027 友達
お祭り騒ぎの牛舎を離れると、牧草の香りが鼻をくすぐる。オレが空を見上げて手をかざすと、ヒュンとソラが手元まで降りてきて、ピピピピピと楽しげに鳴く。
大丈夫だっただろうか?
気が強い男の子。
負けたことなんてなかっただろう。自信満々の笑顔が思い出される。突っ走った少年。せっかくお父さんと気合を入れたのに。かっこいいところ見せたかった筈なのに。
よぎるのは真っ赤に怒った顔。擦り傷だらけで走り出した悔しそうな顔。
ソラに案内されてたどり着いた場所は、集落の外れの水車小屋。
キィ、チャポポポ、キィ、チャポポポ。
カラカラと軽快に回る水車。石臼の重い音。さらさらと水量豊かに流れ出る川の音。
静かでうるさい、泣き声が目立たない場所だ。
小屋の影でうずくまる子どもが一人。
ここまで来たけれど、声をかける勇気もなく、ただぼんやりと隠れて立ち尽くす。
きっと、誰にも見られたくないはず。
でもオレもこのままじゃいられない。
どうすればいい? どうしたらいい?
離れた場所でしゃがみ込むと、喉の奥に刺さった骨がぎゅっと胸を押しつぶす。
「どうし……よう」
思い出される山の出来事。
山ヤギに美味しい草を食べさせたかった。ちょっと難しい場所だと一瞬たじろいだけど、大丈夫だと過信して手を伸ばす。急な斜面。ズリッと滑って宙に投げ出された。
幸いソラが大きくなってフワンと受け止めてくれたけど、父様と母様にめちゃくちゃ叱られた。
あの時潜った大きな木のうろ。
オレが泣き止むまでドッコイ達がいてくれた。たくさん泣いて、落ち着くまで、木の前に身体を横たえ、出てくるまで待っていてくれた。
一人に耐えきれず、這い出てみれば、奥に潜んだふかふかの毛が大丈夫だよと背中を押して、ザクリとした黒い毛が涙を拭って。
ソラはいつだって頬の横で、じっとじっと待っていてくれた。
何も言わなくても、何もしなくても、オレは確かに力をもらった。
だから、そっと、ここで待とう。
小さな決意なのか、懐かしい思い出に触れたからなのか。
オレの頬を濡らした涙が、うぐっと喉を締め上げた。
………………。
「な、何でだよ。何でお前が泣く?」
水車の奥からか細い声が聞こえた。
「分かんない……。分かんないけど……」
小さく震えた声で答える。
「きょ、今日は調子が悪かったんだ」
「……うん」
「お、お前が転んだから悪いんだ」
「……うん」
「俺、結構できるはずだったのに」
「……うん」
「お、お前、チビのくせに、うんしか言わねえのかよ」
「……うん、……ごめんなさい」
一歩ずつ一歩ずつ、うずくまった身体同士が近づき合う。
「……お父さんに……叱られた?」
勇気を出して聞いてみると、薄ブルーの瞳が大きく開いて、オレの漆黒とカチと合わさった。
「……。し、叱られるわけないじゃん。 だって、俺、本当は強いんだから……」
「うん」
「いつも剣の稽古つけてくれるんだぞ」
「うん」
「さっきから、うんしか言ってねえぞ」
「うん。……………あれ、本当だ!」
無自覚の自分にクスクス笑う。
つられてドンクもクスクス笑う。いつの間にか肩が触れ合うくらいに近づいたオレ達は、あははははって声を出して笑い始めた。
「仕方ないな。俺の方がおっきいから、お前の騎士になってやるよ」
鼻をこすってドンクが立ち上がって言った。
「騎士?」
キョトンとして尋ねると、ドンクはぐしゅと袖で顔を擦ってニカッと笑った。
「騎士は弱い奴を守るんだぜ。 お前、泣き虫だし、ちっこい。 ディック様の子だろ? 強くなるまで、この騎士様が守ってやるよ」
オレの手をグンと引っ張って立たせてくれたドンクは、ちょっと悪い顔をしたアイファ兄さんみたいだった。
「行こっか?」
偉そうに言った少年は擦り傷だらけの酷い顔。思わずプゥと吹き出しそうになると、恥ずかしそうに耳まで染めた。
「ごめんね、ドンク。痛かったよね?」
擦りむいた顔を確かめるように触ると、ふわわふわわと温かな風がオレ達から立ち上る。金の光が舞い散って、ドンクの顔を包み込んだ。
「な、何だ?! すげぇ気持ちいい!」
不思議がるドンクの擦り傷が見る見るうちに消えて行く。
えぇ?! これってこれって、魔法?!
ーーーーパチャ!!
どこからともなく水がかけられる。
わぁ、と二人で横っ飛びをすると、真っ赤な髪のお姉さんが小さな瓶を振りながら立っていた。
「回復薬。 ちびっ子には早いかな〜なんて思ったけど、あんた、よく頑張ったからね〜! ご褒美よ」
明るいニコルは、パチンとオレにウインクをした。
よく頑張ったに反応したのか、ご褒美に感激したのか、ドンクはピンと直立して頭を下げた。
「ありがとうです!」
「このチビのことは、お、俺に任せてください。俺、こいつの騎士になることに決めたから!」
さっきとは違った耳の赤らめ方に、ふふふと笑みが溢れる。
「それは頼もしい! 頼りにしてるよ。 なにしろコウタは変わってるだろ? 上手く仲間に入れてやってあげてよ!」
「はいっ!!」
変わってる? そんなこと……、ないとは言えないけれど、どうしてみんな意地悪なことばかり言うの?!
ぷんぷんと頬を膨らませば、ご機嫌になったドンクに一層笑われた。
「アタシ達、今年は冬の間ここにいるからさ、アイファと一緒に鍛えてやるよ。 何たってコウタの騎士様だからね。 アンタ、強くなるんだろ?」
「はいっ」
アイファ兄さんの名前が出た途端、ドンクはキラキラの眼差しを浮かべ、さっきまでの落ち込みは何だったかというような元気で、ぐっとオレの手を握った。
「よし、戻ろう?」
二人で手を繋いで駆け出す。
枯れかけた牧草は、それでも緑の匂いを濃くして、頬に当たる冷たい風に混ざっても負けはしない。 そんな他愛もないことが嬉しくって、気持ち良くって……。
キャアキャアと笑いながら走るオレと、ひひひと笑って走るドンク。
牛舎に着くと弾んだ息を整える間もなく、村の人たちに頭を撫でられ、よくやったと褒められ、大丈夫って心配されて、大忙しだ。
漆黒と薄ブルーの瞳をカチリと合わせると、オレ達二人はずっと前から友達だったみたいに笑い合った。
父様、母様。 オレ、子どもの友達ができたの! ドンクっていうの! オレ、ここで頑張れる気がする。
ピピピと高く飛び立ったソラが瑠璃色を強めて空で主張する。風に逆らって、高く高く、どこまでも上がって。でも小さな粒は瑠璃色にキラと光る。
オレとドンクは枯れた牧草の上で転がって、そんなソラをずっと眺めていた。
コウタに会いに来てくださってありがとうございます。少しずつですが、読者様が増えてくださって嬉しいです。
9月に入り、更新時間が7時になりました。
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