031 水
一体、いつから大丈夫だと思ったのか?
何故、乗り越えたと思ったのか?
ベットに寝かせようとすると、小さな手がぎゅっと俺のシャツを握りしめていた。
手を離すのは可哀想だ。俺はそっとシャツを脱ぐ。
涙と草の欠片でぐしょぐしょになった顔を温かなタオルで拭いてやり、細い髪をそっと櫛付ける。
アイファが首謀者をサッと見極め、ザクリと一薙で仕留めた。キールが狼狽えて逃亡する仲間を魔法で囲い込み、一網打尽で生捕りにした。暴れる馬をニコルが諌め、馬車の荷台からドンクとミュウを助け出した。
さすが手際がいい。報告を受け、俺が行かずとも奴らで十分に事足りたことを知る。そんなことは分かっていた。
たった三歳だ。一番親が恋しい年齢だろうに。護ると決めた。護れていると思っていた。だが……。
「一人にしないで……」
コウタの叫び声が何度もこだまする。護るって決めたのは俺だ。なのに、アイツにこんなことを言わせるなんて……。
一体、いつから大丈夫だと思ったのだろう? 何故、乗り越えたと思ったのか。
少し考えればわかることなのに……。やはり俺では駄目なのか? 無力感でいっぱいだ。
時折眉をしかめて、うなされるコウタの手をそっと握る。ポロリと小さな頬を伝う涙は誰のせいか。
髪を撫で涙を拭く。ただそれだけしかできぬ己に呼吸が苦しくなる。
賊たちをランドのギルドに連行し、執事のセガは後処理に奔走する。おそらく今夜は帰らないだろう。
ニコルはドンクとミュウを家族に送り届け、事情を説明し、ケアにあたる。
モルケル村は、慌ただしい夜となった。
その夜遅く、目覚めることなくコウタは熱を出した。
苦しそうに途切れる寝息。燃えるように熱い頬。ごくんと飲み込む唾でさえ、喉の奥を苦しめる。眠ることさえ苦しいと、そっと瞼が持ち上がる。
「……、気がついたか? 苦しいなぁ? だが、ちゃんといるぞ。何処にもいかねぇ。安心しな」
柔らかい髪を撫で、手の中にある小さな指をぎゅっと握って声をかける。
再び閉じかける瞼。そしてゆっくり開く瞼。それは憂いを帯びている。
「……ごめんなさい」
小さな唇が動く。
「お前は何も悪くないぞ? むしろ俺が悪かった。 不安にさせたな……? すまない」
俺は揺れる瞳を誤魔化すように顔を取り繕う。
「ふ、ふふ」
コウタは重い瞼を動かして笑みをこぼす。笑うことすら苦しそうだ。冷やしたタオルで頬を拭う。
「ミルクでも飲むか? セガがいねぇから温かくはないが……」
するとコウタは小さく首を振り、俺の顔をじっと見つめる。
「夜……?」
ちらりと燭台に目をやると弱々しい声で聞く。
「あぁ、だが、じきに朝だぞ。」
俺の返事を聞くか聞かずか、両手をそっと上に上げると、見たこともない甘えた顔で小さく呟く。
「……抱っこ」
弱々しい漆黒の瞳に、思わず吹き出しそうな気持ちを押さえて抱き上げる。
コウタは俺の首にしっかり腕を回し、首元に顔を押し付ける。
はぁはぁと呼吸を弾ませ、俺の背を撫で、肩に寄りかかるようにふうと力を抜いた。
「この方が楽か? なら、暫く抱いててやるが、横になった方が休まるぞ?」
閉じた瞼と小さな頷き。ただそれだけで、このままでという意が伝わった。
全身が燃えるように熱い。
俺はただひたすらに、優しく背中を撫で続ける。
ーーーーキィ
静かに扉が開いた。アイファだ。
「どうだ、コウタは? 少し代わるか?」
珍しく俺の心配をする。大きくなったものだ。昔はコイツもよく熱を出したっけ。
「俺のことはいい。まだ熱が高いからな。俺じゃなきゃ愚図りかねん」
コウタの背中をすりすりとさすりながら話す。
するとアイファは目を大きく見開き、ニヤリと笑うとそっと部屋から出ていった。いや、扉を閉める際に捨て台詞を残して……。
「そんな顔してるから、抱っこなんじゃねえの? パパ?」
ーーーー!!
