035 テールスープ
ぐつぐつぐつ。
朝食後、裏庭から厨房を覗けば、大きなお鍋がぐつぐつと煮えたぎっていた。傍でマアマ達が遅い朝食をとっている。
「坊ちゃん、散歩かい?」
ショットさんがオレに気付くと、ササと細かく切り分けた果物を小さな器に入れて持たせてくれた。
器の上で小さく旋回したソラがピピとお礼を言って啄む。うふふ、可愛いね。ソラはみんなの人気者だ。指先でそっと頬を撫でれば、ふわふわの羽に指が埋もれる。
今日の空は高く、だけど薄青で、ソラの瑠璃色が映えて煌めく色だ。いい匂いの混じった空気が肺に心地良い。
「スープ?」
ぐつぐつ鳴る鍋をのぞきたくてタタと近づくと大きなお腹にぽよんと阻まれた。
「ああ、危ない! 小さい坊ちゃん、鍋は駄目さ。しかも脂を抜ききってないスープだからね、はねりゃ大火傷だよ。」
太っちょマアマのお腹の上に乗せられて、オレはちょっと残念な顔をする。
湯気の隙間からボコっと吹き上がった泡と共にゴトと太い枝のような物が垣間見える。いや、枝なのか骨なのか、岩なのか?
食材とも思えぬ不思議な形のものが鍋の中を移動し、やはり食材とも思えぬ微妙な色 (パステルカラーのような、蛍光色のような) が顔を出すのだから気になるのは当然である。
「あれは夕食の仕込みだよ。坊ちゃん、テールスープが好きだろう? 今日は坊ちゃんがサッと食べれるメニューにしろって奥様からのリクエストさ」
「サーシャ様の?」
「そうだよ。奥様は坊ちゃんのことがことのほか気に入っていてね。好物は何だの、おやつは何にするかだのよく聞かれるよ」
うふふふふふ。
トロンと溶けるオレの顔にマアマもショットさんも目を細めた。嬉しいな! オレだってサーシャ様のことは大好きだ。
そうだ、サーシャ様にとっておきの石をプレゼントしよう。オレはトテトテと裏庭の荒野に向かう。薄らと草が生えたけれど、磨けば光る石はまだまだたくさんある。
この石もいいけど、あっちの方が大きい? こっちの方が綺麗な色になりそう。 何しろ一日に一個なのだからオレは慎重になる。
「ヒヒ、ヒヒヒン。ヒヒヒヒヒ」
はっ?! しまった。
ついうっかり馬屋の方まで来てしまった。オレの気配を察知した馬達が顔を出せといななき始める。もう、仕方ないなぁ。暫く馬達とスキンシップをとっていると、ニコルが来てくれて一緒に馬の世話をする。
あんなに軽い藁なのに、集まるとこんなに重いんだね。藁の束をいくつも運ばされ、大きな木ダルの水を変える。
小さな桶を持って井戸と馬屋を何度も往復するのは大変だ。オレがへばったところで、ニコルがダップンと魔法で水を追加した。もう、魔法でいいならそう言ってよ!
ちょっと悔しくなったから、ニコルの顔を目掛けてポチャンと水塊を投げつけてやった。
シュッシュッシュッシュッ。
ニコルに抱っこしてもらい、馬の背をブラッシングするのは気持ちがいい。ちょっと硬い毛が、ブラシの前では柔らかく解け、キメが揃えばほら、虹色に光の輪ができる。オレの髪と一緒。ふわりと笑ってニコルを見上げればオレンジの瞳がニカッと笑った。
ああ、でも、疲れちゃったよ。ウマの世話で汚れた体を湯で洗ってもらい、着替えるともうお昼だ。
さあ食べようとフォークを持ったのに、ディック様や兄さん達がオレの口の中に肉ばかりどんどん放り込む。
ちょっとちょっと、オレ、果実水が飲みたいのに! フグッ!
オレ、野菜が食べたいの! フグッ!
もう食べられない。咀嚼しきれなくなった肉を詰まらせてひっくり返り、慌ててたアイファ兄さんに逆さにされて背中をパンパン叩かれた。
もう、酷い目に遭った。午後からはラビとゆっくり過ごそう。
「おう、そこでいいぞ。しっかり縛っておけ」
裏庭が何やら賑わしい。
気になって見に行くとアイファ兄さんが木に登って枝にロープを巻き付けていた。裏庭の一角、一際大きい木の下でディック様と庭師さんが何やら皆に指示を出している。
「よっ、ちびっ子! アンタも見にきたの? 何だと思う?」
「えっ? ニコルは分かるの?」
訳知り顔のニコルに聞いても、ヒヒヒと笑うだけ。でも、ソラがご機嫌だから、きっといいことだね!
