点。そこは村で一番古い大木の下だが、四つ足の獰猛な魔物が狙うものなど何もない。
「どんな奴でも、見逃せん。村ん中に来たってことは柵を越えたんだ。被害は?」
「牛もブルも無事だ。足跡もここまでだし。今のところ被害はないよ」
ニコルは一足早く村を回ったようだ。
「なぁ、ジャイロオックスにしては足跡がデカすぎねぇか?まさか、フェンリル、なんてことはねえよな?」
ジャイロオックスはキツネ顔の獰猛な魔物だが、今までに何度も討伐している。足跡を辿ったことは一度や二度ではない。だが、こんな大きさは見たことがない。
「いや、フェンリルはない。アイツらならもっと深い足跡のはずだ。と言っても、普通は纏った魔法で足跡なんか残さねぇがな。」
親父も首を捻るが、やはりジャイロには疑念を抱いているようだ。
キールが重い口を開いた。
「フェンリルでも幼体だったら……? もしかしたら、Gかも」
フェンリルは白銀の美しい狼の魔物である。その肢体は一際大きく、常に風や氷の魔法を纏い、神速の速さで走る。知能が高く人語を操る魔獣故に神狼とも呼ばれている。
一方、Gはフェンリルの亜種で闇に溶けるような漆黒の長毛を持ち、フェンリルと一線を画すほどの獰猛な魔獣だと言われている。
知能の高さも群を抜いており、Gに狙われれば聡明な軍師が率いる国軍でさえも無事では済まないと言われている。
「なぜGだと?」
「いや……可能性の問題だ。フェンリルはディック様の言った通り、足跡なんか残さない。もし幼体だったとしても、アイツらは親子の絆が強いから単体は考えにくい。 だがGは違う。亜種とされるように、フェンリルの仲間から突き放され、幼体だろうと単体だ。ならGの可能性が高いってことだ。それに……」
不意にキールが古木を見上げる。何かあるのか? 俺達も目を凝らす。
!!!!
常緑の葉の茂みに見慣れぬ木の実が実っていた。くびれの少ない瓢箪のような形の緑の実。
「まさか、時告げの実か? いつの間に?」
時告げの実は、古木に実る珍しい実で、その実が黄金に輝くと神獣が世代を交代すると言われている。
古き神獣が天に召され、新たな個体が後を継ぐ時、神獣としての力を与えるのが時告げの実だ。
Gについては目撃された個体は皆無と言われるほど少ない。獰猛で残虐ではあるが、闇雲に人ばかりを襲う訳ではないことから神の遣いである神獣ではないかと言う説もある。
「初めて見たが、湖には白龍がいるぞ……。神獣はその存在同士不可侵だ。縄張りも被らねぇ。 世代……
交代なのか……?」
領主の声色が変わる。龍とGの世代交代なんてあり得るのか? 神獣なんて何百年に一回のことだ。
「なぁGにしてもフェンリルにしても調査するのか? 足跡なんか掴めねぇぞ。 それにビンゴだったらどうする? 俺達だってヤバいぞ」
「だが、ジャイロの可能性もある。 一応、調査だ。 例えどんな奴でも深追いはしなくていい。 正体さえ分かれば。 あと、しばらくは兵の巡回頻度を増やすか……。とりあえず館へ戻ろう。 あぁ、ニコル、村の連中はどうだ?」
親父が珍しく領主の顔になっている。
「朝早かったし、足跡があったのは雪じゃないからね。 気付いてないと思うよ。 静かなもんだ。」
「それにしても、あの実、本当に時告げの実か? 昨日までは何もなかったよね?」
スキップを踏んではしゃぐニコルに思案気な領主が頷く。
「伝説だ。本当かどうかは知らん。だが、あの古木は今までに実をつけたことがないからな。これもあくまで可能性だ。あれが金に輝けば確証が持てるが……。ただの危惧で済むことを祈るぜ」
「なぁ、もしあれが時告げの実だったら、足跡の主ははまた現れるのか? 黄金になるのはいつなんだ?」
キールは相変わらず心配性だ。
「可能性は大きいな……。湖近辺は暫く近づかないように伝えよう。だが、金色になる時期なんて分かるかよ。大きさだってあれで十分なのかどうか……。伝説の代物だぜ? 今朝まで誰も気が付かなかったんだ。暫くは持つんじゃねぇか? 普通、そんなすぐには大きくならんだろうし、熟すにも時間がかかるものだ」
「そうだよねぇ。時間はあるさ、コウタじゃなきゃ。……あっ!! アイツ、昨日歌ってなかったっけ……?」
ニコルがふと、思い出す。確か、アイツが歌を歌ったら……ベリーやら林檎やら季節を問わずに実ったと聞いたような……。
俺達は大事なことを思い出し、顔を見合わせて冷や汗をかく。
「歌ったな。バッチリ……。まさ……か?」
「あぁ、きっとアイツだ。くそぅ、厄介なことを持ち込みやがって!」
読んでいただきありがとうございます!
皆様の心が休まる素敵な一日になりますように。