そんな顔? どんな顔だ?
ふと思い当たる。
コウタを心配する俺を、まさかコイツは? 俺の方を抱っこってやつか! だから首を、背を撫でたのか?
こんな苦しい思いをしながら俺を心配してるってのか? ふざけんな、三歳児!!
この野郎と腹立たしくなり、ベットに寝かしつけようとする。
俺の襟元をぎゅっと握る小さな手。
また……か。
「ふふふ、ははは」
小さく自笑した俺はコウタのベットに潜り込んだ。
「おみ…ず……」
絶え絶えに発せられた声で目が覚める。そういえば暫く何も口にさせていないことに気づく。
白々と夜が明け始めている。俺は水差しの水をコップに注ぐと、コウタの身体をそっと起こす。
「ちぎゃう……」
上目遣いにコップを突き返され、戸惑う俺にふたたび催促がかかる。
「お水、飲みたい……」
「いや、それ、水だぞ?」
熱に侵されて潤んだ瞳が益々水分を帯び、苦しそうに、不機嫌そうに俺を追い詰める。
ーーーーそうか、あれだ。
育児日記の情報だ。
体調が悪いと水の質と温度にこだわるってやつだ。
こんな時間だが、きっと起きているやつは多いだろう。いいや、おそらくみんな、眠れぬ夜を過ごしたはずだ。
俺はメイドを呼びつけると、館中の井戸から水を持って来させる。コップ一杯ずつ。
「違う……。お水がいいの。お水……」
首を横に振っては泣き、力尽きたようにパタリと眠り、再び目覚めて抱っこをせがみ、また水を求める。
ぐたりと力無く瞼を閉じる癖に、匙一杯の水すら受け付けない。館中のメイドも、魔力の少ない俺たちが搾り出した水を差し出すが全て却下される。
「おい、兵士たちはどうだ? 水を出せる奴を呼んでこい」
とうとう私兵たちまで総動員。
いつの間にか夜は明けた。だが館の苦悩は続く。
「ディック様。館の井戸に何にか異変でも……? 兵士たちが心配しております」
兵士長が耳打ちする。なるほど。水は我々にとって最重要の生命線だ。館中の水を求める主人の姿に不安を抱くのは当然だろう。しかし……それなら、村の連中に水を持って来させる訳には行かないか……。
「湖の湧き水ならどうだ? ご神水だろう?」
アイファが提案する。
「牧場のお水はいかがでしょう。いつも喜んで飲んでいます」
サンも心辺りを告げる。とにかく何かを口にさせなければ、熱すら下がらず、体力を落とすだけだ。
「ちょっとくらい違っても構わんだろう? なぁ、諦めて口にしろ」
「コウタ様、氷ならばいかがです? 氷も、ベリーを凍らせたのもありますよ」
俺やメイドがあの手この手で何かを口にするように促すが、口をひん曲げたコウタは頑固だ。
一度、痺れを切らしたアイファが無理やり口を押し開けようとすると、カップや燭台、木桶に枕。そこら中の物を手当たり次第に魔法で飛ばして抵抗した。
そして真っ白な顔でグニャリと意識を失った。
「只今戻りました」
午後になり、後始末を終えたセガが戻ってくる。そうだ、まだコイツがいた。祈るようにしてコウタに水を差し出すと、奴は眉を寄せ訝しげにコップを突き返す。……コイツも駄目か……。
「……キンして」
今までと違う反応に、ややと騒めく。
「キンですか? はて、キンとは……?」
暫く考えた執事は、ふと、ああと思い出してコップを受け取ると、何やら魔法を唱える。
「もっと……」
少し眺めただけで突き出されたコップと唇。
執事はやれやれとした顔をすると、コップに両手を添えて再び魔法を纏わせ、優しい声で囁く。
「ゆっくりお飲みくださいよ。冷たすぎます。お腹がビックリしてしまいますよ」
コウタはこくんと頷くと、喉を鳴らして執事の水を飲み干した。
今日も読んでくださってありがとうございます。
ブックマーク、いいね、とっても励みになります。投稿するのはとても勇気がいりまして、数ヶ月悩みました。でも、日々、読んでくださる方が増えていて、驚きと共に感激しています。初心者ですので色々気になるところもあると思いますが、日々精進します。
今日もありがとうございます。
皆様の1日が、素敵な日になりますように。