枝から下ろしたロープに板をくくりつけると、ディック様が来い来いと呼ぶ。トコトコ走って行くと、クライス兄さんが木の板に座り、その膝の上にオレを乗せてくれた。
「これはブランコって言うんだ。楽しい乗り物だよ。いいかい。自分の力でしっかり掴んでいるんだよ」
そう言って兄さんはオレにロープをぎゅっと握らせると、その上に兄さんの手を重ねた。
「行くよ!」
クライス兄さんがちょっと後退してから足を上げる。
ビューン、ふわり!
漆黒の髪がひゅんと風に煽られ、ひゅんと戻ってくる。お尻がふわりと宙に浮き、ゆらりとお腹がくすぐられる。兄さんの膝が曲がって伸びて、グングン空に近づいて、ソラが並んで飛んでくれる。
わぁ、風になったみたい。空に届きそう!
「コウタ、もっと上がるかい?」
風に混じった大きな声。
「うん! もちろん!」
勢いついたブランコから見ると、ひゅんとディック様が近づいて、ひゅんと遠ざかる。
サーシャ様が手を振ってくれるけど、オレの手はクライス兄さんにガッチリガードされている。
ギシギシ揺れる木の枝からアイファ兄さんが覗き込み、木の板を切り出した庭師さんとキールさんが大きな瞳で見守っている。
あっニコル! ずるい、一人でリンゴを齧ってる!!
グンと高くなる視界が楽しくて、ねぇ、みんなにこにこ笑っているよ。
オレもあははって笑うけど、冷たい風が喉をくすぐって、嬉しくって楽しくってたまらない!!
コクリ、コクリ……。
何度もねだってブランコを堪能したオレは睡魔と戦っている。
夕食は大好物のテールスープ。
いつものお肉も好きだけど、すぐにお腹が膨れてしまう。でもマアマ特製のテールスープは肉の味が濃くって大満足なのに、油が強くないから沢山飲めるんだ。小さめのお肉と野菜が存在感を放っていて、この一杯で大満足の代物だ。
ハフハフ、モグモグ、美味しいね。
ハフハフ、コクリ……、うとうと……、ごくん。
半分になる視界。明るいのか暗いのか、微睡んで頭が回らない。
コックリコックリ……、瞼が重いけど、大丈夫、ちゃんと美味しいよ……。
「おい、諦めて寝ろ!」
アイファ兄さんの声でハッと覚醒する。慌ててスープの肉を口に押し込んで
「嫌にゃ。食べゆ。」
もぎゅもぎゅもぎゅっと根性を見せた。
ニコルがくすくすと笑っている。サーシャ様が心配そうな笑みを浮かべているけど、オレ、大丈夫だから、寝てなんかいないよとニッと笑う。
おっと……。
口元からたらりと垂れたスープをサンが慌てて拭ってくれるけど、起きてるよ。
だって沢山遊んだから、お腹がペコペコなんだもん。
うとうと、ハッ!
モグモグ……モ……グ……?
ーーガック
ボシャン!?
▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️▪️
重い瞼に身を任せた瞬間、テールスープに顔を落としたコウタ。盛大に飛沫を広げた。
「うわっ、やりやがった!」
さすが冒険者達。飛ばした飛沫から完璧に逃げる面々。顔を突っ込んだ皿ごと、椅子から転げ落ちたコウタを救出したアイファだけがテールスープの餌食となった。
「お約束〜」
とニコルが揶揄って、メイド達とテーブルを片付ける。キールは一目散に湯を張りに風呂に走って行った。
スープをかぶった髪をワシワシと泡立てても、ちゃぷんと湯で浸してもスプーンを握ったままにコウタは起きる気配がない。
満ち足りた表情で、硬く閉ざしたまぶたにゆるゆると口元がほころびつつも夢の中。
ゆで上がったコウタをタオルで包んで着替えさせれば、皆はうっとり無垢な存在に癒された。
だが、計画通り。
たっぷり身体を動かして疲れたコウタを早々に眠らせ、サンに託す。ここからは大人の時間だ。
食事を済ませた面々は、執務室に集まる。さあ、間も無く会議を始めよう。
ニコルは従魔のヘビを操り、周囲の警戒にあたる。大丈夫。執務室の周囲は誰も近づいていない。
確認後に執事とキールは遮音のシールドを張る。
ディックとアイファは酒を準備し、サーシャは暖かな羽織りを身につける。メリルはメイドに人払いの指示を出し、早々に領主館は闇の時間に入る。
夜が暮れ始めたばかりの時刻。だが、長い夜になるだろう。何しろ今夜のツマミはコウタなのだから……。
エンデアベルト家と館の主要人物達は各々に日々のコウタに想いを馳せる。
読んでくださってありがとうございます!
ショットさん。
突然出てきてしまいましたがマアマの夫でコックをしています。デザートやカクテル、繊細な作業の担当です。コウタ用のお花の人参も彼の手によるものです。
ブックマーク、いいね、そして評価などアクションを起こしてくださり、ありがとうございます! 嬉しいです。
皆様にたくさんのハッピーが訪れますように!